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[掌編]pua peap


 仕事をあがり、事業所の駐車場から車を出した。結局、もう夜半過ぎになっていた。
 会社の敷地を出て道路に入ると、長い間隔の街灯以外のが灯が見えない。
 ただ一本の道路を走る、対向車とのすれ違いもなく。
 空の色が一様に暗く、雨雲の気配があった。

 ローカルFMに選局してあるカーラジオは、暫くサルサが続いていたが曲が終ると、スタジオのディスク・ジョッキーが、放送エリアの各町に、これから荒天に注意するように告げた。
少しばかりドライバー向けのアドバイスが付けられた後、今の天候にはまるで不似合いなキューバ音楽が再びかけられた。

 できれば途中で買い物をして帰りたい。
 この時刻、これから帰宅し、夜食もそうだが寝る前にアルコールを一、二本開けたい心地だった。
 カーナビのモニタで見ると、普段のルートはほぼ山中の一本道で、途中にコンビニエンス・ストアーなどない。山を突き抜けた道を抜け峠を下れば、無数にコンビニや終夜営業の飲食店のある市街地に入るが。

 途中、普段は使わない道……今の事業所に通勤をし始めてから、一度も使わずにいた道との分岐点に差し掛かった。
 自宅と会社を繋ぐいつものルートは、広い道路を通るためにぐるりと迂回路めいた道を使っていた。
 分岐している先のこの道を選べば、抜け道的に距離は短くなるのは知っていたが、基本的に車道が狭い。
 途中にある集落の住民らの朝晩の通勤・通学の時間帯、よそ者が車で通るにはおそらく相応しくなさそうで、使うことはなかった。
 しかしこの時間であれば……と考えた。人も車も少ないだろう、ショートカットのつもりで枝道へと車を入れた。

 地図で見る限り、ぐるりと三方は山に遮られ、水たまりのような町になっている。
 住宅と農地ばかりの土地を四角く区切る、整った道路の道に出て、そこから再度山を抜ければ自分の街に入ることができる筈だった。

 車幅はギリギリだが、一応二車線の道路を下り坂で降りてゆく。手付かずのような斜面の林と、資材置場らしき場所が続く。

 名前を知らないその町に入り、特徴のない住宅が続く間の道を注意深く走らせた。どの家も消灯し窓が暗く、町の全てがもう眠り込んでいた。宵っ張りはここにはいないようだ。
 それでも道路の脇から飛び出す影が無いか、気をつけて通り抜ける。

 それにしても街灯の輝きがほとんど無い。ヘッドライトの明かりばかりが頼りだ。
 そして音。低い雷鳴が空で響いてるのに気づいた。FMラジオの方は場所と相性が悪くなったのか、音楽が途切れ、ノイズばかりになった。鍋底で焦げ付くような音が小さく爆ぜる。

 家屋に挟まれた緩やかに曲がった車道を抜けると視界が開けた。一面に水田が広がっていた。
 用水路に沿ったアスファルト舗装の車道が伸び、それから枝分かれした道が左右に伸びて水田の面を区切っている。倉庫のような建物がいくつか見えるが、人のいる民家はかなりまばらですっかり明かりがない。
 おおよそ農道として整備されているらしく見た限りではすっきりとしている。抜け道として、一般道と同じようなつもりで利用はできるのだろうが、生活道路のように、その土地の人々の生活と縁の薄い人間がずけずけと使って良いものでもないだろう。 
 見通しは良いが、道路の両側はどちらも低く落ち込んだ水路か水田で、車輪を落とさないよう速度をゆるめて進んだ。
 ほどなく、フロントガラスにいくつもの点が出来、雨の雫がついに落ちてきた。
 ワイパーで水を払いながら車を進めていくと、前方に黄色い点滅をしている信号が見えた。一般道路と交差しているところのようだった。
 速度を落とし信号に……一方は歩行者専用信号で横断歩道と細い道に続いている……接近した。

 突然稲光が炸裂した。
 周囲が一瞬明るくなり、再び暗くなってから重い雷鳴が響いた。
 そのタイミングでナビのディスプレイが途切れ暗くなった。雷自体には大して驚かなかったが、これには驚いた。
 ブレーキを踏み車を停車させた。画面を覗き込んでもなにも映らない。うろ覚えで再起動のためのボタンを押してみたが反応がない。取扱説明書を確認しようにも車内になく、対処法が分からない。
 暫く考えスマホを取り出した。現在位置を割り出そうとしたが、圏外の表示が出、ネットに繋がらなくなっていた。
 落雷に打たれたわけでもないのに、電子機器がいかれてしまったのか。
 慌ててイグニッションキーをひねるとエンジンはかかり、ライトも点灯した。不具合の原因は気になるが、この場所にずっと停車してもいられない。
 うろ覚えだが、地形図を思い出し大体の方角に見当をつけ、この集落を抜け出すことにした。
 車を発車させ、黄色い点滅する信号の真下を通過した。小ぶりな信号だが、交差点名標識がかかっている。通過しながら照らされた表示を読んだ。


