トランス女性

誰も排除されないフェミニズムを目指して ー  女子大のトランスジェンダー女性受け入れニュースに思うこと

昨年の8月、お茶の水女子大学がトランスジェンダー女性の受け入れを発表した。

かつて"女性である"ということを理由に、勉強する機会を奪われてきた人たちがいた。大学で学べるのは男性だけ、女性は大学で学ぶことは許されなかったのだ。そんな時代、「性別によって学ぶ機会は奪われるべきではない」という経緯で女子大は成立した。

そして私たちが生きる今の時代において、お茶大が「さらに弱い立場に置かれている人の存在をないことにしない」という宣言をした。その後も、他の女子大が次々と同じような声明を出すことになる。嬉しい流れだ。

だからこそ昨年の夏以来、SNSで吹き荒れる"女性"からの反発に対しては正直大きな戸惑いを覚えた。

たとえば
「女性のスペースに"男性の身体"をしている人が入るのは怖い」
「女装をした性犯罪者とトランスジェンダー女性の区別がつかない」
「公衆浴場にペニスを持った人が入ってきたらどうするんだ!」
など…。

トランスジェンダー女性受け入れのニュースから1年以上が経ったが、その酷い差別は止むどころかさらに過激になっている。

パレットーク編集部では「特定の属性を持つ誰かを、その属性を理由に排除しようとしたり、犯罪者予備軍であるかのような扱いをしたりすることは、差別である」と考えている。そして編集部が掲げるフェミニズムの思想とは、トランスジェンダー女性含め誰も排除・差別されることのない社会を目指すものだということも、明らかにしておきたい。

トランス漫画01

トランス漫画02

トランス漫画03

性犯罪を行うのは"ペニス"か? 建設的な防犯対策を考える

「もしかして暴力の被害に遭うかもしれない」という恐怖は、無視されてはいけない感情だと思う。特に過去のトラウマを持つ人にとって、それは大きな問題だ。

筆者はベルリンに住んでいたとき、スキンヘッドで黒っぽい服装をしている人が近くに来ることがとても怖かった。いわゆる"ネオナチ"と呼ばれる人たちの多くがするとされる服装だったからだ。

ネオナチとは…ナチズムを復興させようとする思想。白人至上主義に基づいて外国人を襲撃するなど、ヨーロッパを中心に問題となっている。

滞在中にも、アジア人男性がネオナチに暴力を振るわれる事件を耳にしたし、「ここのエリアはネオナチが多いから1人では行かない方がいいよ」というアドバイスも数多く受けた。実際にアジア人差別の騒動に巻き込まれたこともあったし、そうした経験から黒い服でスキンヘッドの人が現れるたびに、思わず拳を握りしめていた。

たしかに人種差別的な思想を持つネオナチは存在する。ネオナチによる暴力に遭ってしまった人もいる。時には殴られ、時には怒鳴られ、時には殺されてしまった人がいる。

だけど私は、「スキンヘッドで黒い服を着ている人が全て、アジア人である私に暴力を振るうのではない」ということを知っている。そして何より、"スキンヘッド"そのものが私に対して暴力を振るうのではなく、その人が持つ人種差別的な価値観が暴力を起こす、ということも。

性犯罪に関してもそうだ。もちろん、女性のスペースとされる場所で「どのように性暴力を防いでいくのか」というのはとても大切な話。

でも、"スキンヘッド"が私を殴るのではないのと同じで、"ペニス"が性犯罪を起こすのではない。当然、ペニスを持たない人が性犯罪を犯すケースだって十分にある。ならば、誰かの身体の状態やセクシュアリティから、「この人は性犯罪を犯す可能性がある」と判断しても、性犯罪を防ぐことはできないのではないだろうか。

女性専用車両との整合性について

"防犯のための施策と女性だけのスペース"というテーマが問題になったとき、「女性専用車両についてはどう捉えればいいのか?」と思われる方もいるかもしれない。現に、一部の人から「女性専用車両は男性を排除しているから男性差別だ」という声が上がることもある。

