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問題を、解くな。

 見えているものだけで判断しない、というのはよく言われるだけど、今目の前に見えていることをまさしく受け止められるのは、それ以前に欠かせないことだ。見えている、目に入っているけども、解釈できていない、判断できていない、という状態はまずい。自力で気付くことができない状態にあるからだ。

 解釈する力が無いから気付けない、とは真逆に問題解決能力が高いからこそ気付けないということがありえる。問題解決の能力が高いと「目の前の状況をより良くするための見立て」がついてしまう。問題を解決することが体に染み込んでいると、瞬時に解いてしまい(解ける見立てをしてしまい)、問題が問題ではなくなってしまう。...それって良いことでは?

 問題の中にはすぐには解けないものがある。そうした問題は要は「やりすごす」という解決策を取っているに過ぎない。それでも、問題を解決できたように認識してしまう。結果、解決してない状況を抱え続け、日々が段々と苦しいものになっていく。

 こうなる要因は「問題を解決してしまう(実際には解決していない、見立てているだけ)」ところにある。ゆえに、安易に問題を解決してはいけない(解決していないのに解決した気になってしまうから)という、ある感覚ではとんでもない境地に達する。

 問題解決を専門としている人は、問題のある状況が気持ち悪いと感じ、日常でのバランスを保つために自分の中で問題を処理してしまう。私自身、この状態に陥っているときがあることに気づいた。

 会社の経営は、最もこの傾向が現れるかもしれない。プランA、プランB、さらにプランCくらいまで必ず見立てる。プランを見立てると安心して、目の前のことが問題状態から平常状態へと変わってしまう。根っこには、不確実性への恐れがあると思う。どうなるか分からないからこそ、安心したいために、処理してしまう。経営の場合、問題は組織と日常に染み渡り、やがて釜で茹でられていることにも気づかないカエルのようになりうる。危機的な状況にまで進行する。それでいてなお、気付けないのだ。

 というわけで、この文章もこの現象を解決しないままで終えることにする。

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