「耳」


 かろうじて読み取ったが意味が分からなかった。
 ここの区画の字名かもしれないが変わっている。一文字の地名、区画名は全国に多数あるだろう。「耳」という場所の名前も無いとは言えまいが、似た漢字を読み間違えたのでは無いか。例えば、草かんむりの「茸」で、読み方が風変わりな難読であれば、地名としては有り得そうだが。
 暗さと雨に邪魔されて読み取り損ねたと思うしかない。

 道路の周囲は水田だが今は何も植わっていない。先ほどの雨で濡れた面がかすかに黒い空の色を映している。
 周囲は完全な黒闇の影絵で、ライトの円の中以外に見分けられるものはない。平地が続く眺めの中に、空を背にした立像が点在している。人型の暗い影は多分案山子だろう。風雨の中、生きた人間が立ち尽くしてるなどあり得ない。
 水田の先が黒っぽいシルエットになっている。山の地形が立ち上がっているようだ。
 片側にかすかな光が見えた。赤、黄、そして青。信号があるのが分かった。
 少し逡巡し、暫く走った後に現れた横道に折れて信号を目指した。
 かすかに民家のあるシルエットの群が分かった。暫くして住宅のある区画に入り、T字路交差点に突き当たり、光を見かけた信号の下まで来た。


「鼻」


 下がった標識がそう読み取れた。
 思わず自分の顔の中心を撫でた。自分の鼻がそこにあるのを確かめると、突き当りを左折してみた。細い道であるが、対向車との行きちがいくらいはできる。
 古めの住宅が連なる。途中の建物に一つ古い商店がある。看板も雨ざらしでシャッターを下ろしたままだが、店名を記したらしき看板があるのだが、漢字でかかれたであろうその字を読み取ることができない。
 並んだ字が、漢字のようであるが、画数が多いだけではなく、何か別の国の漢字のようで異様な字形をして見えていた……。

 強めの風雨の中、再び黄色の点滅信号が現れた。


「歯」


 光の届く距離で停車して雨を透かして眺めていたが、推測ではそう読める。
 一体、肉体の部分部分の名称のみを地名に使うというのはあるのだろうか。それぞれの場所に分割された人体の断片が配置されているかのようでいて、ただ順番がまるで出鱈目じゃないか。
 交差点のそれぞれの先がどうなっているのか、手がかりがまるでなく、分からない。勘では、左折すれば水田のあるエリアに戻るような気がしている。直進と右折をすればおそらく山に繋がっており、峠を越えさえすればこの集落から出られる筈なのだ。
 胃が痛くなってきた。早く自宅に帰りつきたい。
 近道で抜けられた筈なのに、どうもおかしい。迷子になってしまったのか。無駄に時間が経過している。
 あるいは。何かの具合で自分の頭の中の配線が絡まり、情報を正しく読み取れなくなってるのではないか。読み取ろうとする文字が、正しく意味に結びつかない。
 だが、とにかく今は抜けないと……直進をすることにした。


「指」

「目」

「足」

「舌」

 それらの信号を通過すると、道路が山の中に繋がっていた。
 高い木の立つ間を走る車道を走る。林の中、雨の音が少なくなってきた。
 それと同時に前方がアスファルト舗装ではなくなってきた。
 林道に入り込んだのか、とんでもなくまずい。引き返し、どれかの交差点で別の道に入り直さないと。
 Uターンしようとしたが、路幅が足りない。
 この暗い中、バックで戻るのは危険だ、もう少し進んで折り返せる広さのあるところを見つけないと……
 だが悪い方に予感が当たった。
 進んでも道幅が狭くなるだけで折り返せる場所が見つからない。

 雨が上がったようだ。
 道の先の方に、樹のない平坦に広けた場所が見えた。
 そこまで行けば……
 だが車を止めざるを得なかった。
 ライトが照らす前方に地面がなかった。

 そこに対岸の見えない、黒い沼が広がっていた。
停めた車から降り、ライトの範囲の水面を見るが、中は見えず、ただ真っ黒で、少し青味がかった空を表にかすかに映していた。
 深夜の空がかすかに明るく、地上のすべては影になってしまっていた。

 振り返り車の後方を見ると、それまで自分が車で入って来た筈の道が無く、篠のような葉叢で覆われていた。

 雷鳴が低く響き、それに合わせ車のライトが消え、もう見えるものが何も無くなってしまった。


2022年(令和04)08月07日(日)06:46

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