温又柔

今を生きる"あたりまえ"に乗れない人へ 日本語作家 温又柔の言葉

台湾人の両親の元に生まれ、3歳のときに家族で台湾から日本に引っ越してきた温又柔(おんゆうじゅう)さん。台湾語、日本語、中国語の飛び交う環境で生まれ育った彼女は、自身のルーツや言語に悩んだ10代〜20代を経て今、簡単に区切ることのできない複雑なアイデンティティを複雑なまま受け入れている。台湾人の日本語作家である彼女の文章を読むたびに、私は自身のアイデンティティが大きく揺らぐことを感じ、それと同時に自分自身の中の複雑さを受け入れる、しなやかな強さを知ることができる。

"LGBTQ+"や"ダイバーシティ"、"異文化理解"といった言葉が華々しく踊る現在。しかしそんな華やかな言葉の影でこぼれ落ちてしまう小さな物語がある。
新元号が施行された日本という国で、私たちはどのようにアイデンティティと向き合っていこうか。日本語作家の温又柔さんに伺ってきた。

(インタビュー:伊藤まり

伊藤:温さんはご著書の中で、10代の頃は日本語を書くことが心の支えだったとおっしゃっていました。

:はい、当時は自分とまわりの"普通"がズレていると感じることがたくさんありました。たとえば私は台湾人ですが、日本で育っているので日本語は自分の言葉として身体に染み込んでいます。それでも名前が外国風なので、いちいち説明しないと「あれ?」ってなることが多くて、それが自分にとって重しだったんですね。
逆に学生時代に上海に留学したとき、台湾訛りの自分の中国語を指摘されたり、「日本人にしては上手だけど中国人にしては下手」などと言われたり。それで中国語を話すのがすごく怖くなってしまっていたのですが、そういうときに自分の宿舎に帰って日記を開いて日本語を書いているとすごく心が落ち着きました。

伊藤:誰にも邪魔されることなく自分の言葉を紡ぐことができていたんですね。

:そうですね。そのときは、いわゆる"普通の日本人"のフリをして物語を書いていました。当時の仲良しの友達の名前や苗字を使って。でもあるときから、どうして"普通の日本人"に自分を合わせなくちゃいけないんだろうって思ったんです。そもそも普通なんてものはないって気づいたし、ユリちゃんやリエちゃんじゃなくても、日本語を使っている自分のリアリティをそのまま書けばいいんじゃないかって。

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伊藤:そのきっかけは何だったのでしょう?

:ジワジワと変わっていったのだと思いますが、大きなきっかけは私が22歳のときに開催されたサッカーの日韓W杯ですかね。みんなで日本を応援する空気が強かったときに、私もあたりまえのように日本人気分で応援していたのですが、ふと"日本人なら日本を応援するだろう"っていう空気が息苦しく感じるようになったんです。日本人じゃなくても応援したかったのに、そこに線引きされるのがつらいなって。その経験をふまえ、今は小説家として「アイデンティティは本質的なものじゃない」ってことをみんなに伝わる形で発信しなくちゃな、と思います。

伊藤:アイデンティティは本質的なことではない、とはどういうことですか?

:いわゆる日本人だったり、コリアンだったり、ハーフだったり。もしくは女の人が好きな女性だったり、男性として生まれたけど性自認が女性の方だったり。マジョリティ・マイノリティに関わらずたくさんの"アイデンティティ"があると思いますが、その中身は様々で誰一人同じ人はいないですよね。そういう表層的なアイデンティティの部分だけでは、その人を理解することはできないはずなんです。マイノリティとされる人も本当に多様なのに、べたっとレッテルを貼って「ぼくは在日やハーフを応援してます」「わたしはLGBTQ+の味方です」というアリバイを作るのは怖いなと思います。

伊藤:ただ一方で、私たちの生きる社会にはたくさんの"普通"があって、そこに乗れない人はアイデンティティで深く悩むことが多いです。だからこそ、アイデンティティの一面を軽視することもできないのが難しいですよね。私は国籍について悩む必要がなかったから「国籍なんてどうでもいいじゃん」と言えてしまうけれど、それってすごく暴力的なことだと。

:そうなんです。「台湾人のあなたと仲良くしたい」と言われると「私は台湾人である以上にただの私なのに」と思うけれど、逆に「あなたがナニジンであろうと関係ない。同じ人間じゃないか」みたいなことを言われると「いや、人間と大雑把にごまかさないで。私の台湾人という部分もちゃんと見て」って思うときもある。アイデンティティは本質でこそないけれどゼロにすることもできないから、その相手の大切な一部として尊重する必要はあると思います。

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伊藤:どちらも、目の前にいるその人自身の中に広がる差異を無視して枠にはめてしまっているんですよね。自分とは違う人と出会うことや自分の中にも複雑な差異が広がっていることに気づくことってとても楽しいことだと思うのですが、どうして枠にはめてしまうのでしょうか?

