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[掌編]カードの家


 ランチの予定に出る間際、アルバートの携帯電話に呼び出しが入った。
アル?……ああ、ごめんなさい、本当に。ケニイが……ケニイが大変なの。何か』
クイン?どうした、何があった」
『ごめんなさい、ケニイが……とにかく、大変なの』
「救急車か警察を呼ぶか?」
『駄目なの、それじゃなくて、ジェシカが』
 妙な音で通話が打ち切られた。かけ直したが相手が出ない。
 アルバートは上着を手早くきながら秘書に「午後の予定は」と聞いた。
「午後三時にテン氏が来ることになっています」
「緊急の用件ということで、キャンセルをさせてもらってくれ、来週までの間の空いている時間に振替を……希望があればこちらが応じる、と。今日はこのまま戻らないかもしれない、後のことは任せる」指示をだしながら付け加えた。「クイン……妹夫婦に何かがあったようだ」
 車に乗り込みエンジンをかけ妹夫婦の家に向け発車させた。昼間の平和な街路には昼食の人出が溢れている。
 アルバートは運転しながらクインの最後の言葉の切れ端を思い出した。
「……『ジェシカが』」
 義弟のケネスがただならぬ状態であるようだが、彼らの一人娘、アルバートにとって姪であるジェシカが、何かあったのか、それとも何かしたのか。走行中の車内からハンズフリーでクインの電話番号に呼び出しを続けたが応答が無い。
 緊急事態だが、自分に連絡を入れたのはどういうことだ。例えばケネスが負傷や発病なのであれば救急車であるべきではないか。何者かが押し入って、誘拐か、それとも居座られて人質にでもされているとすれば。……そこからの状態で自分に電話連絡を行う状況を想像できない。
ジェシカ?」数ヶ月前の一連の出来事を思い起こした。

