見出し画像

日々よしなしごと~喫茶店のよろこび~

まちなかで喫茶店を始めて今年で5年目。

私はずいぶん昔から喫茶店をするのが夢だった。といっても一途に思っていたわけではなく、心のどこかにずっといつかできたらいいな、くらいの夢だった。銀行に勤務し、なぜかミニシアターのチーフになり、そこが休館することになり、ふっとひらめいたのが喫茶店だった。

それまで、もしも喫茶店するとしたら・・とロケーションや店内の設計図や雰囲気はいつも妄想していたのだが、始めたお店は、かつて自分が客として来ていた大好きなお店。素敵なブティックの二階にあって、オーナーが自分が欲しいCaféという彼の理想を形にしたお店だった。ブティックが忙しくて開店休業のような状態になっていたのを、貸してもらえないかとお願いに行くと二つ返事で了承してもらい、破格の家賃の交渉にも応えていただいた。

そんなこんなで開店した喫茶店は、かつての名前のまま、店主が変わるだけで内装もほぼ同じ(一部はオーナーのこだわりをさらに作りこんだけど)でスタート。かつてのお店のように厨房設備の関係と、ひとりでやると決めたこともあり、ドリンク中心の食事はなしの喫茶店。

ちなみにカフェと喫茶店の違いって、よくわからないけど、私のお店はCaféと名前は付いていても『喫茶店』と言っている。私のイメージの中ではカフェはもっとオシャレで料理のメニューも豊富で華やかな感じ・・・じゃないもんな。素敵なお店ではあるけれど。


かつて銀行に勤めていた頃は、職場から家に帰る途中に必ず30分ほどお茶しつつ本を読んで帰るのが日課だった。そうやって家に帰る前のスイッチの切替をしていたのかな、と今なら思う。もし、毎日のように気兼ねなく行けてくつろげる喫茶店があれば、おそらくは常連になっていただろうと思うが、周辺にそんな店はなく、行っていたのはチェーン店だったけど。

ただし、常連になっても適度に放っておいてくれるお店であることが重要。店主と世間話をしに行くのが目的でもないので、この『適度に放っておいてくれる』というのは大事な要素なのだ。

だからこそ、チェーン店の方が気が楽という人もいるのではないだろうか。

先日朝のNHKラジオで、あるカフェ店主のお話しで、カフェはサードプレイスという話をされていた。家でも職場でもない場所、その隙間にあって素の自分になれる場所。私のように職場と家の中間になる場所なのだそうだ。私もサードプレイスで過ごすことで仕事脳をリセットしていたのだと思う。そこでの過ごし方は、本を読む、スマホを見る、あるいはお店の人との世間話もあるだろう。

当店は今のところ、閉店は17時にしているので会社帰りに寄っていただくという場所ではないけど、サードプレイスというのはとても共感できる。そんな風な場所として時に長居をしてもらっても構わない。

随分前のドラマで、北海道の森の中にある喫茶店で、自分でコーヒーミルを挽いたのを淹れてもらうというのがあった。一時流行ったような気がするけどなんだか面はゆい演出でそこまでしなくとも・・・ね。

かつて街の中にはいっぱい喫茶店があって、それぞれお気に入りの店、常連の店があったような気がする。おしゃべり好きな店主も寡黙な店主もいたけど、喫茶店はいつもそこにあっていつでもいける場所だった。当店のように11時から17時までで、しかも定休日が2日間もあるなんて、本来喫茶店の風上に置けないのかも。

そんなルール違反も承知で喫茶店をやっているのは、もうすでに喫茶店は街の絶滅危惧種になりつつあるから。とはいえ滅亡から救え!と大いなる使命を持ってる訳ではもちろんない。そんな力ないですから。

せっかく喫茶店やりたい!っていう夢も叶ったことだし、毎日暇な店でnote書けるくらいだとしても、それなりの楽しみもある。時々のお客様とのおしゃべりも楽しく気づきもある。花を飾る楽しみだってある。街の様子を毎日のように肌で感じることもできる。お客様がホッとくつろぐ様子にこちらもホッとしたり。

なにより、こんな何でもない時間を過ごせる場所が街中には必要じゃないかなって思う。いっぱいお金をかけてできた新しいおしゃれなエリアや話題のスポットもいいけどね。

でも、いつものあの場所のあの席に座って、ゆっくりコーヒー飲んでボーっとしたいって、やっぱり思うんじゃないかな。

それが喫茶店なんだなって。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?