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永遠に撃つ(漕戸もり)/パラダイムシフト ピンチはチャンスか?(稲泉真紀)/二〇二〇、春(八上桐子)

永遠に撃つ

2020年6月7日

 兄と弟に挟まれて育ったので、家には武器みたいな玩具しかなかったせいか、それが兄弟喧嘩の原因で、仲が良い理由でもあった。特に、引き金を引くと撃つたびにぴろぴろと鳴る武器は、戦隊シリーズ番組の、主役で五人組のリーダーであり、人一倍正義感の強いAの秘密兵器だった。他にB、C、D、Eというメンバーもそれなりの武器を持っているので、兄弟三人別々の武器を買ってもらえばいいものを、三人ともAのぴろぴろが欲しい、とサンタクロースに手紙を書いたので、三人はおなじ武器を持って、みんないっせいに強くなった。じぶんの持っている武器は、いちばん最後に悪者を倒すのだけど、たたかう相手もおなじものを携えていることがわかっているので、わたしたち兄弟は、さんざんおたがいへぴろぴろし合うと、相手を撃つことをやめ、くるりとそれらから背を向けて、目のまえにひろがるそれぞれの〈空虚〉に乱射し、そのあとやっとおたがいの健闘を称えあった。
 わたしたちの武器は、あたらしい戦隊シリーズがはじまるたびに、時計や、刀、手裏剣、携帯電話タイプと形を変えていったが、爆破したり、切りつけたり、投げたり、人工知能にたよるよりも、撃つのがいちばん手に馴染んだ。今まで全力でやり遂げたことはなんですか?と聞かれれば、あの〈空虚〉をひたすら撃ちまくったことに勝るものはない、と言える。
 いつしか兄弟と遊ばなくなっても、わたしはいつも、右手にふさわしいものをさがしていた。中学生になれば、定期券入れにとことんこだわり、高校では流行りの携帯電話よりも、重くて凹凸のある武骨なデザインの携帯を選ぶので、友だちはそんなわたしをおもしろがった。大学ではじめてできた恋人と、ペアリングを買おうということになり、いっしょにデパートに行ったとき、店員さんに「おふたりはまだお若いですし、ご結婚もされていないようでしたら、右の薬指にされるとファッション的にも素敵ですし、TPOも選びませんよ。」と勧められたので、恋人とお揃いの指輪は、しばらくわたしの右手で武器の役割を果たした。そうして、やっと肌身離さず付けていられる武器が手に入ったので、「みせて。」と、わたしは恋人に会うたびに、その手を取ってわたしの手とならべては、うっとりとした。もう、ひとりで向きあうものはなにもなくて、おたがいに、称えあうことだけが残った。 
 そういえば、指輪も武器だった。女子高に通うヒロインが、実はジャンヌダルクよろしく、平和を揺るがす悪党をやっつけるリーダーという設定のアニメーションで、女の子たちを中心に人気があった。母が、兄弟としか遊ばないわたしを慮って「この指輪の武器、今人気らしいわよ。スイッチを押すとひかって、光線を浴びると悪者が消えていくんだって。」と、そのヒロインの武器である指輪をすすめてきたことがあった。でも兄の「よわっちい。そんなの武器じゃないよ。」と投げ捨てたひと言で、指輪の武器はわたしにとっても「よわっちい。」ものとなったのだった。
 指輪に非はなかったけれど、称えるだけの関係は、一年を待たずに終わった。わたしはやっぱり〈空虚〉と対峙してそして、ゆるされてから抱きあいたいのだと気づいた。

