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映画感想 『関心領域』 目を向け耳を傾け、考え続けなければいけない

先週くらいに『関心領域』を観てきたんだけど、なかなかまとまった文章書く時間が取れず、やっと投稿。
以下ネタバレ含むのでこれから観るよ〜という方はご注意で。

場所はポーランド、アウシュヴィッツ収容所の隣で暮らす家族の風景を淡々と描く映画。
ホロコーストに関する本をそれなりに読んだことがあったので、ルドルフ・ヘスという名で「あぁ」となった。収容所所長を務めその管理や絶滅計画に携わったことは知っていたが、まさかこんな近くに住んでいたとは思わなかった。

タイトルになっている「関心領域」という語は、ナチス親衛隊が実際に用いていたアウシュヴィッツ周辺地域を差す呼称である。
一般市民の立ち入りが禁じられ収容や虐殺の事実は隠蔽が図られていたこともあって、そのように呼ばれていたのだろうか。
(ナチが用いた言葉にはそういった婉曲表現が多い。作中でもヘスがおそらくユダヤ人の女性に性的な奉仕をさせるシーンがあったが、女性収容者による性労働施設が「特別棟」とだけ呼ばれてたりとか、ユダヤ人絶滅計画が「最終的解決」と呼ばれてたりとか。)
おそらく、ナチによって用いられた「関心領域」という語と、現代における人々のこうした出来事に対する無関心を示唆する、ダブルミーニングなんだと思う。

凄かったのは映画の、。作中で音楽をほとんど使わず、また迫害の映像を全く見せず、遠くに聞こえ続ける悲鳴や絶叫だけで起きていることを示し続ける。アカデミー音響賞取っただけある。ていうか5部門(作品賞、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞、音響賞)ノミネートなのね。すごいな。
絶叫がまったく聞こえていないかのように鳥のさえずりについて話すシーンは特にぞっとさせられた。
前に横浜トリエンナーレに行った際、音声と映像を用いたウクライナ戦争に関する作品があって、そのときも思ったのだが、否応なく聞こえる音のメッセージ性の強さ。それは普段は遠くにいて見えない、聞こえない人々の声。あるいは近くにいるはずなのに見えない、聞こえない振りをしてしまっているSOSの現前であるからなのだと思う。

ただ、多くを見せず観客に想像させる作品ゆえに、知識や想像力がないと分かりづらいシーンも少なからずあったと思う。
話題になっていたのは、暗闇のなかでポーランド人の少女が収容所の人々のために果物を隠して置いていく、サーモグラフィーのシーン。
暖かい部屋でヘスが子供に読み聞かせる「ヘンゼルとグレーテル」の声と重ねられる対比に皮肉が感じられる。
姿が見えないよう覆い隠されている人々の苦しみだけでなく、そうした残酷さに抗おうとする人々の見えない抵抗も、この作品では描かれている。

驚いたのはヘスが何度も嘔吐するシーン。悍ましい行為をしながらも淡々と平和な日常を謳歌しているように見えた彼が、「最終的解決」と呼ばれたユダヤ人絶滅計画を命じられ、アウシュヴィッツの家族のもとへ戻れることが決まるシーン。彼はオフィスの暗い階段で吐き気を催し、繰り返し嘔吐する。
そこで理解するのは、彼が冷酷で人の心を持たない悪魔的な存在ではなく一人の人間に他ならないということ。悪の凡庸さ、そして彼と観客の距離が紙一重であることを示唆しているように思う。

この映画の問い掛けをよりラディカルなものにしているのは、映画のラストシーン。現在、博物館となっているアウシュヴィッツ収容所であった場所の様子が映される。囚人たちの写真が壁一面に並んだ通路や、ガラスの向こうに展示されたユダヤ人らの遺品ーー衣類や、山積みになった大量の靴。
それらは博物館の保管と展示という目的ゆえにガラスで隔てられているが、しかし決して遠い過去の歴史ではない。そうした悲劇はわれわれのすぐ側に常にあるのであって、目を向け、考え続けなければならない。スクリーンに映し出される収容所の静かなシーンが、訴えている。

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