 クインは仕事上の悩みからカウンセリングを受け始め、更に夫のケネスも同時に受けるようになったと聞いた。
 夫婦が二人でカウンセリングを受けるうちに、悩みの源を辿ると娘のジェシカに行き着いた、と言う。
 アルバートがそう話を聴いた時には、既にクインは憔悴しきっているのが声からも伺えた。
ジェシカの様子がとても心配で……いい子なの、手を焼かせることもなく
『本当に不思議なほどいい子……
『それが……「いい子すぎる」というのか、悪いことじゃないの、でも……「子供らしく無い」のよ。こんなことを言っていいのか、……「すでに分別のついた大人が、娘の中に入り込んで娘を演じている」ような。
『間違いなく娘だという確信が持てなくて』
 不穏な妹の様子を知らされ、ケネスの話も聞きたいこともあり約束をした。彼らの家の夕食の招待を受け、そこでジェシカの様子もそれとなく見させてもらうように。
 アルバートの職場のある街から少し離れた郊外にある彼らの住まいは、心地よく整った家で、程よく風通しのいい、傍目には問題のない家だった。彼ら家族が順当であるように……
 夕食に訪れた日、家に到着したアルバートは先に姪の顔を見せてもらうことにした。クインに案内され階段を上がり二階、彼女の部屋の前に通された。クインが声をかけてノックすると、内側から扉が開けられ小柄で血の気のない少女がこちらを見ていた。
ジェシカアル叔父さんだ。お母さんのお兄さんだ、覚えてるかな……今夜はディナーにお呼ばれしたんだ」
 きょとんともせず、何の感動も反応もなく、だが返事だけはした。
「こんにちは、ようこそ」
 声色は確かに小さな少女だが、挨拶のトーンは大人びていて確かに「子供らしくない」。
背後の部屋も整頓され物も少ない。
 だが部屋の中央の床に妙なものを見つけた。トランプの札で「家」を組まれている。……アルバートは違和感を感じた。それは三角形で積んでゆくピラミッド・タワー型のものではなく、垂直に札を立てて四方に囲った壁にしてそれを積み上げてゆく。
 それだけでは何とも言えないのだが、三角型のゲームめいたものよりも、微細な模型を作るような、「子供の遊び」とは違うものを感じた。
「かっこいいね、それ。誰のおうちかな」
 微笑して言ったがジェシカは「ありがとう」と答えて、それだけだった。
 アルバートクインとリビングに来た。
「ご無沙汰してます」待っていたケネスと握手をし、並んだ夫婦と向き合ってソファに座った。ケネスは働き盛りの若々しい男なのに、今は表情に快活さが見られない。二階の部屋に届かぬ程度の声の会話を心がけながら二人にここまでの一通りの経緯を尋ねた。
「何か特に妙なことがあったりしたのかい」
 二人は目を合わせ暫く対話が途切れた。
「笑うかもしれませんが」ケネスが躊躇いながら言い始めた。「クインが、ジェシカの部屋で妙な……絵というか、図というか、を見かけたそうなんです。ジェシカが学校に行っている間に、部屋に置いてあったスケッチブックを、開けて、中に挟んであったって」
「あの子の様子がおかしくなった気がして。何か原因が判かるかもと」クインが弁明を挟んだ。「盗み見はもちろん、本当ならやるべきではないと分かってたんだけど」
 間が空いて途切れた。話してしまうのを恐れているかのように。
「何があったんです?」アルバートは急かした。
「……絵というか、図案みたいなもので」口ごもりつつクインが答える。「何か古い時代の、呪文みたいなものと、星の形と。……悪魔崇拝のような、とっても不穏な図案で。それが……娘が描いたものではないような……スケッチブックの一枚なのは確かなのです。ただ、子供の描いたのではなく大人が描いたような、かっちりしたもので、別の誰かが描いたかのように」
「プロの、大人の描いた絵?」
「絵描きの絵というより」引きつった表情のクインは考えつつ答えた。「『本物の絵描きの絵』ではなく、『本物の悪魔崇拝者の大人が描いた絵』、のような」
 階段の方に音がして、ジェシカがリビングに顔をのぞかせた。
ジェシカ。お土産のケーキがあるんだ。夕食の後のデザートをお楽しみを」
 アルバートは先ほどまでの話題の素ぶりを微塵も見せずに気さくに声をかける。ジェシカはうなづいて、父親に勧められるままにソファに座る。クインケネスがキッチンに立つ。ディナーの準備と、当たり障りなくアルバートジェシカの会話をさせるために。
 その日、ディナーの終わるまでアルバートジェシカの様子を観察していたが、紗をかけたような違和感があるのに、確信ができるものを何も見つけられなかった。
「いずれ、ジェシカはまず児童専門のカウンセリングを受けてた方がいいのかもしれない。素人だけの判断はさすがに危ういだろう」
 夕食を終えて帰宅したアルバートは、その夜半にクイン宛のメールを発信したが、末尾でそう結論づけた。
 クインからの返信は『実は夫婦で受けているカウンセラーからアドバイスでも既にそういう勧めは受けていました、ジェシカにそれとなく水を向けてたがなかなか難しかった、しかし兄さんからの助言で踏ん切りがついたので連れていくことにする、ケニイも同意してます』……といったものだった。