自分の輪郭がしっかりとあって、それが崩れると自分が消えちゃうんじゃないかって不安があるのだと思います。だから、"普通"という幻想にしがみついて自分の根拠にしているのではないでしょうか。そしてその根拠として、"国家"とか"国語"みたいなものが重宝されるんです。私は自分のルーツのおかげで早々に"国家"や"国語"と距離があったから、10代後半ごろからそこには自分の根拠が持てないと思ってきました。だけど、なんとなく大きなストーリーに順応できた人ほどそこからこぼれ落ちたときに何にすがればいいかわからなくて頑なになっちゃうのかなって。

伊藤:令和という元号が発表されたときにも、出典が漢文ではなくて日本の『万葉集』であることが話題になりました。

:私、『万葉集』の、特に山上憶良が詠んだ「好去好来」の歌には特別な思い入れがあるんです。自分自身も朝鮮半島出身の渡来人である億良はこの歌の中で、日本とは「言霊の幸(さき)わう国」、つまり、日本独自の言葉である大和言葉もそうだし、大陸由来の漢文もそうだし、要するに複数の言葉が響き合う、開かれた国としての日本を寿(ことほ)ぐんですよね。「日本最古」の歌集といっても、そこには大陸からの文化がまざっている。その、まざりあっているというのが『万葉集』のすばらしい部分なんですよ。ところが新年号の出典として『万葉集』を紹介するとき、政府はその真逆の態度だったでしょう。「どうだ、新しい元号は純粋な日本の古典からとったぞ」って。そんなことで日本人の一体感を盛り上げようだなんて、我が国の首相は何て愚かなんだろうと思います。あ、ここカットしないでくださいね(笑)

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:その純粋な起源で一体感を持つという空気は、怖いなと感じました。純粋なものを持ち上げることで、そこからこぼれ落ちるモノへの尊重がない。

伊藤:逆にこぼれ落ちない人たちは、そうやって強化されればされるほど安心できるような感覚になってしまう。さらに言うと、元号自体が天皇制と深く結びついたものですが、その天皇制自体について歴史的に振り返って考える空気もあまりありませんでした。

:お祭り騒ぎでしたもんね。時代が変わるってやっぱり気持ちいいじゃないですか。それこそ、いらないものは平成に置いて行こう!新しい時代を作ろう!と前に進むのはいいんですけど、前に進むときに歴史から学ぶ姿勢をもうちょっと取り込んでいく必要はあると思います。歴史って遠いもののように感じてしまうけど、実はいろんなものが連綿と繋がっているんですよ。たとえば私たちが、即位したばかりの新しい天皇皇后両陛下が皇太子夫妻だった頃のことを鮮明に覚えているように、生前退位した上皇が昭和天皇の皇太子だったことを記憶している人たちもいる。もっと言えば、生きていれば100歳を超える私の大伯父は台湾人ですが、彼はその昭和天皇が皇太子だった頃のことを覚えていました。

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:言うまでもなく天皇制は植民地支配と深く結びついているわけです。今回の改元をめぐって、そのことがほぼ話題にされなかったのは少し残念に思います。そうであるからこそ余計に、本質的には差別的な構造である天皇制に絡みとられながらも、生身の人間として上皇と上皇后が、先の戦争に対する反省と慰霊の旅を積極的に重ねたことはあらめて敬意に値することだなと思います。

伊藤:セクシュアリティや国籍などのアイデンティティもそうですが、歴史の中でどのような位置に自分たちが生きているのか、そこから目をそらしてはいけないのだなと感じます。

:そうですね。自分とはどういう存在なのか考えるときには、社会的な位置のほかに、歴史的な文脈の中で考えてみるという作業も重要だと思うんです。そこから学べることも少なくないはずですから。

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:そして、その上で「日本人であってあたりまえ」や「異性愛者であってあたりまえ」といった前提を一つひとつ疑っていくことが大切だと思います。なんとなく使われている言葉で自分の感情をごまかしちゃうと、どんどん本当の感情がないがしろにされちゃう。それが一番怖いんですね。たとえば私が中学生の頃は「いろんな国の架け橋になってね」とよく大人に言われました。それって一見すごくいい言葉だけど、彼ら"オトナ"の望む架け橋って国益のことですよね。その言葉自体を疑うことで、その言葉に取り込まれずに自分を表現したいと思っています。言葉に操られたくないという抵抗としてね。

伊藤:温さんにとって、言葉とは抵抗する対象でもありながら、存在を支えてくれるものでもあるのですね。

:そうなんです。そのためには、雑音的な部分をきちんと大切にしながら表現しなくてはいけないと思います。私は自分を一つの雑音として、私にとっての"あたりまえ"を書くことで「日本人であってあたりまえ」という世の中にとって、別の"あたりまえ"を示したいんです。

伊藤:だからこそ温さんがそのようにして紡ぐ言葉は、世の中の"あたりまえ"に乗れない人に寄り添うことができるのですね。

:そう言っていただけるととっても励みになります。『台湾生まれ日本語育ち』を書いていたときは、日本育ちの台湾人である自分の境遇が、日本と台湾にとってどういうものなのか探究しながら、そういう自分が日本語で読み、書き、生きているというこの事実をどうにか前向きなこととして捉えなおしたい気持ちがありました。要するに、日本人としても台湾人としても半端な自分を肯定するために書いた本なんです(笑)。だけど本が出たあと、「高校生の頃に読みたかった」とか「もっと早くこの本と出会いたかった」というふうに声をかけてくださった方が何人もいて。それで今度は、10代や20代といった、もっと若い読者に直接語りかけたいと思い、この『「国語」から旅立って』を書きました。私の葛藤の過程を描くことによって、今まさに揺れている人が「ここにいていいんだ」って思ってもらえるなら、また私が救われると思います。

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自分の中にある"雑音"を知り、それをそれとして受け入れることは豊かなこと。そしてそんな自分自身のあり方を受け入れられたときこそ、隣の誰かに対しても寛容であり続けられるのではないか。
様々なものにラベルを貼ってシンプルに理解しようとする風潮、そんなものは前の時代に置いていこう。社会の中で、そして歴史のある一点において生きる自分自身と向き合いながら、誰もが多様であることを喜べる、そんな時代を作っていこう。
温又柔さんが紡ぐ柔らかで温かい日本語と出会って、私の「令和」の時代との向き合い方を考えることができた。

(写真:星野泰晴

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