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生きるそのものが仏性の光

太陽に生かされている私達生命は、太陽の存在と我々命は同時に発生し、滅んでいく。それは、生かされているという事実である。太陽に生かされ、太陽なしには生きられない。生かされるという場が、私達を同時に共時的に存在足らしめているのである。つまり、場所を提供するという、生かされるという場が、我々を一体的に繋げているのである。つまり、生かされるというエネルギーは私達が生きるための本質なのである。生かされるタイムリミットが切れると、人々は生きていた使命をエネルギーとして宇宙の時間に帰していく。太陽は私達生命に均一に栄養を与えてくれる。太陽が生かす場を提供し、我々は同時的に生きている。つまり、生かされる場を意に提供する、それが宇宙の共時的本質なのである。意が起こる事、そのものがエネルギーの自己の存在を生かす事であり、見えないエネルギーで動き続けているのである。エネルギーに沿う事自体が私達の生命の本質である。エネルギーは互いに生かし合う事、エネルギーを交換しあう事で、エネルギーを活性化させる。すなわち、エネルギーの為にエネルギーを生き、エネルギーに貢献し、エネルギーに還るのである。生かされる場という枠組みの中でしか我々は個を発揮できないのである。個とは、生きる事そのものであり、自然の中で生かされる存在である。生かすという執着は、自然的意識に逆らっており、自然の中で主体性を発揮するといった、可視化できるエネルギーに忠実な実体である。生かすという気が無ければ、私達は進化をしてこなかった。だが、我々は生かされるという場を蔑ろにし、生かすという執着を強化してきた。生かされているという原点に返って、自己の性は、生かすという枠組みを超えた時(社会化不可)、自然の性質を生かす、すなわち生かすでは発揮できない、生かされている自分の本体に戻ることが可能になり、本性を自由自在に肯定し生かす時、生かされているという場の提供によって私達は一つに為るのである。生かされているという事実は宇宙のエネルギーの実体をそのまま顕わしたもので、生かされ生かす事、それが生命の力である。存在を愛する事は、万物と協力して生きるという事である。

コロナと上手く共存できますように、南無阿弥陀仏!


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