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自己紹介

パンダドクター

はじめに

初めまして😊
東京で医師をしているパンダドクターと申します。
医師エッセイマンガなどをSNSやブログで発信しています。
noteでは医師、宅建士、アフェリエイテッド・ファイナンシャル・プランナーなど様々な資格をとった勉強法アドバイスや、各業種に関係する有益情報などを配信していきたいと思っています。

パンダドクターは何者!?

パンダドクターは東京で働く医師なのですが、普通のお医者さんとは経歴が異なっていると思います。現在は訪問診療をメインとし、普通の風邪から皮膚疾患、整形疾患診療、末期がんの麻薬コントロールまでマルチに行っています。
医師としてもっている資格は
 ■日本在宅医療連合学会認定専門医・指導医
 ■日本抗加齢医学会認定専門医
 ■日本医師会認定産業医
 ■東京都難病指定医
 ■技師装具等適合判定医

医師免許以外にもっている国家資格は
 ■宅地建物取引士
 ■公認心理師
 ■甲種危険物取扱者
 ■2級ファイナンシャル・プランニング技能士

その他の持っている資格・称号類は
 ■全日本弓道連盟 弓道参段
 ■全国珠算教育連盟珠算検定 1級
 ■アフィリエイテッド・ファイナンシャル・プランナー
 ■医療経営士3級
 ■簿記2級
 ■学士(工学)
 ■実用英語技能検定 2級
 ■汉语水平考试 5級

など医師以外の勉強も幅広くしています。

パンダドクターの生い立ち

東京出身でごく普通の一般家庭に育ちました。
小中高とすべて公立に通い(なんて金銭的に親孝行!)、一年浪人の道へ(なんて金銭的に親不孝!)…。
というのもパンダが行っていた高校は、偏差値50ないくらいの決してお利口とは言えない、むしろギャル・ギャル男が集まる高校でした。
大学進学は全体の4割程度と低く、いわゆるMARCHに行けば天才レベル、国公立大に行けば伝説レベル、医学部なんかに行った日には生ける神として歴史に名を残すことができるくらいの高校だったわけです。
当然のごとく大学入試で失敗したパンダは一年間浪人し、地方国立大学工学部へ入学(この時点で伝説レベル)して化学をメインで学ぶこととなりました。ただし、この大学も国立といえども偏差値は50程度と低く、お世辞にも頭のいい大学とは言えなかったわけです。それはそれで楽しくて、キャンパスライフをエンジョイしながら程よく勉強もするという、どこにでもいる大学生活を送っていました。

そんなパンダに転機が・・・

大学生活をエンジョイしていたパンダですが、ある日突然大学の友人を交通事故で亡くしてしまったのです。
これはパンダにとてつもない衝撃を与えました。
きっとこれから先何十年も続くと思われていた自分と同い年くらいの若者の人生が、いとも容易く、そしてあっけなく終了してしまったのです。
それまでは何となく大学を卒業し、何となく就職し、何となく生きていくといったあいまいなビジョンしか描けなかったパンダが、心の底から自分のやりたいことは何なのかということを見つめなおすきっかけとなりました。
その結果、「自分は人の命を直接救う仕事がしたい!」と思うようになり、そこから大学に在籍しながら医学部受験も試みるという仮面浪人生活に入ることとなったのです。

仮面浪人で医学部を目指す

仮面浪人をするうえで自分の中に決めていたルールがありました。
それは「大学の勉強をおろそかにしない」ということです。
まがいなりにも親に学費を出してもらって学生をさせてもらっていた身であり、医師となれなかった場合の将来に対する選択肢も残しておきたいと考えていたためです。
大学に入ってから遊びまくっていたパンダには、仮面浪人を始めたときには大学受験の知識なんぞほぼ皆無と言っていいほどなくなっていました。また、これ以上親に金銭的に負担をかけられないという思いもあり、予備校などには通わず、通信教育も使わず、国公立医学部一本でいくことを心に決めたのです。
(国公立医学部は大学によって多少の差はありますが、卒業までにかかる学費はおよそ400万円弱なので私立へ行くよりかなりリーズナブルなのです)

医学部への入学方法は2つあります。
一つは普通入試で1年生から入りなおす方法で、もう一つは学士編入で医学部2年次あるいは3年次に編入するという方法です。
後者ははやく医師になることができるメリットがある反面、かなりの狭き門です。東大・京大・有名大を卒業した猛者たちと戦うこととなります。
いままでのパンダの経歴をみていただいたらわかると思うのですが、パンダは頭が決していいわけではなく叩き上げでここまで登ってきた人間です。とてもではありませんが、そのような戦いには歯が立たないと判断し医学部1年生から始める普通入試をうけることとしたのです。

もちろんそれはそれは過酷な道を極めました。
大学の講義が終わった後、自分の目で確かめて選定した本屋の参考書を用いて図書館でひたすら勉強をする毎日でした。平日でも5-6時間、休みの日は朝から晩まで10時間以上勉強するという生活が始まったのです。
医学部再受験をしているとおおっぴろげに言うわけにもいかず、自分と同じ経験をした浪人の友人数名にしか打ち明けてはいませんでした。周りに自分と同じ仮面浪人をしている人間はいないという孤独もつきまとっていたのです。
そんな中救ってくれていたのは先の同じ学科の友人たちでした。定期的にひらいてくれる飲み会や、レジャーでストレスを適度に解消できていたのも、孤独感を紛らわすことができた理由かと思います。

