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ユーロビジョン2019

●歴史
●優勝者
●2019年の開催地はテルアビブ
●マドンナ
●政治問題
●終わりに

歴史

皆さんはユーロビジョンと言う歌謡祭をご存じでしょうか?
ヨーロッパの国々が代表を送り込み、どの歌が一番良かったかを決めるコンテストです。1956年に第一回がスイスで開催され、7ヵ国が参加。
優勝は開催国のスイスでした。


年々採点方式を変えつつ、また参加国が増えたことで準決勝、決勝制を導入。
採点方式は2つから成り立っています。

1つは参加国が点数を投票式で1点から12点を振り分けます。もちろん自国には配点できません。この参加国の点数は、各国でSNS投票で集計しています。

2つ目は審査員によるポイント。
参加国の投票が終わった後に1ヵ国ずつ与える点数です。
ルールとして歌はライブで歌うこと、言語は参加国の公用語に限ったり、英語に制限など何度もルール変遷がありました。現在は参加者の自由となっていますが、ほとんどの国が英語で歌っています。

優勝者

ユーロビジョンは、エンターテイメントとしてヨーロッパ最大かつ、各国が名誉と威信をかけて挑む重要なイベントに成長しました。
もちろん優勝者はその国の英雄としてみなされます。
何よりも歌手としてのキャリアには重要な機会である事は間違いありません。
1974年にスウェーデン代表で優勝したABBAは、その後世界で大ヒットするユニットで知らない人はいないでしょう。
また1988年の優勝者はスイス代表のセリーヌ・ディオンもそうでしょう。
個人的に好きだった1965年の曲、「夢見るシャンソン人形」は日本語版も出されCMなどにも使われてましたね。


↓ リンク:ユーロビジョン歴代優勝者


2019年の開催地はテルアビブ

イスラエルは1973年から初参加。なんと過去に3回も優勝し、去年の優勝者が4回目でネタ・バルズィライでした。
そして、ルールとして開催地は前年の優勝国がホストになり、20年ぶりにイスラエル開催が決定。

1999年はイスラエルが首都とするエルサレムで開催されました。

しかし今回は2018年のアメリカ大使館エルサレム移転やパレスチナの感情で揉め、政治問題に発展させたくないユーロビジョン本部からの説得でテルアビブ開催で折り合いをつけた形となりました。

今回の参加は41ヵ国。

関係者だけで2千人ほど、ユーロを見に来た観光客が4千人ほどと言われていますが、経済波及効果は期待したほどは無かったようです。

むしろ今回はチケットが高くユーロファンからヒンシュクを買ってしまいました。
余談ですが、私の妻の兄が97年に優勝したイスラエル代表ダナ・インターナショナルの演出を手掛けていました。
オープニングではイスラエル全土から参加国を迎える為にテルアビブに集まりライトアップするという演出です。1:23辺りからドローンを飛ばすシーンがありますが、これは弊社が入居するTOHAビルで、事務所がチラ見できますよ。

↓ リンク:Eurovision Song Contest 2019 - Grand Final


マドンナ

テルアビブ開催が決定となり、マドンナが来るのではという噂が流れ始めました。
ユダヤ教のカバラに心酔している彼女ならきっと来るだろう自分も思っていました。ただ現実的にスーパーアイコンがタダで来るとは思えず、それなりの出演料や条件がネックになると思われました。
しかし、スィルバン・アダムスと言うカナダ系のユダヤ人大富豪が約150万ドルを「出演料・その他」という事で献金したそうです。

マドンナはプライベートジェットでベングリオン空港にやってきました。
なんとスタッフ、ダンサー、関係者総勢135名の大所帯。
パフォーマンスは音を外すなど酷いもので、かつての輝きは感じられませんでした。翌日の各メディアの扱いも雑で酷評ばかり。

それでも来月出る14枚目の新アルバムを出す彼女には大きな宣伝になったことは間違いないでしょう。


政治問題

イスラエルあるところ政治問題ありと言うのが世界のコンセンサスのようです。
ユーロビジョンにも何かしらの政治問題が持ち込まれているのが現実です。去年イスラエル代表のネタが優勝してイスラエル開催が決定しました。

本来なら1999年同様、エルサレム開催を希望していていたイスラエル。

しかし2018年のアメリカ大使館移動やパレスチナの圧力、ユーロビジョン本部の説得によりテルアビブ開催で折り合いを付けました。

またマドンナの2曲目のパフォーマンス最後にバックダンサーがサプライズ。
二人のダンサーが振り向くと男性の背にイスラエルの旗、女性の背にパレスチナの旗が張られており、本番で行われたサプライズに運営側は成すすべなしでした。

マドンナのメッセージは「対立ではなく融和を」という意味のようです。

また投票の際にアイスランドのバンドがパレスチナの旗を掲げるという出来事もありました。78年にはヨルダン放送がイスラエル代表が歌っている時に放映を中断しました。そしてこの歌手が優勝してしまうのですが、ヨルダンメディアは優勝は2位だったベルギーだったと報じました。

2005年にはレバノンが参加予定でしたがイスラエルの存在がNGの同国は参加を見送りました。

希望はフランス代表のBilal Hassaniの存在です。

彼はゲイでムスリムと言う立ち位置ながらステージ衣装にイスラエル人デザイナーを起用。「音楽やパフォーマンスに国境や宗教は関係ないわ」と言っていたのが印象的でした。

終わりに

世界中で約2億人もの人々が視聴する今大会は、創造性、プロデュース力、技術力をいかんなく発揮して大成功に終わりました。

開催前の5月初めの2日間、ユーロビジョン開催を妨害しようとガザ地区から600近いロケット弾が飛んできてことも明記しておきます。

司会をつとめた世界のスーパーモデル、バル・レファエリの存在感は言うまでもなく、ルスィ・アユーブも高い評価を受けました。

決勝では下馬評通りオランダ代表のダンカン・ローレンスさんが優勝しました。
彼はバイセクシャルであることをカミングアウトしてLGBTに対しての平等や理解を呼び掛けています。


近年のユーロビジョンはLGBTコミュニティーの歌手も多く見られますが、ターニングポイントになったのは98年優勝でトランスジェンダーのダナ・インターナショナルからでした。
イスラエルと言う国は宗教国でありながらLGBTマイノリティーに対して寛容、理解と言う点では懐の深さを感じます。


色々な人の夢、各国の思惑と政治、忖度があるのがユーロビジョンの現状です。
それでも音楽が人々を繋げ、相互理解と融和によって宗教、性別、国境を越える日が来るのではと期待をしています。

来年はオランダ開催です。

日本とイスラエルにおけるビジネスマッチングの架け橋に。ブログの内容やベンチャーマッチングのご相談はパンラエル株式会社まで

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