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つもり

つもりほど厄介なものはありません。「わかったつもり」「理解したつもり」「勉強したつもり」つもりは気づきません。気づいたつもりになるからです。

つもりの語源は「見積り」です。見積もりとは予めに想定した事柄に対して概算で計画を立てる事です。未来に対して想定するのが「見積り」で過去に対して思うのが「つもり」です。

「見積もり」も「つもり」も現実ではありません。
現実は今の事実です。
今の事実だけが判断基準になるのです。

わかったつもりになるのは危険です。わからないふりも同じく危険です。
真実や現実を認めようとしていないからです。後で訂正が入るようならば初めから答えない事です。

人は「生きているつもり」から「生きている」になりたいのです。
それは「死」を意識した時に感じるのです。感情の高ぶりを感じた時も「生きている」と思うことから人は感情で生きていると思うのです。

泣きたい時に泣いたつもりになったり、笑ったつもり、怒ったつもりなどつもりになっていませんか?冷静になったつもり、「つもり」と「現実」の区別は簡単です。

考える時間があったならば「つもり」です。瞬時に感じたのならば「現実」です。現実を認識して瞬時に判断できない時は考えているからです。

考えるとは「見積もり」「つもり」をしているのです。本能的に危険を感じるのは、考えていません。誰かが池にはまりました。助けが必要かを瞬時に判断して行動に移せるのが「つもり」では無い状態です。

助けを求めている人を助けたことによる見返りは何だろうか?
助ける為には、自分の泳ぎでは不足しないだろうか?
自分の子どもとパートナーと親が溺れていたら誰から助けるのが正しいのだろうか?などと「助けたつもり」になっていると誰も助けることはできません。

普段から心と体と技を鍛えていれば、考えることなく助けに行く事ができます。自分が助ける事ができなければ助けを呼べば良いのです。躊躇しないで行動に移せる事が考えない事です。普段から考えるなと言っているのではありません。

考えるべきでない事で考えないのが「つもり」から抜け出ることになります。

「したつもり」は「していない」と思って「何々をする」と思い直しましょう。「何々をする」と決めると一つ前に進めるのです。

この記事を読んだ方は「わかったつもり」になれます。
私は「つもり」を「わかりたい」と思っています。