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高圧的なオジサンが嫌い-高圧的にならないために何をすべきか

わたしは普段「嫌い」という言葉をなるべく使わないようにしているが、もうこればかりは無理だ。本音を隠すのはやめよう。
高圧的なオジサンが嫌いだ。

たぶん、父が高圧的なオジサンだったからだと思う。わたしの両親はわたしが1歳の頃に離婚し(もちろん記憶にない)、その後、父に会ったのは確か22歳くらいなので、わたしは21年くらい父と会っていなかったことになる。

父は、21年ぶりに出会った当初は甲斐甲斐しく世話を焼いたり、お金を出してきたり、優しくしてきたりしていた。
が、慣れてきた頃に

・理不尽にキレる
・自分のことしか考えない発言が増える
・突然の放置
・他人を見下す発言ばかり


という本性が出てきた。

これは結構「高圧的なオジサン」に共通する特徴で、最初はなんか多めに金を出したり世話を焼いたり甘い言葉を言ってきたりする。

が、最終的に謎のブチ切れや拗ねを出し、「お前がダメだからこうなった、自分は悪くない」「お前の能力が低いからこうなったのだ」的なことを言ってくるのだ。

たぶん「金を出したり世話をしただけの見返りがなかった時」にそうなるのだろう、と推測している。
(でもこれは男性に限らず、女性でも一緒。個人的観測では、男性の比率が高い。)

ところで心理学の世界には、
「自分が嫌いだと思った人は、自分に似ている所がある」
というイヤ〜な言説がある。
わたしも初めてこの説を知った時、「イヤ〜〜〜〜〜〜〜!!!」となった。

そう、高圧的なオジサンが嫌いなわたしは、きっと自分の中にも高圧的な部分があるのだ。

そういえば、「高圧的な親が嫌い」と言っていた知人も、その人自身に高圧的な所があった。

「相手に見下された、と感じるのは、そもそも自分が相手を見下しているからである」という話もある。

わたしが高圧的なオジサンに「見下された」と感じるのは、そもそもわたしが高圧的なオジサンを「見下している」からなのだ。

イヤ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
しかしきっと、そうなのだろう。

なるべく他人を見下すような生き方はしたくないので、どんなに嫌いな高圧的なオジサンでも「この人にもいい所はあるはずだ」と思い直し、いい所を探すようにしている。
どんな人間性の人でも、ひとつやふたつはいい所があるものだ。

そういう所を見つけ、親切にもするが、なぜか親切にすればするほど高圧的なオジサンは高圧化する。あと欲求が増大する。「ここまでやってくれたんだから、次はもっとこうしてよね!」となる。なぜだ!

いや、親切にして親切に仕返してくれるオジサンも存在する。
悪いほうが記憶に残りやすいから、そう感じるだけだ。

20代の頃から10年以上このテーマを気にし続けてきたが、未だに「高圧的なオジサン」とどう付き合っていいのか分からない。

しかし初めて記事にした。スッキリした。
こんな記事を書くということは、わたしは意外と「高圧的なオジサン」が好きなのかもしれない。(オゲ〜〜〜〜〜〜〜)

そういうオジサンと付き合わなくていいように、予防策を張りまくり張りまくり、やっと少なくなってきたと思ったら、先日思わぬところから「高圧的なオジサン攻撃」を食らって死にたくなった。

(ちなみに上記の文章を読んで「えっ、もしかして自分のこと……?」と心配になった男性は、99%高圧的なオジサンではない。「自分のことを言ってるのか!」と怒りがわいた人は、たぶん高圧的なオジサン。)

高圧的なオジサンはどこにでも潜む。
そう、あなたの後ろにも。

そしていずれは自分も、高圧的なオバサンになっていくのだろう。
もしくはもう既になっているのかもしれない。嫌だ。抗いたい。

けれど「わたしは高圧的なオバサンじゃない!」と思っている人ほど、きっと高圧的なオバサンになるのだ。

高圧的なオジサンが、「自分は高圧的な態度など取っていない」と言っているのと同じように。

高圧的なオジサンやオバサンになって若者に嫌われないために、歳をとっていくわたし達は何をすればいいのか。

いつまでも「自分、高圧的になってない?」と自問していくしかないのだろう。
「自分はなっていない」と慢心した時に、人は高圧的なオジサンやオバサンになるのだから。

※わたしのパートナーのあだ名が「おじさん」なので、それと区別するために「オジサン」という表記を使いました。
魚の「オジサン」ではないです。

◎「嫌いな人が自分に似ている」話はこちらで詳しく解説しました↓


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