 ドライヤーは、武器のかたちをしている。
「エリがドライヤーで髪を乾かしているのって、かっこいいよ。」
サクヤは、サイレントピアノのヘッドホンの左側をはずして、わたしをみていた。深夜にサクヤが家にいることにちっとも慣れない。ライブハウスをメインに、ホテルやバーやときにはキャバクラのラウンジでピアノを弾く仕事が、三月から徐々にキャンセルとなり、今ではまったくなくなってしまった。昼間の大人向けのピアノレッスン講座もZoomとなって、一日中家にいる。わたしは平日の九時から五時まで、ちいさな保険代理店の事務の手伝いをしているので、いっしょに住んでいるといっても、生活はすれ違いで、そもそもはじめからそれがわかっていて、いっしょに暮らし始めたようなものだった。争いごともなく、気ままな生活は三年になる。
 ドライヤーの疾風が耳もとにうるさい。
「なに?」わたしは、髪の隙間から大きな声を出した。鬼婆みたいな血相をしているだろう。なにもかも調子が狂いはじめていた。
「がんばってるって、いいよね。」
ヘッドホンを、今度は完全に外してサクヤは叫んでいる、とおもう。六月になった途端暑くて、髪を乾かしているのに、地肌はますます濡れている。
こんなはずではなかったのに。
振りかえるとひろがっていたのは、玩具の〈空虚〉だったから、ぴろぴろと鳴る武器は最強であり得た。
 「聞こえないよ。」髪を額に貼りつけたまま、ドライヤーの銃口をサクヤに向けた。熱風が、サクヤへぼうぼうと撃ちつけている。
「エリがすきだよ。」
ふたりの部屋は、わたしが撃ちすぎて爆発寸前に熱くなった。わたしは、はじめて見るような〈空虚〉を、そのあともそのあとも撃ちつづけた。


抱くほどに胸にあなたをのこしたい鉄砲百合を粉はこぼれて


(了)


プロフィール
漕戸もり(こぎと・もり)
名古屋市在住。2015年歌人集団「かばん」参加。中日歌壇。東桜歌会。本業はアナウンス業。通常どこかでしゃべっていますが、コロナ禍の影響で今は霞を食べていて無口です。生と死の真ん中にいます。
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Youtube「短歌を読む」。Blog「月のいれもの」。ゆるゆると更新しています。時間があるからきちんとやれるというものではありません。


パラダイムシフト ピンチはチャンスか?

2020年6月14日

 当たり前だとか普通といった概念の上書きがものすごいスピードで加速する。新型コロナウィルス感染症予防の為に新しい生活様式で従来のスタイルがぬりかえられていく。前代未聞の超長期休校の子ども達に経済活動を含めた活動自粛を余儀なくされた大人達。働き方が変容しテレワークが導入された。無駄な会議や会合は淘汰され、Zoomなど新しいツールを用いた遠隔会議、遠隔飲み会にとって代わった。ソーシャルディスタンスという新たな概念が生み出され、社会全体にじわじわとしみこんでいった。それ以外にも本当に必要なものとそうではないものの識別が知らず知らずのうちにおこなわれているのではないだろうか。通常、変化を躊躇するようなものごとさえが有無を言わせずに変容せざるを得ない。通常のコミュニティサロン活動や各種講座・スポーツ大会などほぼ何もできない状況となってしまった。しかし、そんな今だからこそ、「まちづくり」という名の元、わたくしたちは一体何ができるのだろうという模索がはじまった。

 まず、マスク不足を受け、大量のダブルガーゼとゴム紐をなんとか購入し、広報紙に手作りマスクづくりサポーターを募集。16名がサポーターとしてマスク制作に入り、1か月足らずで約1000枚のマスクが完成した。地域の小学生430名へ提供。また、ご高齢の方を中心に民生児童委員の方々に配っていただいたり、妊婦の方へお渡しした。手作りマスクづくりサポーターは、普段のカフェ活動や健康促進の体操教室、歴史探索講座に参加されていた方をはじめ今まで全く活動に参加されていない方など様々だったが、こんな時だからこそ誰かのために活動したいと想いは同じだと感じた。

 授業も部活動も塾も習い事もすべてがいきなりなくなってしまった子ども達。もてあます時間を有効に活かせないかと考えたのが、中学生と小学6年生約300名への「手作りマスクキット」配布だった。家庭科で習ったミシンや裁縫の知識や技術を用いてマスクが作れる材料と作り方説明書を袋詰めしたキットを作った。弁当の配布などの支援方法もあったのだが、地域の小中学校が共通してたくましく生きる力を育むことを目指していることから、作成済マスクや弁当提供ではなく手作りマスクキットや身近にある比較的安価で安全に簡単に作れる食事やおやつづくりのレシピの提供というかたちを選択した。支援としても製作済のマスクの配布や出来合いの食事の提供のほうが労力を使わず、素早く対応できたと思う。しかし、あえて、手間のかかる方法を選択したのだ。一体、「生きる力」とは何であろうか? そういった根本的なものを今一度考えなおす機会となった。

