去年の夏、モンゴルに行った。
行きの飛行機の両隣は子連れのお父さんと、お姉さん。
二人とも日本語が堪能で、2時間があっという間に過ぎた。
私はモンゴルの言葉をろくに知らなかった。

韓国の友達1人とウランバートルのドミトリーで落ち合う。
随分前から知り合いのような気がしていたけど、
会うのは2回目だった。

彼女はとても活動的な人で、色んなことに興味があって色んなことを知ってるし色んなことをしている。とにかく人を惹き付ける魅力のある人。

彼女は日本語が堪能。英語も堪能。語学のセンスがピカイチ。
会話は彼女の日本語頼み。
「韓国語で会話してみる?」
「え、やだ」
即答する私。なんて奴。

モンゴルの歴史博物館。彼女はガイドをつけて説明を聞いてる集団に話しかける。彼らはアメリカの中学校の先生で、研修に来ているという。これもすべて彼女の情報。

寺院、街並み、展望台、しゃぶしゃぶ屋さん、オシャレなカフェ、私と同じ名前の料理屋さんがやってなかったから韓国料理屋さんに行ったり。色々。
モンゴルの雰囲気がとても刺さった。

2日過ぎて、ゴビ砂漠ツアー。
ここから韓国の女子大生3人と合流。
英語が堪能。
「Work or study?」
そんな質問にもしどろもどろな私と。

3人はとても仲が良くて。
彼女は生き生きと話してて。
「韓国語で話せるの、やっぱりいいね」
やっぱりそうか。

舗装された道はどこまでも真っ直ぐ。
空と大地に吸い込まれていきそう。

そこかしこに、ヤギとか、羊とか、ラクダとか、馬とか。
クラクションを鳴らすときはいつも目の前に動物たち。
ごめんね、道を空けてくれてありがとう。心の中でつぶやく。

舗装されてない道は本当に凸凹。
身体は浮いて、気分は沈む。

行く場所場所は壮大すぎて、その場にいる実感がない。
写真撮影に勤しむ姿を横目に、ただ飛ぶ鳥を眺めてたり。
ただ混ざれなかった意気地なし。

ゲルに泊まったり、テントを建てたり。
トイレはネイチャーオアボットン。
たしかに小さいこと気にしなくなる。

ラクダの背に乗る。どこまでも続く大地と砂山。
お尻が痛い。

夕方には砂山に登る。裸足になって。砂に足を取られながら。
ソリをもって。
頂上についたら、ソリに乗って一気に降りる。
思ったより爽快で、楽しい。
一番怖がってた私が一番喜んでる。
なんか自然にみんなで笑ってた。

疲れすぎて、すぐに横になってたりした。
なんか楽しそうにゲームしてるのも分かった。
でも混ざる勇気がなかった。

夜中、外で楽しそうな声。いつの間にか眠ってた。
満点の星空を楽しんでた彼女たち。
ちょっと、いやかなり羨ましい。

どうしても見たい、満点の星空を。
と思ったときには雲が空を覆って。見えなくって。
「今日は無理だね」って諦めて。
3人の楽しそうな声が聴こえて。
起きて混ざろうかと思ったけど、
なんて声かけようとか考えてたら、
いつの間にかみんな寝てた。
のそのそ起きて、見ようと思ったら、
雲がそこにいるだけだった。
ついぞ、満点の星空を見ることはなかった。

夜のモンゴルの小さな町を歩く。街頭は少なくて、犬がそこかしこにいて、車のヘッドライト。
スーパーまでの道のりが、とたんに特別ものになる。

モンゴルのお祭り、花火、どれもこれも華やいで。
彼女たちは優しかったから、ほとんど話さない私に、
諦めずにそっと話しかけ続けてくれたけど、
私にもっと語る言葉があったら、
あの時こうできたのに、って。
うじうじ後悔したりとか。

でも、色んな景色の中に、溶け込んでいく会話を、
今でも反芻できる。
道を歩いてるとき、バスを待ってるとき、
テントの入り口に腰掛けながら、
舗装されてない道で身体を揺らしながら。
名前について、自分の過去について、社会や歴史について、
好きなものについてエトセトラ
それらは、日本語だったり、拙い英語や韓国語だったり。
伝わってるつもりでも伝わってなかったり、するかもしれないけど

この旅の経験を繋ぐ、重要な人に朝の6時に会うことが決まって。その日の予定を変更して、お話が聞けたりなんかして。

最後に「はじめて日本語で手紙を書いた」って
くれたハガキにちょっとうるっときたり。

何かが大きく変わるとか、そんなことはなかったけど。
あの時流れた時間は、今の私の一部となって、形作り続けてる。書ききれない些細な出来事がなんか今でも面白い。
これをいつまで覚えていられるだろうか。
これをいつまで思い出せるだろうか。

私は彼女とまた旅に出たい。彼女はもううんざりかもしれないけど。その時には、伝えられる言葉をもっといっぱいもって。