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正しいときに正しいことをする

 物事が噛み合って、状況の突破口を生み出すには「その時があっているのかどうか」がかなめと思うようになった。ただやみくもに知識を集めていても、ただひたすらに行動を重ねるだけでも、突破しない壁がある。

 自分は正しいことをしているはずなのに。自ら行動を起こせる人ほど、一度は通る道のはずだ。正しさが正解ではないという状況に直面したとき、どうあると良いのか。段階で考えていこう。

(1) 正しく考える (Haveの段階)

 最初の段階は、まず立ち止まって考えること。置かれている状況をまず見ることが出来ているか。どこからやってきて、このまま行くとどこへたどり着くのか。人生が自動運転の乗り物だとしたら、自分はどこに向かっていくことになるのか。行き先が自分の本意と合っていないなら、その流れから降りる必要があるだろう。

 つまり、まずもって「考える」ということを始めなければならない。考えるためには、そのための「知識」を獲得する必要がある。同じ状況でも、良しとみるかどうかは、測る物差しによる。まず、自分の物差しを持ち、磨くこと。その研磨剤が「知識」だ。多くの書籍を読み、様々な人と交わり会話を重ねよう。「知識を持つ(Have)」が最初の段階。

(2) 正しいことをする (Doの段階)

 いくら知識だけを溜め込んでも、そのままでは活きない。次の段階は、もちろん行動を起こすこと(Doの段階)。ここが最初の山場になることが高い。仕事の仕方を変えてみる、チームでアジャイルに取り組む、自分の考えたさいきょうのプロダクトアイデアを形にしてみようとする。

 多くの場合、必ずと言って良いほど初回は手痛い失敗の洗礼を浴びることになる。なけなしの勇気は消し飛び、大きく後退してしまう。そこからがこの段階の正念場になる。自分の考える「正しさ」がいかに独りよがりのものだったか、実践には未熟なものだったか、状況に教えてもらうことになる。

 最初から上手くいくなら、誰でも突破出来ている。いかに次のトライに行動からの学びを活かすか。そこに目をつけて、「次」を自ら作れるかどうかが問われる。やめない限り、「最終最後の失敗」は訪れないと心に期す。

(3) 正しいときに正しいことをする (Beの段階)

 きっと、「正しいことをする」という姿勢は具体的な成果につながるはずだ。そこではじめて「報酬」を得ることになる。これまでの流れから降りて、いわば前提、前例からの「越境」が報われることになる。そのこと自体が随分と自分を勇気づけ、自信へと繋がるだろう。

 しかし、第2段階に留まり続けると別の壁にぶちあたる。冒頭に挙げた「自分は正しいことをしているはずなのに(相手が、みんなが思うように動いてくれなくて結果がでない)」という状況に。「正しいことをする」ことへの自信によって強められた信念は、さらに次の段階があることを容易には気づかせてはくれない。第3段階は「ときを得る、待つ」にあたる。

 いくら自分にとって鍛えられた「正しさ」であっても、相手が常に受け止められるわけではない。ここで考える主客は逆転し、自分がどうかではなく、相手を軸に考えることになる。つまり、相手が受け止められるまでの「時間をつくる」必要が出てくる。

 それはいかに行動するかの段階を越え、あり方(Be)の段階にたどり着くということだ。相手のときを待つ間も、あなた自身は諦めたり、ただ放置するのでもなく、「ときが動く」ように時に問いかけ、時にじっと見守る。
 そして「その時」が訪れたときに、まさしく「正しいこと」を起動させる。このとき、「試してみる」などという余地は微塵もない。限られた機会を逃してはならない、百発百中のつもりで臨む。

 相手のときを待つというのはそう簡単なことではない。あくまで人と人との話なのだから、待つほうにも焦りや無力感が去来する。自分の中にある見栄や、最終最後は失敗に終わるのではないかという恐怖に向きあい、打ち負かされないメンタルとは、多少歳を重ねたところで得られるものではない。

 少しずつ、少しずつ。ぶれない自分を作りにいこう。


(レッドジャーニーアドベント17日目)


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