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雪の殿様

まだ、都心に住んでいた頃。障子紙の破れ隠しにうちの奥さんは「シリーズかたち」というラインナップで出版されている「紋切り型 雪之巻」という切り絵の型紙を買ってきました。

この雪之巻には、江戸も終わり近く,天保年間にちょっとしたブームになった「雪柄模様」が、ほとんどそのまま、アレンジされることなく抜き型として納められています。

天保年間の雪柄ブーム…面白いことに、そのきっかけをつくったのは土井利位(どいとしつら)というお殿様です。このお方、寺社奉行,京都所司代、最後は西の丸老中と、幕閣としての重職を歴任したエリートなんですが、その一方で、若い頃から大の蘭学好き。出島経由で手に入れた顕微鏡(当時は「蘭鏡」と呼ばれていた)でいろいろなものを拡大してい見ているうち、雪の結晶、その美しさの虜になってしまった。…まぁ、結晶オタクになっちゃったという人です。

殿様は、雪が降りそうな日には、まず、専用の「黒い採集布」を外気温で冷やしておくとという作業から始め(それで雪が降らなかったら、さぞガッカリしたんでしょうね)、雪が降ってくると、一粒一粒ていねいにピンセットでつまんで,これまた専用の黒い漆器に移して,蘭鏡で覗くと…そういうことを繰り返して、新しい形のものに出会うたんびに、その結晶の形をスケッチしてた…そして、そんなことを積み重ねて20年めの天保3年、ストックしてあったスケッチを木版にして「雪華図説」という名前で出版した。そうしたら、かなりの評判を呼び、着物の柄、扇子の意匠,硯箱のワンポイントなどに転用され、またたくまに「流行の図柄」になっていった…そして、土井利位は「雪の殿様」として、庶民の間にも知られる人になった。…雪柄模様には、そんなエピソードが隠れています。

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この殿様の藩には、蘭学者としても有名だった鷹見泉石という家老がいました(彼を描いた渡辺華山の肖像画は、華山の最高傑作のひとつといわれています)。殿様のごく身近にいた人ですから、きっと利位を蘭学好きにしたのも彼の影響でしょう。
僕は「雪華図説」というと、この「ご家老」と「殿さま」が縁側に並んで空を見上げ、雪を待っている姿を想像してしまいます。あと10年もするとペリーが来航し、安政の大獄があり、幕末の動乱から戊辰戦争…立場上、彼らがどんなことに巻き込まれていかなければならなかったのか…
雪華図説が出版された天保年間は、決して安寧な時代とはいえないのです。でも、その後の激動を考えると、雪華図説の頃の「殿とご家老」の時間は、それこそ、雪の結晶のようにはかなくて、そして、はかないからこそ美しいものになったのかもしれません。まさに、ものの哀れてせんだな、と。

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