京大写真サークルDigi*Photo!さんの春季写真展

はじめに

芸術に疎い人生を送ってきました。大学に入ってから色んな事を学んだり、色んな人に会ったりして少しずつ興味を持つようにはなった。ただまだ積極的に行くほどではない。今日京大写真サークルDigi*Photo!さんの春季写真展に行ったのも知り合いの作品が展示されているからで、そうでなかったら多分行っていなかったと思う。それでも行こうと思ったのはやはり興味があるからであろう(特に写真はあまり深入りすると沼にはまるような気がしているので慎重になっている)。しかしそういった感性が乏しい上に知識も全然無いので、感想を書くことは少々躊躇われる(「躊躇う」って読めるけど書けない)。自分の無知をわざわざ晒すのは恥ずかしく思ってしまうが、恥ずかしいのは自分だけなので書いてしまえと思って書いてみる。


写真という作品を見て思うこと

自分が撮る写真は作品ではない。主に記録用である。今日見たような作品としての写真を見た時、いつも気になるのは作者の考えである。今日の展示は色んな人の作品が展示されているので、その趣も様々であった。例えば「景色(自然?)」「場面」「瞬間」などがパッと思いつく。

「景色」は写真が趣味という人以外も好んでよく撮っているイメージがある。ただ作品として撮っている人はその切り取り方がものすごく上手い、のだと思う。例えば特に印象に残ったもので、確か「secret  なんとか(忘れてしまった)」(追記:「Secret Outlook」)という作品があった。これは路地裏のような人が少なそうな場所で、建物に挟まれてひっそりと立つ木が中心にある写真であった(と思う)。後ろは空間があり、空が見えていた(と思う)。こういう素敵な景色を見つけられる素敵な感性がとても羨ましい。この写真を撮った人は、これを見つけた時「これは作品になる」と思ったのだろうか。

「場面」は作品として撮っている人しかほとんど撮らないのではないかと思う。印象に残っているのは「あの日見た景色」(うろ覚え)のような感じのタイトルの写真である(追記:「あの日見た夕日」)。夕焼けのビーチ、逆光で一台の車と女性の影が写っていた(と思う)。ここで車を持ってくる感性、素敵だなぁと思った。あとは「君と一緒ならどこでも最高の景色」(うろ覚え、後半が絶対違う、すみません)のようなタイトルの作品(追記:「君とならどこだって絶景」)。こちらはメインになっている女性のイヤリング(?)がキラって光っていて、背景は普通の景色なのにそこでそんな風に表現できるんだなぁと感心した。これらのような恋愛系のシチュエーションは個人的に好みなので、「わかるー」とか「いいなー」とか思いながら楽しんだ。

「瞬間」は犬の写真が印象に残っている(追記:「ぱっくんちょ!」)。犬が恐らく雪をガブっと噛んで、雪が飛び散っている瞬間を撮ったもの(だと思う)。こういう瞬間を記録できるのって写真の良いところだよなぁと思う。普段私たちが暮らしている世界では当たり前のように時間が流れていて、瞬間は一瞬で流れ去ってしまう。その一番良い瞬間を切り取るのが、この「瞬間」の写真なのだと思う(ここで藤原公任の歌で似たように瞬間を切り取った歌があったのを思い出したので紹介しようと思ったが、検索しても出てこなかった。こういう時にさらっと諳んじられる人になりたい。ちなみに確か川の水の飛沫が飛び散る瞬間を切り取ったもの、わかる人がいたら教えていただきたい)(追記:「石ばしる水の白玉数見えて清滝川に澄める月影(久安百首840)」)。また、逆に止まっているはずの写真で時間の流れを表現する作品もあると思う。それはそれで、動いてないもので動きを表現するなんてすごいなぁと思う。「瞬間」の写真も今にも動き出しそうだという点からは後者に通ずるのだろうか。

こんな風に、作品としての写真を見ると色んな感想を持つ。そして共通して思うのが、「この人たちには世界がどんな風に見えているのだろう」ということである(これは絵という作品を作る人にも同じである)。例えば「桜流し」という作品。これは近くの垂れ下がった桜の枝と窓(?)に反射した桜とが写っており、たくさんの花びらが散っている、まさに桜が流れているような写真であった(と思う)。窓に映っている桜は見事なピンクであるが、話を聞くと元の写真はここまではっきりとしたピンク色ではないとのことであった。つまり、この写真を撮った時にはこの綺麗な景色は無かったということである。作者は窓に映る桜を見て、このような綺麗な作品になると思ったということであろう。写真にすることによって作られる美しい景色、素敵だと思った。そして何気ない(というより普通の人が見過ごしてしまうような)景色からそれを発想できる感性が素敵だと思う。写真を撮る人や絵を描く人には、同じでありながら自分の知らない世界が見えている。こういった芸術に触れる時、いつもそんな事を思う。

