Vol.34「今こそ、たまり場コミュニケーション再発見」

こちらは冴沢鐘己 公式メルマガを記事ごとにアップしたものです。
価格:¥550/月(税込)
毎週 火曜・金曜日(年末年始を除く) 発行予定
形式: PC・携帯向け/テキスト・HTML形式
購入リンク: https://fmgig.official.ec/items/23778242

新型コロナウィルス騒動もなかなか収束しないまま3月も終わり、いよいよ新年度に入りますが、いかがお過ごしですか。京都は意外とまだ長閑です。桜がまもなく満開。

ただでさえいろいろ区切りの時期なのに、世界規模で価値観が変わろうとしているわけで、古い思考もばっさりとアップデートしないといけないよということかもね。

一口に「古い思考」と言っても、個人レベルから国家規模まで様々。日本では、ほとんどの法律が50年以上前から変わらずにきてるせいで、現実になかなか対応できない局面も多いみたいですね。そもそもインターネット文化にすらまともにアダプトできないみたいだし。

個人レベルで言えば、なんといっても“コミュニケーション”ですよ。

無骨な黒電話からオシャレなプッシュホン、留守番電話にポケベル、携帯電話ときて、メールにスマホにメッセンジャー。

ツールが変わるに従ってコミュニケーション方法が変わるのも当然。いや、方法というより、概念そのものが変遷してってるのよね。

面と向かって1対1で話すのを起点と考えるなら、文明誕生の頃からずっと、距離と時間が比例するように、コミュニケーションにはライムラグやブランクが発生したわけです。

「明日、一緒にランチしよう」と伝えるのにも、必ずワンクッションもツークッションも必要でして。家に電話しても本人がいるかどうかわからないし、家人に伝言を残すにしろ留守電にメッセージを入れるにしろ、返事を受け取るまでしばらく待たなきゃならない。

携帯電話が登場して直接繋がることができたとしても、相手がすぐにとってくれるかどうかはかけてみなければわからくて。メールがショートメッセージになり、やがてLINEでとにかく“既読”が確認できるようになり、チャット状態になってやっと、どんなに距離が離れててもリアルタイムでの意思の疎通が可能になった次第。

もはや映像もリアルタイムになって、ようやく僕らは昭和の時代の夢だった「テレビ電話」を手にしているのです。そう考えるとすげえ。

でもねえ。便利っちゃあ便利だけど、じゃあもうわざわざ会いにいくのをやめて全部「テレビ電話」で済ませる?

折しも、感染の危険性から通勤や通学を控えてのテレワークが一気に日常化しつつある中、それを「理想の生活スタイル」として、僕らは受け入れられるだろうか。

朝起きてから寝るまで、下手すりゃ一歩も外に出ず(せいぜい近所の散歩や買い物くらい)、部屋の移動くらいで仕事も食事も風呂も休息も済むようになって、はたしてそれをずっと続けれるだろうか。

少し話を変えて、インターネットラジオについて考えてみましょう。

普通にいわゆる「ラジオ」を始めようと思うと結構ハードルが高かったのが、インターネットの普及で「ネット配信」が可能になってくると、一気にラジオがカジュアルになって、約20年くらい前から各地にインターネットラジオがわらわらと立ち上がりました。

fm GIGもそのひとつ。

でも、当時から今まで続いてるのはほぼ無くなったねえ。個人や少人数でやってたところは、一時どんなに人気を集めても、なかなか10年を超えては続いてないのよね。

ウチ(fm GIG)がなんで20年も続いたかって言えば、やっぱり“わざわざ出かけなきゃならない”システムだからだと思うのです。

やろうと思えばね、わざわざどこかに予定を合わせて集まらなくても、それぞれがパソコンやスマホを持っていれば、今となっててはそれぞれの自宅から配信したり収録することも可能なわけです。その方が圧倒的に効率的で気楽よ。

でもねえ。それでは続かないのよね、なかなか。人間というのはほんとに厄介なもんです。

コストがかかっても、面倒でも、いろいろややこしいことが起こっても、それでも定期的にわざわざ集まるからこそ、続けるルーティンとモチベーションが生まれてくるのよ。ほんとに。

さらには、必要な時に必要な人とだけ連絡を取るのではなく、まったく接点はなさそうなのにそこにいるから会話をする、という偶然性も意外と重要。けっこういい刺激になるのよね。

あと、行かないと誰かに迷惑かけるとか、あるいは誰かに“いいところを見せたい”とか、そんな泥臭い人間関係も大事。

その昔、移動するのにもどえらい時間とコストがかかるがゆえ、地元を中心とする小さなコミュニティが当たり前だった頃は、“たまたま同じ町内で暮らしている”というだけで否応なく毎日顔を合わせてコミュニケーションをとってました。

小さな摩擦は当たり前。ぶつかったりわかりあったりのあれこれがエピソードを生み、ドラマになり、共通の思い出となってさらに絆を深める。まさに、落語や昭和の下町ホームドラマの世界。

やがて、移動のスケールが大きくなって人のコミュニティがどんどんグローバル化すると、話の合わない人とわざわざ接する理由がなくなるのでコミュニケーションの専門家、先鋭化が進み、それが断絶を産むようになって。

世代が変わるだけでも、もはやまったく話が合わなくなってしまったわけです。「誰もが知ってるヒット曲が出なくなった」ってやつですな。

ところが。

この20年間は、

ここから先は

1,187字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?