見出し画像

どうでも良い話。今日の写真は大根サラダを納豆和えでいただくです。

ざつがくはどうでも良い話です。
うんちくもどうでも良い話です。
じまん話もどうでも良い話です。

漢字にするときも、ひらがなにする時も、カタカナにスルトキモあるのは、どうでも良い事ではないのです。

漢字、カタカナ、ひらがなと与える印象が漢字は固く、ひらがなは優しく、カタカナは型にはまったイメージを与えるのです。

他人の評価を気にするのは人間関係を悪くする事になります。なぜならその評価を納得することができないからです。「わたしのことをどう思ってる?」と聞くのは自分が望んでいる評価を聞きたいからです。

自分の望んでいる通りに自分をコントロールできているのならば他人の評価などいらないのです。「そんなの関係無い」とどこかで聞いたセリフです。

自分をコントロールするとはどう言う事でしょうか?

健康で幸せに長生きしたいと願うのであれば、それに見合った行動をしなければなりません。それができないので早く死んでこの苦しみから逃れたいと思うのはごく普通の考え方です。

子どもを作って苦労するのならば子どもは要らない、自分が自由に自分のお金を使いたいから結婚はしない。そもそもその自由になるお金も少ないのでできないことが多いのが現状です。

経済を豊かにするには借金をしてでも消費することです。その理論に振り回されて経済成長率を上げるとかGPSではなくGDP(国内総生産)が世界で何位だとかを競って一人一人の利益も幸せも考えていないのです。

平均で物事を考えているから格差が広がるのです。

返せない借金を自転車操業のように持ち越すことで走り続けているのです。
それに気づいてはいけません。気づくとペダルを漕ぐのを止めるからです。

自転車操業から自動車操業になれば良いのです。ペダルを漕ぐ人が休んでも倒れることがない自動車は福利厚生のできた社会です。福利厚生を借金で賄っていても給料格差が少なく、健康と幸せと長寿を約束してくれる社会であれば未来は明るいのです。

経営者、社長などの一部の人が利益を独占してしまうと格差が生まれるのです。その利益を福利厚生、社会に還元、未来へ投資することで少子化問題も解決できるのではないでしょうか?

個人主義が徹底されると弱肉強食の社会になります。人間は一人では生きていけません。集団で助け合って共存共栄の社会にしなければなりません。

ライバルも敵も味方も競い合うルールを守らなければ共存共栄から弱肉強食の社会になってしまうのです。ルールを自分の解釈で運営してはいけません。敵味方とルールを決める戦いをしてはいけないのです。

ルールを明確にして戦いましょう。生死を分ける戦いであるのならばなおさらです。「そんなの関係ねー」と逃げてはいけないのです。

マナー(気持ち)とルール(取り決め)があって社会は成り立つのです。
ルールを破って勝利しても長続きはしないのです。太く短く他人の事など気にしない人はルール違反を平気で行うのです。社会から取り除かれることになります。

ルールは作れるのです。出来上がったルールは従うものですがそのルールに不都合があれば改定すれば良いのです。それは話し合うことです。

法律を変えることには時間がかかりますがそれを解消するのが判例です。裁判所で判決された例です。法律の解釈は被告が有利になるようになっています。訴えられることが社会的制裁になっているからです。

無知であれば社会に適合できないのです。知らずにしたことで罪に問われてしまうのです。ルールを自分勝手に作ってはいけません。話し合うことで社会のルールになるのです。

法律は難しいからどうでも良い話にしていませんか?

#たぬきのポッさん #エッセイ #スキしてみて