今までも似たような事を思っていた。しかし今日少し変わったのは人それぞれ見え方は違うのだろうということ。今までは「写真を撮る人や絵を描く人には、どんな風に世界が見えているのだろう」と思っていた。しかし、当たり前だが人それぞれ感じる世界は違うのであって、見える世界も違うし作品もそれに左右される。今日見た中で特にそう強く感じたのは「wall」という作品(追記:「Wall」)や「たべる」(「食べる」だったかもしれない)という作品である(追記:「たべる」)。前者は名前の通り、壁の写真である。左側に写るビルの壁が、それはそれは綺麗にきっちりと垂直に線を成している。しかし右側のビルの壁はほんの少し曲線を描いている。光の当たり方からして歪んで映っているのではなく、実際に曲がった壁なのだという。本当に何気ない景色だと思う、ビルなんてそこらじゅうにあるのだから。しかし写真という枠に切り取られることで、その直線と曲線が見事な作品となっていた。そしてこの作者は建築学科であるらしい。専門として勉強しているから、これが作品となることに気づいたのだろうと思う。「たべる」の方は、なんと水族館の写真である。水槽の前の女性が両手にスプーンとフォークを持って、「さあ食べるぞー」というポーズをとっていた。このタイトルを見た時、思わずニヤッとしてしまった(ついでにいうと『陽だまりの彼女』を思い出した。水族館に行ったのは映画だけだったっけ?原作にも「お前、ブライアン食ったろ」(うろ覚え)はあった気がする)。この写真で一番気になったのはスプーンとフォークが赤と緑であったことである。背景の水槽の青が全面にあったが、スプーンとフォークが色のおかげで目立っていた。こういう方法もあるんだなぁと感心した。この作者がどうしてこの写真を撮ろうと思ったのかはわからない。けれどもこの発想は個性的だなぁと思った。こんな風に人それぞれ違うんだと思い始めると、有名な作品の「〇〇派」なんていうのも気になってくる。残念ながらまだまだ知識は無いが、今後少しずつでも知識を得ていきたいものだ。


苦手なこと

大した話ではないのだが、こういうところでのアンケートがとても苦手である。感想を書こうと思うと、その内容の稚拙さが恥ずかしくなる。サークルの人たちはそんな事を気にしないのだろうが、書いていて勝手に恥ずかしくなってしまう。これは知り合いがいるからというのもあるかもしれない。かわりに、こんな事を思ったよーというのをこちらに書いておく。

あとは小さな展示会なのでどれほど滞在するかもなんとなく気にしてしまう。二周見るくらいの時間の余裕はあったが、なんとなくそこにいる人たちの目線が気になってしまった。まあこれに関してもサークルの人たちは気にしていないのだろうと思うが。


残念だったこと

この写真展にはとても満足しているが、残念だったことも思いついたので書いておく。ただし、決して悪口ではない。それは後から写真を見返せないことである。例えば博物館や美術館の特別展では必ず図録がある。それを見ることで、後になってもこんな作品があったなぁ、こんな事を思ったなぁと思い出すことができる。しかし今回の写真展ではそれが無く、それゆえにこのnoteもうろ覚えの記憶を頼りに書くこととなった。勿論、図録を出すのは予算や手間の関係で難しいと思う。そこで、ネットにでも良いので上げられないだろうか、と思った。無料にすべきか有料にすべきかはわからないが、一度そのシステムを作ってしまえばそれ以降はそれほど手間ではないのではないだろうか。余計なお世話であるが、そんな事を思った。現に、いいなと思った作品は他にもたくさんあったにも関わらず、どんどん忘れていってしまっている。来年以降の新しい会員が過去の作品を見ることもできるのも良いと思う。


おわりに

今日は久しぶりに芸術作品を見てたのしかったです。少しずつでもこういった事に触れていれば、10年後くらいにはもっと世界が広がっているんじゃないかなぁと思う。あと関係ないが、写真と絵の関係っていうのは面白いなぁと思っている。高橋由一の「鮭」とか、なんていえばいいのかわからないけれど、いいなぁと思う。美術は日本も海外もあって底知れぬ沼だと思うが、自分の心に引っかかるものから少しずつ学んでいきたい。

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