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自己犠牲が気持ちいいならそれでOK!?「自分の幸せとは何か」を考える

オリジナル記事掲載日:2020年10月27日

先日、友人とうっかり朝まで
座談会をしたのですが。
その中で気になる発言がありました。

「自分は自己犠牲が好きなので、
相手のために動くだけで満足で、
そこで完結してるんです。
相手がどんな反応をするかは
関係ありません」

* * *

わたしはこのブログで再三、
「自己犠牲すんな」
って話をしています。

というのは、自分が
「自己犠牲を重ねると
苦しくなるタイプの人間」
だからです。

だから、
「苦しいなら、
自己犠牲やめましょ」
と言っています。

しかしあなたが、
「自己犠牲サイコー!
自分の身を削って
尽くせば尽くすほど
高揚感に満ち溢れて
幸せになれます!」
というタイプの人なら、
別に自己犠牲してもいいわけです。

っていうか、どんどんやってください(笑)。

つまるところ、大事なのは
「何をするか・しないか」
ではなく

「何をすると自分は幸せか」

なんですよね。

* * *

自己犠牲をして苦しくなる、
つまりわたしのような
タイプの人って
「ウケ狙い」が好きなんですよ。
人が笑ってくれたり、
よろこんでくれると嬉しい。

だから自己犠牲した結果、
相手がよろこんでくれないと
苦しくなるのです。

「ウウ〜ッ!
ここまでやったのにぃ!」
ってなっちゃう。

だからわたしは、極力
「自分がやりたいこと」
しかやらなくなりました。

自分が勝手に
やりたいことなので、
それをやった結果、
相手がよろこばなくても
まったく関係ないのです。

笑ってくれたり
よろこんでくれたら
それはそれで嬉しいけど、
まあ「オマケ特典」
みたいなものですね。

わたしがやりたいことなので、
それをやった時点で完結、
満足できるのです。
相手の反応は関係ない。

* * *

と、ここまで書いた時点で、
わたしは友人とまったく
同じことを言っているじゃないか、
と気づきました。

「自分は自己犠牲が好きなので、
相手のために動くだけで満足で、
そこで完結してるんです。
相手がどんな反応をするかは
関係ありません」

つまり友人にとっては、
「自己犠牲」
イコール
「やりたいこと」
なんですね。

なんだ、けっきょく
「やりたいこと」をやれば
人は幸せなのか。笑

あなたが、
相手がどんな反応をしても
ぜんぜん気にならない、

「やった時点で満足できる」
「やった時点で完結できる」
「やった時点で幸せになれる」

やりたいことって何でしょうか?

ごきげんよう、さようなら。

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