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父に、定年後も書き続けることを勧めてみたら。

教員の父は文章を書く。学術論文や専門書である。そんな父は、もうすぐ定年退職を迎える。定年後は何をしたいのだろう。夢はあるのだろうか。今まで文章を書いてきたという強味を定年後も発揮しつづけ、培った専門知識をより広く発信してみればいいのでは(特にnoteで)と、わたしは思っていた。文章が上手いし、書くことでボケ防止になるのでは? とも考えた。

父に聞いてみた。すると、即「書かない。絶対書かないよ」と笑いながら答えた。

今までの論文に必要だった書籍や自分の書いた本も捨てるそうだ。あら、あっさりと自分の業績をお捨てになり、業界からスパッと引退するようである。

「百姓に俺はなる。」

ルフィのような宣言は気にしないでおこう。確かに我が家系は代々農家である。受け継いだ田畑を田舎で耕すのも結構。しかし、ヘルニア寸前の腰痛持ちが毎日農作業できるだろうか... それに、はっきり言えわせてもらえば農業者の体つきではない。慢性的メタボである。

今ですら整体に通っているのに、田舎に引っ込んでしまえば整体に通うにも、車で往復2時間かかるようになるだろう。長時間の運転の時点で腰に悪そうだ。それに免許は早めに返納して欲しいのだが。溝に落ちるか、崖から落ちるか、どちらかである。心配。

すると、少し間を置いて父は「…最初に書いた本1冊だけ残すかな」と言った。おそらく父が40代のときに書いた本だと思われる。

その頃のわたしは絶賛反抗期で、家に帰るのも億劫で毎日タラタラ遊びまわっていた。ある日、ふと目に入った家の本棚に、同じ本が3冊並んでいることに気がついた。その本の数名の著者の中に、父の名前があった。

父は本を出したん? なんで毎日生徒に授業をしている先生が本を? てか、なんで同じ本が3冊もあるんじゃ、買ったん? タイトルは... 

タイトルの意味が分からなかった。本の中も読んでみたが、さっぱり分からなかった。そしてそれは、わたしが把握していた父の仕事とあまり関係がなさそうだったことにも驚いた。これは、いま考えれば、父の仕事が少しずつ変わっていく予兆なのだが。(そして同じ本が複数冊あるのは著者だからというところも、子どものわたしには知る由もなく)

父は20、30代は薄給だった。看護師だった母からすれば驚きの金額だったらしい(そりゃそうだと思う。)しかし、家族を養っていくために父は少しジョブチェンジをした。縁を頼って職場を変えたり、仕事をしながら資格を取ったりして、ジョブレベルを上げていった。一家の大黒柱は”ジョブマスターへの道”を突き進んだ。「風がよんでる」と、まるでファイナルファンタジー5の主人公バッツのように、全国、世界を飛びまわっていた。

そして現在は、わたしから見れば父はジョブマスターである。仕事柄【言いたいことを言う、やりたくないことはやらない、筋の通らない話は許さない】の3つの最強アビリティを習得しており、要所のボスあるいは内部の裏ボスに挑んできた。長いレベル上げの道中では、敵も味方も増えた。

それが、退職後はジョブを「農家」に変えるわけである。農家のジョブレベルは星ゼロ。せめて「すっぴん」に戻すなら最強アビリティを持った「すっぴんマスター」になるのに…

そして、アビリティ「銭投げ」のように、自分の書いた本たちをエイヤッと捨てるのだ。最初に書いた本1冊を残して。

※ちなみに、前述のすっぴんとは、化粧をしないという意味ではもちろんなくて、ファイナルファンタジーのジョブ名(なんのジョブにもついていない素の状態。)銭投げは、お金を敵に投げつける技名である。

…話を元に戻して。

その、残すと言う最初に書いた本には、父にとってどのくらいの価値があるのだろう。 強く印象に残った思い出の物? 人生の転機となった物?

初めて頑張って創った物に特別な想いが宿っているのは想像できる。わたしも一応は会社員としてメーカーでものづくりをしてきた人間だし、今もnoteにいろいろ書いている。最初の記事は自己紹介だったけど、ドキドキしながら素直に正直に思いをぶつけて書いた。たまに読み返して、わたしは何者か、何者だったかを思い出している。

父は最初に書いた1冊それだけを持って、限界集落を迎える生まれ故郷へ帰っていくつもりのようだ。定年後の人生は意外と長い。父の行く道はこの先どのように続くのだろう。曲がりくねって、枝分かれして、選んだ道が急に行き止まりだったりして、計画通りにはいかないだろう。

しかし、父のことだから「風がよんでる」という感じで自分のしたいことをして、なんだかんだ楽しく生きていくだろう。そしてきっと最初の1冊は道しるべなのだ。それを持って行き着く先が、農家のジョブマスター星3つであることを、わたしも楽しみにしている。


(おしまい)