まず大前提として、私は差別について考えるとき、その問題の後ろにどのような"力配分の差"があるかどうか、考えることにしている。

たとえば民族などを理由としたヘイトスピーチについて考えてみたい。

ヘイトスピーチとは、社会にある差別を煽るような表現のこと。だから民族などに基づく差別がある社会で、民族的少数派の人たちに対して「◯◯人は出て行け!」と言うことは、ヘイトスピーチだと言える。一方、日本国内で日本人に対して「日本人は出て行け!」と言っても、日本人がマジョリティの環境では、それはヘイトスピーチとは言わないだろう。もちろんこれがもしヨーロッパの国でアジア人に対して発せられた言葉ならば、ヘイトスピーチになる。

では次に、女性専用車両について考えてみよう。

女性に対して痴漢行為などを行う男性がいる状況では、女性は安全に交通機関を利用することができない。だからこそ、女性が安全に電車に乗る権利を守るシェルターのような役割を期待されて、女性専用車両は作られた。

特に、大阪の地下鉄御堂筋線で起きた痛ましい事件(痴漢行為を咎めた女性が痴漢加害者2名によってレイプされてしまった1988年の事件)を受けて、女性専用車両を求める機運は高まった。

女性専用車両に間違えて乗ってしまった男性が肩身の狭い思いをしてしまうことはあると思う。しかし、だからと言って「それは男性差別だ!」と訴えることは、痴漢問題における〈男性/女性〉の力関係を見逃してしまっているのではないだろうか。

ここで、今回のトランス女性排除の問題に立ち返ってみよう。「女性の性犯罪に遭う危険性を訴えているのだから、排除には当たらないのではないか」と思う人がいるかもしれない。でも今回のポイントは〈女性/男性〉の力関係だけが問題なのではない、ということ。私たちの生きる社会にある〈トランスジェンダー/シスジェンダー〉の力関係をきちんと見ることが大切なのだ。

シスジェンダーとは…生まれたときに割り当てられた性と性自認が一致している人。

日常生活での差別、職場での差別、貧困率の高さ、そして性暴力の被害に遭う件数を見ても、トランスジェンダーはシスジェンダーよりも社会的に弱い立場に置かれてしまっていることがわかる。シスジェンダーの人は、トランスジェンダーの人と比べて特権を持っているということだ。それがシス女性であっても、シス男性であっても。

「女性の"被害者"性」を本質化しないフェミニズム

いわゆる第二波フェミニズムという運動がアメリカで盛り上がったのは、1960年代〜70年代にかけて。当時は、女性のキャリアや自己主張などは"危険なもの"とされ、女子大生の60%が結婚のために大学を中退するという状況があった(岩本裕子『物語アメリカ黒人女性史(1619-2013) 絶望から希望へ』、明石書店、2013年)。

そんな中で第二波フェミニズムは、「夫や子供とは別に自己を持ちたい」と願う白人女性の専業主婦たちの思いが爆発したのだ。

しかし、この白人中産階級の主婦を中心とした第二波フェミニズム運動は、それ以外の女性たち(たとえば黒人女性など)の存在をないことにしてしまっていた。同じ"女性"と括られるカテゴリーの中にも、白人女性と黒人女性では経験している差別や偏見が全く異なる。「女性という点で性差別の抑圧を受けているかもしれないけれど、他の一面では自分たちが特権的な地位にいるかもしれない」という観点が抜けてしまっていたのだ。

つまり〈女性=被害者〉だと考え、自分たちの"被害者"性に根拠をおいた運動を展開することで、女性の間に広がる様々な差異や力関係を隠してしまったということ。

現在の日本で起きているトランス女性排除の動きも、このような〈女性=被害者〉というくくりによって、〈トランスジェンダー/シスジェンダー〉の間の力関係が覆い隠されてしまっているのだと思う。「どんな状況でも必ず女性が被害者だ」ということはありえない。女性の中にも人種的・階級的、そしてセクシュアリティなどの差異が広がり、ある状況では女性も抑圧する側になってしまう。私たちは皆、抑圧する側とされる側の両方に足を突っ込んでいるのだ。

