見出し画像

私のことは私が決める

日々いろんなことがあって
もう大丈夫
そう思っても
揺さぶられることはやっぱりあって

(特に子どものことについては
すぐに不安になり悩み迷う私)

季節のように
天気のように
自然界に生きる植物のように
私自身も
とどまることなく変化していくのを
いつも感じる。

揺れたり変化したり。
きっとそれが当たり前。

たくさんの情報や
起こる出来事に
踊らされることはしたくない。

でも
変化が必要なときもある。
だから閉じていないで
なるべく素直に開いていたい。

両方の側面を大事にしたい。

どんなに
尊敬できる人が言ったことでも
それが権威のある方でも
有名な方でも

ん?と引っかかる部分があれば
鵜呑みにして
そのまま信じることはしない。

私のことをわかってるのは
私だけなんじゃ〜
人に決められてたまるか〜!
という肚からの声が聞こえてくるから。

逆に

心が揺さぶられて
絶対受け入れられない
絶対あり得ない
って言葉や出来事も

なるべく
色(感情など、体験からくる憶測)をつけないで
そんなこともあるかもしれないね
と一度そのまま受け取るようにしている。

自分をしっかり持つことと
そのまま受け止めること
両方大事だと思う。

自分がしっかり立てるまで

私のことをわかってるのは
私だけなんじゃー
人に決められてたまるか〜!
と思えるまで

いろいろな体験があった。
今日の投稿はそんな話。

震災後、
いろんな情報に触れて
さんざん踊らされた。

医療のこと、放射能のこと、
食のこと、
初めて知るような情報は
ショックなことも多かったし
なんだか今まで見てきた世界が
信じられなくなって
全てを斜めにみるようになっていった。

正しい情報も
間違っている情報も
入り乱れていて
いろんなことを聞くたびに
ブレていた。

知らなかったことを一気に知って
知らなかった自分が不甲斐なくて
気持ちのやり場がなくて
何も知らないで生活している人を
否定することで
心を保ってたという部分も
あったかもしれない。

冷静に振り返ると
そんなことを思ったりする。

そして
前の私は
今より
周りに認められたい
人に好かれたい
そういう気持ちが強かった。

自然な育児を知って
森のようちえんに入って
同じように思う人に出会えたことが嬉しくて

お話会があれば
お裁縫や畑仕事やワークショップがあれば
とにかくなんでも行ってみよう
いろんな人と過ごして
いろんなことを吸収しよう
そんな感じで毎日楽しく過ごしていた。

でも

自然の中で過ごす時間が心地良くて
そんな時間が増えて
森の中でそのままの姿で生きる
子どもたちの姿を見て
自分が本当の自分じゃないような
違和感を感じるようになった。

本当の自分が知りたくて
自分の声に耳を傾けるようになった。

はじめは
「これができるようになりたい。」
「自分にはこれ!ってものを見つけたい。」
とかそんなことが出てきたけど
なんだか焦ってるようで
なんか違う感じがして

もっと自分を探ったら
やっと出てきたのが
「ゆっくり寝たい。ゆっくり休みたい。」
だった。
拍子抜け。

娘が年長の歳になって
やっと楽しく通えるようになって
朝もすんなり離れて
自分から行けるようになって
(ここまでが長かった・・)

幼稚園に送ったあと
まだ赤ちゃんだった長男と一緒に
家でとにかくゆっくり過ごしてみた。

窓から入る日差しを感じながら
息子に授乳しながら昼寝をした。
子どもたちが産まれてから
やっとゆっくり休めた時間だった。

子どもたちが産まれてから
何かとずっと闘ってたし
必死で子どもたちを守ろうとしてた。

周りのいろんなことができる人たちを見て
頑張っている人たちを見て
自分だけ休むなんてダメって
思い込んでいた。
 
でも
元々一人が好きな私は 
静かなところで
誰の目もないところで
ゆっくり休みたい。
本当はずっとそれを求めていたのでした。

幼稚園では
未就園児とそのお母さんのために
園のお母さんたちがボランティアで見守りながらお散歩する日を作っていて
長女が未就園児のときは
その時間に本当に助けられた。

