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プロダクトの向こう側には組織が透けて見える。

 「これはユーザー視点によるテストを本当に行っているのか?」

 あるアプリを使っていて、何度目かの自身の毒づきに辟易しながら、もう二度と使うまいとアプリを落とす。ようやく捕まえたタクシーの中でも、先程感じた自分の体験を反芻せざるを得ない。

 なぜ、あんなことが起きるのか? 長らく様々なプロダクト作りに関わってきているので、現場の様子を想像するための素材は、記憶として溜まっているから事欠かない。どうすればこうしたプロダクトが生み出されてしまうのかを想像する。

 おそらく、自分たち自身の視座を離れて、プロダクトを見るということができていないのだろう。その視点の大切さに気づいていないか、あるいは単に手が回っていないだけか。後者のような気もする。どちらにしても、残念でしかない。

 プロダクトは正直だ、嘘をつかない。

 残念なプロダクトの向こう側には残念な組織が透けてみえる。その場しのぎのプロダクト作りはボロが出る。よりユーザーに適したプロダクトに仕立てるためには、それを生み出し、扱う組織自体を整えていかなければならない。これは大変な仕事だ。一気に理想にはいけない。プロダクトが少しずつ育つように、組織も少しずつだ。

 たいていは、プロダクトと組織の成長の足並みは揃うものだ。プロダクトの成長によって、組織は課題を突きつけられ、組織の成長によって、プロダクトは充実していく。では、プロダクトに対して、組織が置いていかれる状況とはどういうことだろう? おそらく、組織の中の代謝が上手くいかなかったときが考えられる。これも極めて難しい問題だ。

 タクシーが目的地に着く頃になって、アプリを呪う気持ちはすっかり落ちていた。

 プロダクトを何とかするために組織を整えようとする。良い人材を揃えよう、正しい行為ができるようにしよう、と。しかし、「良い組織を作ろう」とするだけでは駄目だ。組織は、環境に従う。組織がそうあるのは、背景として理由が存在する。それを捉えなければ、対処療法でしかない。

 やれやれ本当に厄介な仕事だ。

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