 私はもう10年以上、「まちづくり」という非常に定義しにくい活動に関わり、子ども食堂事業や生涯学習講座、体験学習、スポーツ大会などの企画運営を手掛けてきた。しかし、その大半の活動ができなくなった今、「まちづくり」の目指す課題は何でその解決のために何をするのかを突き付けられた気がしている。今回の手作りマスクサポーターの方々との活動は自分にとってとても新鮮だった。「自分探し」がもてはやされた時代は様々なカルチャースクールが盛んだった。最近は、個々の趣味を広げるだけではなく近くの方と顔見知りになり有事の際の助け合える人間関係をつくるという側面もある。人とつながり、自分のできる範囲の活動をだれかのために生かすことやそれを循環させることが「まちづくり」にも大切だと改めて思った。やはり、「まちづくり」は「人づくり」なのだ。こちらの地域では、今年度から学校を核とした地域づくりという名分でコミュニティスクールがはじまった。少子高齢化の進む今、子ども達が地域に対し誇りや愛着の持てる「まち」をみんなの知恵や行動で創っていくことが必要不可欠だと思う。中学生の女の子から手作りマスクキットの御礼の葉書が届いた。ほんの小さなふれあいかもしれないが、このようなつながりがふえていくと良いと思う。パンデミックはパラダイムシフト。そして、ピンチはチャンスでもある。今回のピンチをどのように活かすべきかそれぞれの想いや行動にかかっている。「まちづくり」という名目の元、わたくしたちは一体何ができるのだろうという模索はずっと続く。


プロフィール
稲泉真紀(いないずみ・まき)
所属
未来短歌会 夏韻集 
短歌同人誌 cahiers
地域の自治組織や学校運営協議会でコーディネーターをしています。
器用貧乏、今回のことで案外リアリストかもという自覚が。


二〇二〇、春

2020年6月10日


どちらからともなくうたう雨と豆

雲呑という声のもうすでに遠い

メレンゲの泡うしなった羽ばたき

生前はアクリル板の両面に

ペコちゃんの舌で風向き確かめる

エアバスの抜け殻うすいうすい空

なきがらにもなれる日のミナペルホネン


 リモートワークになった娘が、職場のパソコンとの互換性が云々と言ってしばらく私のパソコンを使った。手持ち無沙汰にはじめたスマホのゲーム。ブロックを消していく単純なパズルゲームに見事にはまってしまった。ブロックを消せば時間が消えている。いつかまとまった時間ができたら書こうと思っていたもの。読みたかった本。ステージをクリアするたびに、あったはずのものたちが遠ざかり、世界がすかすかになってゆく。ゲームは進み、取り残される私。不要不急のものなど何もない、不要不急の存在としてソファに浮いている。レベル1000を超えるころ、眠気というものがやってこなくなった。これがゲーム脳というものか……。疲れ眼をぎゅううっと閉じたら、ひらいた耳の穴に雀の声が入ってきた。囀りに脳をマッサージされる。ベランダにパンをまくと、さっそくやってきた一羽が啄む。跳ねる姿、小首をかしげる仕草に和む。パンをまく。くる。まく、くる、くるまくまくくる……。ゲームでは「すずめ」という名のチームに入った。プレイに必要なライフをチームメイトがくれるので、いくらでもできるようになった。雀は二羽でくるようになり、ひと回り大きくなった気もする。パンがないと、テキ屋の親父のような声でまくし立てるようになった。ある日、ひときわ大きなテキ屋声に三羽が集まってきた。うち一羽がパンがないとみるや、大声を出した一羽を攻撃。空中戦を繰りひろげた。いつの間にかそこらじゅう糞だらけになっていた。ゲームはがんがんクリアしてチーム戦に貢献した。成果をあげないチームメイトは次々追放された。レベル1974。緊急事態宣言解除。もうコロナ以前には戻れないらしい。コロナ禍に浮いてきた「私」は、消すことができないブロックのようにある。

プロフィール
八上桐子(やがみ・きりこ)
川柳人。1961年生まれ。句集「hibi」。
時実新子「川柳大学」終刊まで会員。以後、無所属。


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