「お金も時間も決まっているが、実現したいことは見えていない」状況に向き合うべきなのか?
予算や期日など計画周辺が確定している場合と、そうしたプロジェクト的な仕事ではなくプロダクトづくり、サービス運営のような場合では、どのように取り組むのか、スタンスが大きく異なる。
というのは、もちろんとして、問題は、全体の方向性があるなかで、細部の状況まで確定されているか、否かで、さらに取りうる作戦が変わるというところだ。
結論を言うと、以下の作戦が考えられる。
「精緻な計画づくり」とは、伝統的なプロジェクトマネジメントのナレッジがいきるところである。
「広さにコミット、深さで調整」は、お金や時間などの諸条件が固定されているにも関わらず、肝心の実現したいことの細部が定まっていない状況に対抗する作戦だ。詳しくは、書籍「正しいものを正しくつくる」にあたってもらいたい。
「フォーカスをマネジメントする」は、ただ漫然とスプリントを回すのではなく、複数のスプリントにまたがって設定されるテーマ性(単一スプリントの目標は当然ながらスプリントゴールで捉える)に応じて、フォーカス(集中する対象、焦点)を決めるということだ(現代のスクラムガイドで言えばプロダクトゴールにあたる)。こちらも、「正しいものを正しくつくる」で紹介している。
「仮説検証に振り切る」は、実現したいことが不明確な以上、仮説検証に集中するということである。何を解決するべき課題・充足するべきこととして置くか。そして、それに対する効果的な機能性やアクションとは何か、を分かるようにする。こちらも具体的な方法は、書籍「正しいものを正しくつくる」や「アジャイルなプロダクトづくり」にあたってもらいたい。
分岐上、表面的には以下のケースへの対処がクローズアップされやすい。ゆえに、どのようにしてプロジェクトマネジメントや仮説検証に熟達するか、が主題となる。
実際には、ありえないであろうはずの、以下のケースのほうがより問題になる。
計画が固定的なのに実現したいことが不明確、終わりなきプロダクトづくりでありながら何等かの理由・状況から実現したいことが予算や期間を含めて確定的、あるいは強い期待が設定されている。矛盾した構図であるからこそ、受け止め難い。受け止め難いからスルーしたくなる、原則論に立ち返って正義を貫きたくなる。
いまだ、「正しいものを正しくつくる」を広く読んでいただけているのは、こうした「それって課題として扱うべきなの?」と思えてくる、厄介で、現実的な問題に真正面から向き合っているからだろうか。本当に扱うべきかどうかは当事者の皆さん次第だが、上記のパターン分けのとおり立ち向かうことはできる。そこにどんな意味を見出すか、は自分たちで考えるようにしたい。
まともな原則論からはこうした課題は生まれにくい。人間は、いとも簡単にその原則論を超えて、パズルを解けなくした上で向き合おうとする。がんばろう。