卓上の溝をなぞってみる

【TRPGの話をするよ】
 まず、ぼくはTRPGが好きだ。楽しいので。そしてそれを遊ぼうとすると必然、人と関わることになる。それで時々、楽しいとか楽しくないとかではない、明確な違いを感じることがあった。なんだかわからないけれど、ぼくと一緒に遊んでいるこの人は、ぼくと違う遊び方をしている……という確信。なんとなく気持ち悪かったそれに、一個の回答をつけることができてスッキリしたので、メモがてら書き残しておこう。

【コンテンツごとの特色の差と、プレイスタイル】
 ぼくは本が好きで、ずっと本ばかり読んでいた。そしてほとんどゲームをしなかった。最近になってゲームをよくやるようになったのだけれど、そこで気がついたことがある。楽しみ方が根本的に違うのだ。

 本を読むときはぼくは、書かれていることを追体験している、という気分になる。誰か、何か、自分とは違うものが動いていくのを、一緒に見ている。それは大体の場合、自分とは違うものだ。自分以外の経験を分けてもらったような感じだ、とぼくはいつも思っている。物語に没入して、一体になる感じがする。
 ゲームはどちらかというと、自分自身というものに重きを置かれているように感じた。ポケモンやアンダーテールなどをやったからかもしれないけれど、「あなた」と語りかけられるプレイヤーの存在がとても大きいように思ったのだ。自身の選択でストーリーが動いていく感じ。没入というより、自分と地続きのところにキャラがいて、くっついて離れないような感じがした。

 そしてTRPGの話だ。
 TRPGがどちらに似ているとは、ぼくは言い切れない。そもそもがテーブルトークロールプレイング「ゲーム」ではあるのだが、同時にそれは、テーブル「トーク」「ロールプレイング」ゲームでもあるから。会話、それに役割演技の持つ意味は大きい。

 まずぼくは、キャラクターを物語のために動かす。キャラクターの個性や、ぼく自身の考え方の癖などももちろんあるけれど、すべては物語を進め、(どんな形であれ)完成させるために動かされるものだと思っていた。多分ぼくは特にその傾向が強い。なんとなく小説的な遊び方なんじゃないかと思っていた。
 そしてぼくが、自分となんとなく違うな、と思っている遊び方は、キャラクターを重視するようだ。その状況に置かれたキャラクターがどんな反応をするか、どういう状況にキャラクターを置いたら面白いか、などを見ている、気がする。あれ? ゲーム的だと直感は言っているけれど、言葉だと前者後者逆じゃないか……?

 小説とゲームの話をしたのに上手く対比させられなくてちょっと困ったけど、あれか。ぼくは本だとキャラクターの決断を自分の決断のように体感することが多くて、ゲームだとぼくの決断をキャラクターの決断にしているように思うんだ。そこの逆転現象だ。ここでこの登場人物はこう言うだろうと、ここでこの登場人物がこうしたらいいのに、の違いみたいな。
 あとまだ上手く言語化できていないのだけれども、後者の遊び方と二次創作になんとなく共通する楽しみ方がある気がする……。キャラクター個人のすでにある個性が特に取り上げられるからだろうか。これはまた今度考えたいな、面白そうだ。

 少し行ったり来たりしてしまったけれど、メモなら上出来だ。思考の軌跡を残すのは時々は他の人から理解を得るのにも役立つと、この間聞いたし。
 それから、もちろんこの二つの例は、あくまでわかりやすく二極化したものであって、このどちらでもある人、もしくはどちらでもない人もいるだろうことを書いておきたい。一応ね!

【それからどうした】
 結局、「キャラクターを物語のために作る」か、キ「ャラクターのための物語を作る」かが、ぼくの感じていた溝の正体なのじゃなかろうか。どちらがいい悪いではなくて、いうなればこれは文化の違いなんだろう。
 これだけが回答じゃないぞという懐疑をいつも念頭に置きながら、でもとりあえずこのことはわすれずに、上手く折り合いをつけて遊んでいきたいな。机の上の溝はそこにたしかにあるけれど、ダイスマットを敷けば出目には影響はないのだ。次はいつセッションができるかな。

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