 彼らの家に到着した。路肩に車を駐めてアルバートは周囲の様子を伺った。静かな、平穏な住宅地だ。距離のある路上に地域の住人らしき老人が歩いてるのが見える。周辺を見た限りでは、異変の痕跡はない。
 連絡を受けてから三十分ほど……警察への通報をせずに来たが、果たして正しかったのか。
 ドアの前に立ちベルを押すと、扉が開けられてクインが出てきた。
「急いで来たんだクイン、どうしたんだ」
「ごめんなさい、いきなり」心が抜けたかのようにクインが言った。「ケニイジェシカが……とにかく入って」
 ぎこちない声でアルバートを招き入れ、リビングに通した。ソファにはケネスが座っている。
ケニイ。大丈夫か」
 彼は凍りついたかのように座って正面を向いたまま動かない。まぶたも開いたままで、うっすら口に隙間があるが、何も喋る気配がない。蝋人形になったかのように……
 答えがないので振り向いてクインに尋ねた。
「どういうことだ、医者に連れていくべきなんじゃないか」
 クインは答えずソファに座り、そしてケネスと同じように目を開けたまま、蝋人形のように動かなくなった。
クイン?」声を掛けても動かない。「ふざけるのはやめてくれ。何の真似だ」
 少しも動かないのに業を煮やし、アルバートは携帯電話を取り出した。
 突然、出した携帯電話の呼び出し音が鳴った。タイミングでドキリとしたが、気を落ち着かせて一旦連絡元を確かめようと表示の発信元を見て今度こそ胸が冷えた。
クイン
 目の前の妹は座ったままで凍りついている。
着信を受け耳に当てる。無言の中に微かな息遣いと物音と。
 ……奇妙な空気感を感じ、はっとしてリビングの一角を見た。隣室に続く出入り口にジェシカが顔を半分出してこちらを見ていた。受話器の微かな息遣いがステレオのように増幅していた。
 ジェシカが顔の全てを見せた時、クインの携帯電話を耳に当てているのが分かった。
ジェシカ」声をかけると身を翻して駆け出した。
ジェシカ!!」強い声音で叫びながら立ち上がり跡を追った。
 廊下に出て……耳を澄ましてジェシカのいる方向を探った。パタリパタリと階段を駆け上がるのが分かった。アルバートは階段を駆け上がり二階に上がった。
 クインに案内されて挨拶をした時のことを思い出し、ジェシカの部屋のドアの前に立った。
「ふざけるのはやめなさい!!」怒りを含んだ声でドアを叩いた。「その電話を渡しなさい!!」
 部屋の中から音はしない。ノブを握ると抵抗なく回転し、ドアは開いた。室内には昼間なのに明かりがつけられている。正面の窓のあった場所に厚紙が当ててあり、外光が塞がれていた。そして中央にあるテーブルにあのトランプカードの家が組んであるのが見えた。
ジェシカ、出て来なさい」
 中に入り、室内で身を隠せそうな物陰に目を配り彼女の姿を探した……
 瞬間、室内の照明が突然落ちた。背後からの唯一の光でアルバートの前に彼自身の影が出来た。その影に更に背後から小さな人影が重なった。振り向く前にドアが閉じられ、背中を強い力で突き飛ばされた。

……痛みをこらえて、立ち上がろうとした。ドアが閉じられて全ての外光が遮断され、室内の照明も消されてしまい、何も見えない。 上着の内ポケットを探り、普段から携行している小指大のフラッシュライトを取り出し、点灯させた。
 奥行きがおかしかった。闇になる直前に見ていた室内の光景ではない。正面には真白い艶やかな壁がある。白地の滑らかな壁面の上に、黒い模様がある。ライトをずらして表面をよく見る。トランプのマーク、クラブだ。自分の側面を照らすと似た白い壁面があり、その上には赤いダイヤのマークが描かれている。
 頭上を照らすと白い壁面には赤と黒の四つのマークがそれぞれ配されたカードと、背面の幾何学的な裏模様の壁面がアルバートを囲んでいた。
 アルバートは理解した。ジェシカの室内の……テーブルに建てられたカードの家の中に、入り込んでいるのを。周囲を照らしながら切れ目を探したが、出られるほどの隙間もなく、立っているカードを押しても叩いても、少しも動かない。
 いきなり、周囲が歪み、周囲の壁と天井が傾いて、全てが床面に向けて落ちて来た。
 アルバートは口が大きく広げ、野生の獣のような絶叫をしようとしていた。だが、声は全く出ないのだ……

 卓上のカードは、今や全て平らに均されて乱雑に撒かれ、乾いた室内照明の下に音もなく照らされている。
 ジェシカは表情の無いままにカードをかき集め、ひと山にまとめ側面を綺麗に揃えて、ケースに収めた。
 階下のリビングに、蝋人形のように三人がソファに座ったままでいる、動くものが何も無い。

 まるで写真のように。

[2021年(令和03)03月31日(水)]

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