『パラサイト』の快挙に対しての「アジア人として誇らしい」という感想について
『パラサイト 半地下の家族』という映画が、第92回アカデミー賞において花形となる作品賞を含む四部門にて戴冠を果たした。
これはまさに一大事件です。なぜなら、完全外国語映画がアカデミー賞作品賞を獲得するのは第92回にして初めてのことだからです。
このニュースは世界中を席巻しました。当然、日本も同じで、Twitterを見てみるとこの快挙に対して様々な声が挙がっているようでした。
どう様々なのかはさておきまして、ここからが本題です。
『パラサイト』の快挙に湧くタイムラインの中で、こういう意見が私の目に留まりました。
「『パラサイト』の一連の受賞について、私たち日本人が自分たちの手柄のように「同じアジア人として誇らしい」という感想を抱くのは、どうなの??」
というものです。このような声は少なからず散見され、同じ旨のツイートがバズっているのも確認できました。多くの共感を呼んでいる証拠です。
このnoteの論旨は、こういった意見について私個人の見解を交えまして、再考してみようというものです。
結論から言いますと、私は日本人が一連の受賞について「同じアジア人として誇らしい」という感想を持つことは、非難されるに値するものではないと考えています。
ということで、私のこれから書く内容は概ね上記の意見についての反駁みたいなものになりますが、決してそれらを否定してやろうという意図はないので、そこだけ承知していただきたいです。
まず、私のスタンスだけ表明しておきましょうか。
正直な所、「アジア人として誇らしい」と思っているのは事実ですが、それと同時に日本の映画界については否定的な目で見ています。
偉そうなことを言っているのは承知の上で、この『パラサイト』の成功に日本映画の作り手たちも学ぶべきことが多いと考えます。
学ぶべきことってなんだよ、って思われてそうですが、それはまた後述いたします。
それでは、私の主張の論拠について述べます。
「アジア人として誇らしい」という感想に否定的な方々からは、韓国映画と日本映画を一緒にしてやるな、とへりくだる意図を感じます。事実、歴史や流行、文化、映画産業にかけているお金などは大きく異なっています。
しかし日本からではなく、世界から見て、日本映画と韓国映画は「アジア映画」として同列の文脈で語るという傾向があることは無視できないのです。
一旦話を転換して、完全外国語映画が作品賞を獲得するのになぜここまでの時間がかかったのか?という点に目を向けましょう。
様々に要因は考えられますが、一番は作ることが可能な話の幅がまるで違うからだと思うのです。
日本で言えば、ハリウッド映画と比べ日本語という言語を使う以上大抵の場合日本国内しか描けませんし、扱える題材の選択肢もそれに応じて狭まります。その題材自体の規模もより小さいでしょう。
韓国映画と日本映画は同じアジア映画だというだけでなく、その「国内で扱える題材」という条件面で両国の映画は非常に近しいのです。
だとすれば、日本と持つ武器はそう変わらない韓国の映画がアイデアと演出を究極まで凝らしてオスカーの歴史に風穴を開けたという事実は、日本の映画もそこまで到達可能だと示していると考えてもよいと思います。
そんな希望の到来を喜ばしく思うことが間違っているでしょうか?
私はそうは思いません。
とはいえ、すぐ日本が『パラサイト』のようにアカデミー賞作品賞を獲得できるレベルの映画を作れるとも思いません。
前述した「学ぶべきこと」というのは、『パラサイト』でのポンジュノ監督を最大の成功例として、題材となる最小単位をいかに拡大して描き出すかという方法論であり、ノウハウなのです。
そもそもですね、「アジア人として誇らしい」という感想に対する指摘も、大いに一理あるのです。
「アジア人として誇らしい」という言葉は、過剰な解釈かもしれませんがこういうニュアンスを含んでいると思います。
「韓国の手柄=アジアの手柄=日本の手柄だ!!!」
やっぱり、こんな風にそっくり思っている人がいるのなら、それは非難されても擁護のしようがないと私も思いますよ。
でもそんな人は、ごく一部なんじゃないでしょうか。非難している人たちは、そういう上記のようなニュアンスを過敏に感じ取っているのだと思います。
過敏であることが悪いとは言いません。そんな神経を育むことになったのは、日本のメディアの責任なのですから。
なんでも「日本はすごい!」に持っていこうとする報道の仕方は度々ネット上で取り沙汰されるトピックで、それを是としないスタンスを持つことは非常に健全な拒否反応です。
「アジア人として誇らしい」に対する非難は、その機能がしっかりと働いている証拠なのです。したがって、正しい正しくないではなく、その批判は問答無用で棄却されるべきではありません。
私の言いたい事は以上になります。読者の方々にはこのnoteを
・今回の日本での『パラサイト』ムーヴメントをより正確に捉え、
・日本映画と韓国映画の現在地をしっかりと認識し、
・「日本万歳」から脱却するための意識を涵養する
きっかけとしていただければ幸いです。
読んでいただきありがとうございました。
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