近くを見通すなら年上の、未来を垣間見るなら若者の、視界を借りる
ものわかりという壁打ちの話を書いた。
この壁打ちを、仕事で知り合った若者(彼が顧客だった)にお願いをしている。正確な年齢は覚えていないが、私よりだいぶ若い。
話の解像度が細かくなったり、粗くなったり、その行き来が激しい対話になるだけど、彼は難なくと打ち返してくる。そのインタラクションが小気味良くて。仕事柄、「相手が受け止められているだろうか」を常時考えるわけだけだが、彼との対話はそうした配慮が不要で、自由奔放に話せる。だから、彼との対話の時間は、貴重なものになってきている。
意図していなかったが、自分より若い人と話すというのは思わぬ良さがあることに気がついた。30代くらいであれば、立ち位置がまだ自由自在だからあんまり意識しなくても良いかもしれない。
だが、40を越えると立場ができてくる。自分がもはや経験できないこと、し難いことということが増えてくる感覚がある。そこで、自分よりだいぶ若い世代との対話は価値が増すようになってくる。彼、彼女らの視界を借りて、ものを考える。
近い距離を見通すなら年上の経験を借りてきて考える。一方、遠い未来を妄想するなら若者の視界が自分の経験を補ってくれるように思う。そして、私は誰かにとっての近くを見通すレンズになるのだろう。そう考えると、繋がっている。
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