「おカネの切れ目が恋のはじまり」を観た感想

このドラマを観ようと思ったきっかけはなんだったか覚えていません。1話の録画が残っていたから、というだけかもしれません。

このドラマは三浦春馬が出演する最後の作品となってしまいました。その事に気づいたのは3話を観終えた後で、次回が最終回と知ってから気づきました。私は特に三浦春馬のファンというわけでもなく、芸能人やテレビドラマにもかなり疎いので、三浦春馬が出ていた作品は「君に届け」くらいしか思いつきません。それでも一人の人間が亡くなったのだなと思うと、少し寂しさのようなものを感じました。ご冥福をお祈りします。

恐らく大部分が三浦春馬が亡くなってから撮影されたと思われる最終回は、三浦春馬演じる猿渡がいない事を常に意識してしまうような内容でした。その終わり方は賛否両論あるのかもしれませんが、私は特に違和感なく観終えました。まあ急遽予定を変更したものの違和感を突っついても仕方ないかなという気持ちもあります。ただ急遽予定を変更して4話となったことも、恐らく予定変更前だった3話までも、それらをひっくるめて一つの作品である、と私は考えたいと思います。

ここからやっと感想らしいものを。最終話について、まず感じたのはやはり喪失感というか、三浦春馬を失った雰囲気でした。ああ、もういないんだなという事が常に思われました。作品のみに注目するとすれば、3話までの楽しそうだった姿を思い出します。それがかえって猿渡の帰りを強く求める気持ちを起こさせるのかなと思ったり。でも恐らく視聴者は三浦春馬が亡くなっている事を既に知っていて、だとすればやはりこの喪失感は猿渡ではなく三浦春馬なのかなと思います。猿渡の楽しそうな姿は即ち三浦春馬の楽しそうな姿であり、視聴者はやっぱり三浦春馬の事を思慕していたのではないかと思うのです。そういう意味で最終話は上手い作りになっているのかな、なんて思ったりしました。

最終話でもう一つ気になったのがお父さんの話。詳しくは省略しますが、九鬼さんが「今幸せだよ」と言った時、私は泣きました。昔別れてしまった娘が、そして自分のせいで不幸にしてしまったと思っていた娘が、大人になって「幸せになった」と伝えてくれたら、どれほど嬉しいだろうと思いました。ああ幸せでよかったという安堵がやはり一番大きいのでしょうか。私はもちろんまだ子どもがいませんが、お父さんの心に共感して感極まりました。ちょっと早い気もしますが。

そしてちょこっと恋愛の話。色々恋人候補らしき人が出てきますが、私は強いて選ぶなら早乙女さんです。選ぶというとちょっと変かも、別に久喜さんと早乙女さんがくっついてほしいわけでも、自分が女性だったら早乙女さんを好きになるというわけでもありません。んー、先に具体的に書いた方がわかりやすい気がするので、書きます。

まず、早乙女さんはクズだと思います。もう言うまでもなくクズ。色んな点でクズです。でも人間って失敗するじゃないですか。早乙女さんはクズだったけど、その後反省してたのが良いなと思いました。その反省は痛い目にあったからなのかもしれません。普通であれば、それは本質的な反省とは考えにくいものです。でも反省した後の早乙女さんは、一つ反省したんだなと信用できる行動がありました。それは九鬼さんの告白を断ったことです。多分だけど早乙女さんも九鬼さんのことが好きで、好きだから断ったんだなと思いました。好きな人のために好きな人を振るというのは信用できるなぁと私は思いました。この点においてもクズだったらきっと告白を受け入れていたと思うので。私も好きな人のために好きな人を振るくらい、好きな人は好きでいたいなぁと思います。

勿論、これはドラマだからそういう風に作られているのだと思います。じゃあもう少し現実的に考えるとどうなるのかというと、現実では多分、信用を回復する機会なんてありません。クズだな、で終わってしまいます。その後、反省する人もいれば反省しない人もいるでしょう。でも反省したとしてもそれを示す機会はなく、クズだと思われ続けることが多いのではないでしょうか。

ここで視点を逆転。私は人をあまり信用できない方です。それは上の考えにちょっと似ています。人柄を判断する時ってその人の色んな行動を総合的に考えます。勿論人は変わっていくので、その人の印象は変わり続けています。だから悪印象だった人が好印象に変わることもなくはないことです。でもそれってなかなか難しいです。一般的にはバイアスがかかっているというのもありますが、バイアスを出来るだけ除いたとしても、そもそも「反省したんだ!」と判断できるような行動ってなかなか無いからです。反省してないんだなーって思えることはよくありますけど笑。

もっと話を広げてみます。クズからの更生というのは、実際あまり無い話です。しかしちょっとした行動で「この人ってこんな人なのかもな」と思ってしまうことは結構あります。どの程度人柄の判断に影響するかは様々ですが、そういう疑わしい行動って恋愛において結構問題になるんじゃないかと思います。例えばキスって、いわゆるお付き合いが始まってからするものでしょうか、それともお互い好きなら付き合う前でもいいんでしょうか。正直どっちでもアリなのでしょうけれど、私はお付き合いが始まってから推奨派です。なぜなら、その後好きな人とお付き合いをすることとなった場合、恋人を不安にさせずに済むと思うからです。つまり、付き合う前にキスしてしまうと「付き合ってない人ともキスできる人」とも考え得るわけです。いやそれは好き同士だったからじゃん、と反論がきそうですが、恋人がいたら他の人を好きにならない保証は無いだろうと思います。私は多分恋人以外の人を好きになったら浮気せず先に別れると思いますが、自分自身をそのように信じているのは行動からそのように考えているからです。自分を信用するのって簡単で、都合の良いように考えればいいんです。でも心の底から信用するには、客観的に見ようとして信用するには、そういった具体的な所が必要なんじゃないかな、と思います。ちなみに例にキスを出してみましたが、それ以上の事でも別に付き合う前からオッケーとか、恋愛と肉欲は別とか、そういう人もいるんだろうなーとは思います。私はそれはそれで別に一つの考え方としていいんじゃないかなーと思いますが、個人的には上記の「恋人を不安にさせずに済む」という点から大体却下できる気がします。

最後にちょっと個人的な話。私がこのドラマで一番共感したのは3話の九鬼さんでした。好きな人が一番辛い時、好きな人を支えたい。ああ自分もそう思える程度には好きな人を好きだったなぁと思いました。恋で一番辛いのって、好きな人が辛い時なんじゃないかと私は思います。好きな人が辛いのに、自分は何もできないことの情けなさというか腹立たしさというか。でも結局相手が望まなければ自分は何もできないわけで、ああ支えとして選ばれないのって辛いなーと思います。

こんなところでしょうか。実はドラマを観るのって超久しぶりで、多分5年以上観ていませんでした。久しぶりに観て楽しかったので、他にも何か観たいなーと思います。20日(火)から始まるドラマは「甘いものは人を幸せにする」というフレーズを見かけたので、観てみようかなーと思ったり。まあどうなるかわかりませんが、久しぶりにドラマ観て楽しかったーというお話でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?