だから娘が入園したあとは
ボランティアとして
見守るのは当然のことだと思ってたし
楽しみにしていた。

息子と一緒に参加して
森の中を歩かせてあげたいとも思ってた。

でも
本当はゆっくり休みたい
そんな声が聞こえてきて
勇気を出して
本当に行きたいと思える日以外は
行くのをやめにしてみた。

周りからの目を気にして生きてきた私は
すごく気になって
勝手に申し訳ない気持ちになった。

でも自分の気持ちと違うことができなくて
したくなくて
勇気を出して休んでみた。

私も頑張ってるから
あなたも頑張るのが当たり前

そんな世界を
やめたかった。

やりたいから
嬉しいから
ただやる。

私がそうありたいし
他の人にもそうあってほしい。

友達からの楽しそうなお誘いでも
体調優先して断ったり
いつもなら頼まれてオッケーしてたことも
気分が乗らなかったら
勇気を出して断ってみたり。

緊張したし勇気がいったけれど
今まで当たり前にやってたことでも
違和感があったら
ひとつずつやめてみた。

以前の私は

人が家に来るときは
掃除して綺麗にして
泊まりに来てくれるときは
美味しい料理を作って
頑張っておもてなしをしていた。

それが好きだったし
そうしたかった。

でも
子どもが生まれて
体力も落ちていて
人よりなんでもゆっくりな私は
おもてなしを喜んでできなくなっていた。

あるとき
もう汚いまんまでもいいや〜
と気の合う友達に来てもらったら
「やらせてくれるのが嬉しい」
と勝手に掃除してご飯を作ってくれるようになった。

子どもを見るのが大好きな友達が
子どもたちを預かってくれて
迎えに行くとご飯まで食べさせてくれたこともあった。
その友達のお母さんまで優しくて
実家に帰ってるかのようにくつろげて
今でもふとした瞬間にその友達の家に帰りたくなる。
私は自分の実家がくつろげたことがないから
本当に嬉しい体験だった。

他にも子どもといるのが大好きな友達がいて
喜んで預かってくれて
私は子どもと遊ぶのが正直好きでもないから(本音)
そんな人たちがいるのかーと衝撃だった。笑

私も子どもも満たされて
私は私ができることをして
(みんなが苦手なパソコン作業とかしたり、マニアックな情報をシェアしたり笑)
こんなに素晴らしい循環はないなぁと思った。

あるとき
関東から友達が泊まりに来てくれたとき
娘がちょうど熱を出してしまった。

新潟の美味しいもの食べさせてあげたいな
とか
いろんなとこ連れていきたいな
なんて思ってたのに
私は娘のことが心配で
友達にしてあげたいことが
思ってたようにできなかった。

友達たちは
勝手に近所のからあげ屋さんに買い物に行って
コンビニ行ってビール買って
自由にしてくれてて
楽しかったからまた来たい
そう言って本当に次の年も遊びに来てくれた。

いつも家が綺麗で
おもてなしができて
そんな人に憧れてて
そうなりたかったけど

自分はそうじゃなくていいや
私は私でいればいいや
そうやって諦めて観念して
自分じゃない誰かになろうとするのをやめたら
自然に私を助けてくれる人があらわれた。

そのままの自分を出したら
安心して付き合えて
私が苦手なことやできないことを
友達がやってくれて
私が好きなことややりたいことで
喜んでもらえた。

自分のできないこと
やりたくないことを認めたら
他人のできないことも
やりたくないことも
優しい気持ちで認められる。
すごいところも
素直に尊敬できる。

私は私の本当にしたいようにしてもいいんだ
私のままでもいいんだ
そう思えた体験は
私にとっては大きなギフトでした。

休みたいときは休んで

大好きな自然の中で
歩いたり
畑をしたり
泳いだり

踊って

美しいものに触れて

本当に自分のしたいことをしていたら
自然と繋がったら
肚が決まってきた。

自分の声が聞こえるようになった。

  

本当の声を押し込めて
聞こえないふりして
違う誰かになろうとして

そんなことをやめたら
自分がどんな人か
少しずつわかるようになってきた。

できることも
得意なことも
好きなことも
体の性質も
全てが違うのに

誰かと一緒にしようとしても
心地いいわけがない。

どんな情報も言葉も
私にとって必要なのか
私にとって心地よいのか
それは自分にしかわからない。

だから
どんなに知識を並べられたって
恐怖を煽られたって
自分の奥底からの声が違うっていうなら
それは採用しなくたっていい。

これが私の真ん中だー!を体感したら
ブレても
不安になっても
落ち着いて深呼吸して
真ん中に戻ればいいって思う。

真ん中がないと
誰かの体験を聞けば真似したくなって
セッションを受ければ言われた通りにしたくなって
迷子になってしまう。

新潟に住んで七年が経ち
夫の転勤で明石に引っ越した。

久しぶりの街での暮らし。
娘が学校に行かなくなって
自分の時間がなくて
余裕がなくなって

また真ん中がわからなくなって
自分を見失って
助けを求める人を間違えたりして。

もうだめだ〜と
身体と心の専門家の人に相談して
どんなスピリチュアルな言葉で導いてくれるのか期待したら
かけてくれた言葉は
「自然の中で過ごして、
筋トレしたほうがいいんじゃない」
でした。笑

ごもっとも。

そして
大好きな沖縄の自然の中で暮らしたくて
引っ越してきたのでした。

火災、台風、震災、ウイルスの慢延・・
いろんなことが起これば
情報がたくさんやってくる。

そのときに信じられるのは
他の誰でもない
自分。

今の世の中は
左脳的に
男性的に
論理的に説明して
人を導く(無理やり納得させる?)
風潮があるようなところがある。

発展するためには
必要なことだったとも思う。 

でもこれからは
うまく言葉にできなくても
自分の真ん中を見つけたら
自分の声が聞けたら
「なんとなく違う気がする」
「なんとなくそうだと思う」
そんなふうに直感で判断したっていいと思う。

女の勘は鋭いってやつです。

自分の本当の声を聞くこと
自然のリズムに共鳴すること
身体を大切にすること

私が
大切にしていること
大切にしたいこと。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
10
二児の母。娘の不登校をきっかけに沖縄へ母子移住。子どもたちは二人とも繊細なHSPっ子。元SE。畑をやること、踊ること、旅することが好きです。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。