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はじめることをやめる、やめることをはじめる

 混沌としたチーム、プロジェクト、仕事に関与するようになった場合に、何から始めるか?

「はじめることをやめる」
「やめることをはじめる」

 この2つが基本。「新たな打ち手を片っ端から打っていく」はアンチパターン。混沌を収めてほしいとオーダーされて、件の現場に乗り込むような場合は、気負いもあって打ち手をすぐに考えてしまいかねない。

 しかし、すでに余白がない状況の中で、新たな打ち手を盛り込むのは、「ちょっとさらに辛くなるけど、しばらくだから頑張って」を暗黙的な前提に置いていることになる。

 この前提に耐えられるかどうかは、チームや人次第。チームや当事者の状況、特徴がまだ良くわからない段階で(=前提に耐えられるチームかどうかも分からない段階で)、「ひとまず頑張ろう」ファーストで行くのは考え無しに近い。

 まず、問題に直面するときは、「現象のみを捉えて甘くみる」ということがないようにする。問題の背景には「構造」がある。ある前提や条件、物事の流れなどにより、問題が起こるべくして起きているという状況。

 構造による問題は、表層的な打ち手を打ったところで解決には迫れない。思いつく打ち手を慌てて打っていったところで、人はついていけないし、構造の変更にまでは届かず、結果が出ない。結果が出ないと、何をするか? 

 もっと手を打つようになる(エレベータの「閉まる」ボタンを強くおしたら早く閉まるような気がするアレだ)。もちろん、余計に現場はまわらなくなる。

 水槽(状況)に水(タスク、やるべきこと)を入れていて、溢れている(炎上)としたら、まず蛇口を止めねばならない。新たな蛇口を捻り開かぬよう。

 こうして、まず入り口を止めることで、少し様子を見る。すると、沈静化していくところが出てくる。一方で、それでも慌ただしく、混乱が収まっていないところも見えてくる。全体からすると後者は目立つようになる。手を打つ箇所は、もちろん後者になる。 

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