だからこそ、人種的・階級的、そしてセクシュアリティにおいて優位である女性が、より劣位に置かれる女性の声を奪う形でのフェミニズムに対して、私たちは注意深く反省する必要があるのだと思う。

「性暴力に対する恐怖を持つ女性にとって、男性の身体を持った学生が侵入してくるということは恐怖である」

こういう考えを理由にトランスジェンダー女性を排除することは、トランスジェンダー女性を犯罪者予備軍のように扱うトランスフォビアだと言える。しかし〈女性=被害者〉という考え方が、このトランスジェンダー女性に対する差別を正当化してしまっているのだ。

シス女性が性暴力に感じる恐怖それ自体は、絶対に軽視されてはならない問題だ。しかし、その恐怖が重大な問題であるということは、今現在の社会にあるトランスジェンダー女性への抑圧や差別を正当化する理由とはなり得ないのではないか。

これは、アメリカにおける第二波フェミニズムにおいて、ヘテロ女性がレズビアンの女性たちを「女性を性的に見るからフェミニズムの敵である」と排除した歴史を思い起こさせる。

ところで昨年、私はトロントにある小さなセックストイショップを訪れたことがある。今でこそ、ガラス張りのショーウィンドウで堂々とセックストイショップが立ち並ぶトロントだが、そのお店ができた数十年前はまだまだ女性が性について語ることに対して保守的な雰囲気があったそう。だからこそ住宅街の一角に、外からはそれとはわからないような形でひっそりと佇むセックストイショップがオープンしたのだ。ここでは現在も女性が安心してセックスについての情報交換するためにワークショップも定期的に開かれている。

狭い店内にはたくさんのセックストイが並び、スタッフの人がお客さんに対して親切に説明をしている。そして毎週日曜日の午後には、女性が安心してセックストイについて知り、買い物ができるよう、"Women and Transwomen only(女性とトランス女性限定)"の時間を設けていた。

女性のためのセーフスペース。そこに当然のようにトランスジェンダー女性が含まれていることに驚きつつ、私の住む日本で今起きているトランス女性を排除する動きに対してあらためて問題意識を強めた。

(漫画:ちなつ、編集後記:伊藤まり

〈参考文献〉
ベル・フックス『ベル・フックスの「フェミニズム理論」――周辺から中心へ』、野崎佐和、毛塚翠訳、あけび書房、2017年。
岩本裕子『物語アメリカ黒人女性史(1619-2013) 絶望から希望へ』、明石書店、2013年。

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「こうあるべき」を、超えてゆく。をテーマに、LGBTQ+、フェミニズム、多様性について、漫画やインタビューを通して発信しています。セクシュアリティやジェンダーにかかわらず、一人ひとりの選択肢が無限に広がる世界へ。12月の特集テーマは「#今年がんばったで賞をあなたに」。

コメント2件

御堂筋事件に関しては伝聞情報が多く、関連性のある資料は碌にないと見受けられますが。
下記がこちらで調べた調査結果ですね。

https://note.com/okoo20/n/n2dc56e51edd5
https://note.com/okoo20/n/n4efe09258871

また、男性とトランスジェンダーの違いを力関係とおっしゃいますが、トランスであっても男性であっても本質として「男性の肉体」に対する警戒感やなりすましの問題であり、力関係の有無によって反対者は納得しないしできないでしょう。

力関係の有無を指摘したところで、上記の問題は解決しないからです。

https://note.com/okoo20/n/n11b09295cd76

誰も排除されないとしながら、排斥を認めるというのも本末転倒というものですね。
"力配分の差"

これも間違いです。そもそもヘイトスピーチ関連にて、たとえばアメリカの事例を見ても力関係などという限定は加えられてはないです。下記に様々な人種への適用割合がありますのでご参考までに。

https://ucr.fbi.gov/hate-crime/2014/tables/table-5

また、こちらはアメリカの最高裁判決です。HCの適用が黒人から白人に行われた時に認められた事例です。
https://www.law.cornell.edu/supct/html/92-515.ZO.html

はっきりと申し上げますが、あなた方は自分たちのレトリックから一歩も抜け出せてなさすぎます。
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