ついに医学部合格へ

パンダが医学部に合格できたのは大学4年生が終わろうとしていた、まさにその年でした。周りは大学院へ進んだり、就職したりして進路が決定している中、パンダだけが進路が決定しないまま1月半ばのセンター試験、2月末の国立前期試験をうけていました。
これで受からなければニートになるという絶体絶命の状況です。
その年はセンター試験(現在の共通テスト)は、全科目あわせて91%の得点率を誇り、二次試験で大きな失敗がなければどこかの国公立医学部にはいけそうな切符をつかむことができたのです。何が何でも失敗は許されません。
センター試験の自己採点が終わった次の瞬間に、どこの大学を受験するか決めるためのリサーチを開始しました。条件は次の3つ。

 ①センター試験の配点が高めの設定になっている
 ②二次試験の配点が低い
 ③再受験生に寛容

国公立大学の合否はセンター試験+大学独自の二次試験の合計点数によって決定されます。センター試験が運よく高得点となったパンダにとって、センター試験逃げ切りとなる①②の条件はとても大切でした。
なぜなら、本業の卒業研究と卒業論文を完成させなければならなかったからです。大学4年生(理系)は研究結果をまとめ、論文として提出しなければ卒業できません。この論文がなかなか厄介で、提出しては添削されてを繰り返しており時間がかかるのです。
パンダの内心はここでチャンスを逃すと国公立医学部に行けなくなると思っていたため、何が何でも二次試験を突破しなければなりません。そのため、あまり二次試験対策ができないまま二次試験を迎えることとなることが予想され、受験する大学のリサーチにはかなり時間をかけました。
情報を制する者は戦いを制す、ということですね。
試験直前は研究室で大腸菌を培養させながら、となりで入試用の数学問題集を解きまくるみたいな生活をしていました。

さらに③も重要な条件でした。みなさんはニュースなどで再受験生の不合理な不合格事件などを目にしたことはありませんか?
大学側の気持ちになってみれば当然ですが、年齢のいった医学生を養成するよりは若い医学生を養成したほうがいいというのは想像できます。医師となったあとに長く第一線で働いてくれるほうが社会のためになるという理論ですね。
ただし、当時のパンダは年齢のいった側の人間です。そんな正論振りかざされて、点数もとれているのに落とされては困ります。そのため再受験に寛容な大学に絞って狙い撃ちすることとしたのです。
これが奏をこうしたのか、パンダは前期試験で地方国立大学医学部に合格することができました!
地獄のような日々からようやく解放されたのです。

念願の医学生

パンダは仮面浪人から解放され、医学生として第2の大学生活をはじめることとなりました。大学は慣れない土地にあり、文化も言葉も自分にはなじみがなかったのですが友人もでき楽しく過ごすことができました。
医学生のときの思い出などはブログやSNSで漫画として発信しているので、お時間があるときにご覧いただければ幸いです。

読んでいただいたらわかる通りパンダはいろいろな資格をもっているのですが、人生で一番つらかった試験はなんですか?と聞かれたら胸を張って
医師国家試験!!!!!
と答えます。合格率は9割で低くはないのですが、覚えることが多すぎて多すぎてしんどかったです。パンダの時代は医師国家試験は3日間ぶっ通しで行われており(現在は2日間)、メンタル的なプレッシャーに加え体力勝負でもありました。医師国家試験は相対評価のため、全国の受験生の下位1割は必ず不合格となります。加えて禁忌問題という問題も数百問という問題の中にちりばめられており、これを規定数以上間違えるとどんなに点数が良くても不合格になるのです。
人の命を直接扱う唯一の仕事ですし、それくらいのことは乗り越えて来いよという国からのメッセージと受け取りました…。
無事に医師国家試験に合格したパンダは、免許申請のため近所の保健所に向かいます。申請料はなんと6万円(高い)!
でも6万円払わないと医師免許は手元に来ないため、高すぎだろと思いつつ喜んで6万円払いました。

医師となってから

はれて医師となったパンダは東京に戻ります。
パンダが初期研修医として勤務した病院は救急バリバリの病院で、ひと昔まえの無茶して当たり前みたいな超忙しい病院でした(今では労基が入ってホワイトになったと聞いていますが)
1日勤務しそのまま救急当直へ突入、一晩当直した後にまた夕方まで通常勤務というような30時間以上ぶっ続け勤務も普通だと思ってました。当直も救急車はひっきりなしに来るうえ、3次救急をとるのはうちしかなかったため重症患者もみなければならないといった具合で、これが2年間ぶっ通しで続くわけです。
ここでも地獄をみたパンダでしたが、振り返ってみると同期たちと死に物狂いで切磋琢磨していたことも懐かしく思いますし、当時は死にそうでしたが意外とバカやってて楽しかったなぁと思っています。この地獄の研修がかなり医師としての土台を作ってくれたと感じており、選択は間違ってなかったと実感しました。
そこから腎臓内科に進み、同時に様々な内科を学んで現在の在宅医へとつながっていくのです。

これから

ここまで長いこと読んでいただいてありがとうございました。
パンダはストレートに医学部に入学したわけではなく、一度工学部を卒業したあとに医学部に入り直している再受験組です。このnoteでは医学部再受験を考えている方向けの記事や、様々な資格取得におけるノウハウ、その他資産運用や不動産にまつわる情報などを幅広く発信していきたいと考えています。
漫画エッセイをお送りしているブログなども目を通していただければうれしいです!

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