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47 決してなくならないもの

私は谷根千と呼ばれる地域に住んでいる。
ここに来たのは6年前の夏。それまでは生まれ育った町にいた。
この街に越してきたとき私には何もなくて、何もない私に細やかな勇気を与えてくれた場所があった。
それは上野動物園のパンダ舎と谷中ボッサだった。
この二つがあるからこの街に越したと言っても過言じゃない。

何も持たない私が、何も知らないこの街で、徐々に大切なものを見つけてきた頃、ボッサは信州松本に移転した。
移転計画を訊いた時はとてもショックだったけど、でも私は補助輪なしでもこの街で生きていけるようになったことの表れだとも思った。

2年前の夏、懐かしいあの味を求めて夏休みがてら松本に行った。
山から出来立ての風が吹いてきて、暑さを含めた何もかもが心地よく、懐かしく美味しいものたちに舌鼓をうち、夏休みらしい夏休みを満喫した。

コロナになって、旅行業界とか映画業界とか大変らしい。
私も夏頃はミニシアターが潰れたら大変だとか土産物屋さんが、などと思っていたが、最近は考えが変わった。

なんでもオンラインで手に入るようになった。
今日私はボッサの秋のケーキを自宅で受け取った。ボッサを知らない夫と今晩ケーキを食べるのが今から楽しみで仕方がない。
あの味を家で楽しむことができる。

でも、あの人たちに会いたいと思う。オンラインで会えるかもしれない。でも実際会うことはオンラインとは違うものをもたらしてくれる。
代替策が出てきても、なくなりはしないものがある。

レコードが音楽業界の花形でなくなってから随分と経つが、レコードはこの世からなくなってはいない。中古レコードは今でもなくならないし、音楽家もレコード版もリリースしたりする。レコードはスポットライトから外れたからこそ不動の地位を手に入れた。もうなくなることはないだろう。
多分、本も映画もそうなるのだろう。
そうなった時、スポットが当たってるから集まっていた人たちがごっそりいなくなるだけだ。その人たちは映画が好きなわけでも、本が好きなわけでもない。それが価値がありそうだったから集まってきただけだ。そこにエネルギーがあったからきたわけで対象が問題だったのではない。

そんなふうに考えればおそらくこれから先、ミニシアター向きな映画のほうが残るだろうし、巨万の富が集結するハリウッドの方がなくなるだろう。もう金儲けの対象ではなくなるから。

同じように人が集まるからなんとなくやっていた商売もなくなってしまうだろう。でも「なんとなく」やれていた方が不思議というか。
お金のためのお金儲けがなくなるだけで、想いのある金回りっていうのはちゃんと残るんじゃないだろうか。
現に我が家の周りにある「想いのある」お店はこの情勢の中、まだ営業ができているのよ。お客さんが並ぶこともあるしね。

自分に正直にいれば、自分に誠実にいれば、多分この動乱の時間を生き抜けれる気がする。どんな人も。もちろん容易いことではないけれど。
夫と一緒にいつか松本行きたいなあ。


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