鮭

「ケルト神話」と鮭――主にアイルランドの伝承から

彼は詩人になるため、ボイン河に住まうフィンネーギャスに会いに行った。彼は七年間〈フェックの淀み〉の鮭を見ていた。その鮭を食べるとき、彼はこの世に知らないことが一つもない、との予言があったためである。ある時とうとう鮭が捕まり、デムネは鮭を調理するよう命じられた。彼は鮭を決して口にせぬよう言われ、その通りにしたが、調理の際親指が燃え、とっさに口にくわえてしまった。フィンネーギャスは彼に名前をたずねたが、これからはフィンと名乗るよう言い、鮭は彼のものとなったと告げた。フィンは鮭を食い、そしてこの先彼が親指を口にくわえ、呪文を唱えると、どんなことでもわかるようになった。(「フィンの少年時代の功業」(Macgnímartha Find)、部分要約)


最近この「ケルト人と動物」のシリーズに味を占めました。さて、今回は鮭のお話をしましょう。「ケルト神話」と鮭と聞いて、ピンとくる人はきっといらっしゃるでしょう。鮭は、ケルト人の想像において、重要な役割を持っていました。とりわけ伝承は鮭が持つ象徴性を雄弁に語っております。鮭は何よりも、異界的な知識の源です。アイルランドの伝承を主として、鮭がいかに語られているかを追っていきましょう。なお、ケルト人は伝承以外に、図像にも鮭を描いていますが、ここでは扱わず、伝承にのみ目を向けることとします。


0.鮭とはいかなる魚か

本題に入る前に、鮭という魚がどういう生態を持つのか、確認しておきましょう。鮭は一般に、河川で生まれ、稚魚にまで成長すると海に出て回遊します。四年ほどすると生まれた河川に戻って来て(母川回帰と呼ばれる習性)、流れを遡り、産卵して死にます。産卵は9月から1月にかけて行われます。またこの時期は体に赤と黒のまだら模様ができます。体の大きさは勿論種類によって違いますが、例えばシロザケでは、産卵期では70-80cmほどの大きさになるそうです。また体の側面には直線状に穴が開いており、それらは中でつながっていています。この穴がなす線は側線と呼ばれる外見上の特徴です。


1.フィン・マク・クウァルと知恵の鮭

フィアナ物語群の主人公フィン・マク・クウァル(フィン・マックール)は、「知識の鮭」を食べたために、親指を口に含むことでどんな場面でも良い知恵が頭に浮かぶようになりました。冒頭に掲げた「フィンの少年時代の功業」の引用がその鮭です。そのあらましは以下のようになります(私の有料ノートにこの話全体のあらすじを載せています)。

フィンがまだ戦士団フィアンの団長となる前の少年時代。彼はフィンネーギャスというドルイドに師事しました。フィンネーギャスはボイン川の淀みで「知識の鮭」を捕まえようとしていました。その淀みの上にはハシバミの木が枝をさしかけるように生えており、そこから「知識の実」たるハシバミの実が淀みに落ち、その実を淀みに住む鮭が食べているのです。そしてその鮭を最初に食べた者は、この世に知らぬ事なしとなるのです。

フィンネーギャスは七年もの間その鮭を捕まえようとしていました。そしてフィンが師事するようになってからある時、ついにその鮭を捕えられたのです。フィンネーギャスはその鮭を食うべく、決して一口も食べてはならぬと言い渡し、フィンに調理を命じます。しかし鮭を火で炙っているとき、その脂が彼の親指にはね、とっさにその親指をくわえてしまいました。そして彼が調理を終えて師のもとに戻って来たとき、師であるドルイドは、弟子たるフィンが偉大なる知の持ち主となったことを悟ったのです。かくして、フィンはその「知識の鮭」の脂がかかった方の親指を口に加えると、この世ならざる知を使うことができるようになったのです。

この伝承に語られるように、鮭は超常的な知識の源であり、「知恵の実」たるハシバミの実と結びついているのです。

ところで、ここで出てくるボイン河というのは、アイルランドの河川の中でもまた特別な川です。その最たる要素は、「ブルー・ナ・ボーニャ」です。それは「ボイン河の館」を意味しますが、実のところは妖精の住処なのです。そしてアイルランドにおいて、妖精とはかつての神々、ダーナ神族のことを意味します。ブルー・ナ・ボーニャを領する神は伝承によって異なりますが、ダーナ神族の主宰ダグザであったり、その息子である若神オイングスであったりします。またダグザはこのボイン河そのものである女神ボアン(ボインのアイルランド語音)の夫としてこの異界に住むのです。このブルー・ナ・ボーニャは、伝承に語られるだけではなく、ニューグレンジの名でも知られる先史時代の通廊墓と同一視されています。この通廊墓は実に有名で、その奥の部屋に壁に開いた穴は、冬至の日だけ太陽が差し込むため、太陽崇拝との関連が示唆されるのです。


