2022.9.7(水) 正岡子規『歌よみに与ふる書』を読む⑤ ー内容と形式の一致 小さな嘘を大きくいうなー

さて、「四たび歌よみに与ふる書」では、いくつかの実例を出しながら子規が良い歌悪い歌について解説しました。

続きの「五たび歌よみに与ふる書」では、「心あてに見し白雲は麓にて思はぬ空に晴るる不尽の嶺」の批評からはじまります。


心あてに見し白雲は麓にて思はぬ空に晴るる不尽の嶺の歌のダメなところ


子規は章題のこの歌について「面白き歌と一時は思ひしが、今見れば拙き歌に有之候」といいます。どこが不満なのかというと。まず雲がかかるのは、よくよく考えてみれば半分ぐらいの高さまでで、「麓」というのはどうなんだ?ということと、もし麓を百歩譲って受け止めたとしても、これまた「麓にて」という言い方には理屈っぽさがあること。そして最大の欠点はこの歌の姿形が弱々しくて不尽(富士山)に到底寄り添えてないと子規はいいます。

子規は「晴るる日や雲を貫く雪の不尽」という几董の句はめっちゃ大袈裟やけど富士山の情緒はかえって良く出ている!と説明します。

表現の美しさという視点だけでなく、テーマや内容にあった叙述の仕方というのがここではポイントになってきます。

もしほ焼く難波の浦の八重霞一重はあまのしわざなりけり

藻塩を焼く難波の浦の八重霞の一重は海人さん仕業であったんだなあという歌意ですが、八重というのは八段に分かれているわけではないのに「一重は」と表現している点、そして藻塩焼く「煙」とふつうに考えれば分かるところを「霞」と主観的に言っている点が俗で、わざわざこんな風に詠まなくてもいいものを!と子規は批評します。

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