さてまた、上記の伝承に見られる「知恵の実」たるハシバミもまたアイルランドの伝承に頻出の象徴です。ハシバミと鮭の結びつきを示すもう一つの例として、「ディンヒェンハス」からシナン(シャノン河)の起源説話を引きましょう。ディンヒェンハスとは「土地の古伝承」を意味し、様々な土地の謂れ(日本風にいうなら縁起ですね)を説くものです。そのうち、ボイン河と並ぶ河川であるシャノン川(アイルランド語ではシナン)の起源を物語る話です。

この伝承では、ネフタンという神の領域(海の底にあるとされる)にある「コンラの井戸」が説明されます。この井戸の傍には九本のハシバミの木が生えており、それらは井戸に向けて、一斉に実を落とすのです。そして井戸の水に住む鮭がそれらの実を食べます。このハシバミの木は賢者クリムナルのものとなっていますが、その点にハシバミの「知恵の実」たる性質が示唆されています。またロケーションも、井戸と川の淀みとで類似していると言えるでしょう。余談ですが、アイルランド、ひいてはケルト人全般には、川や井戸、湖や泉といった水に対する信仰が広く深くあります。


2.世界の初めから全てを知る鮭

上記のような「知識の鮭」の話は他にもあります。それは、遥か昔からこの世に生き、あらゆることを見聞きしてきた者なのです。そうした鮭として、アイルランドから二例、そしてウェールズからも一例を見てみます。


2.1.フィンタン

アイルランド人の起源を語る神話的偽史テクスト「侵略の書」において、一番最初にアイルランドに来寇するのが、ノアの孫娘とされるケサルが率いる一団です。箱舟に入れてもらえず、「ノアの洪水」の40日前にアイルランドにたどり着いた彼女たちは、女性50人に対して男性3人という極端な構成の集団でした。その3人はケサルの父にしてノアの息子ビス、漕ぎ手のラズラ、そしてボフラの息子フィンタンでした。彼ら3人の男性に対して50人の女性が均等に分配されますが、ある時ラズラが死んでしまいます。残った2人の男は相談し、女性たちを半分ずつ分けることにしました。しかしビスも死んでしまいます。そこでフィンタンは50人の女たちから逃げ出すのです。ケサルをはじめとする50人の女たちは、そのとき洪水が来て死んでしまいますが、フィンタンは生き残りました。「侵略の書」テクスト中では、フィンタンがケサルの滅亡までの顛末を語っていることになっています。また、別の伝承「アヒャルの鷹」では、フィンタンは鮭、鷲、鷹に変身したことを物語ります。

フィンタンは歴史の生き証人ですが、単にそれだけではなく、予言者でもあります。それは遥かな年月を生きた長命と、動物への変身という二つの超常性ゆえのことでしょう。彼は何でも知っているので、多くのテクストでその名前を引き合いに出されます。例えば、ディンヒェンハスにおけるチェウァル(タラTara;アイルランドの観念的中心地。現在のカウンティ・ミーズにある)の起源説話は、フィンタンが語ったことになっています。またこの説話では、フィンタンは自らを鮭であるとも言及しており、上述の「アヒャルの鷹」で変身した三種の動物の中でも、彼は特に鮭の姿であると考えられているのです。冒頭の引用でも「知識の鮭」の概念が存在しており、鮭が知者であるという観念が見えることでしょう。

なお、「知識の鮭」はしばしばフィンタンという名前で登場しますが、このフィンタンと同一人物とは限りません。「知識の鮭」の名前はフィンタンであるというのが、言わば定番だったのでしょう。


2.2.トゥアン・マク・カリル

次なるはトゥアン・マク・カリル、すなわちカレルの息子トゥアンです。彼もまたフィンタンと同じく、幾度もの変身を通じて長きにわたり歴史の目撃者となるのです。

再び「侵略の書」で、ケサルの一族が滅び、洪水が去った後、パルソロン率いる一団がアイルランドに来寇します。彼らは最終的に疫病により滅ぶのですが、一人だけ生き残ったのが、スタルンの息子トゥアンという男でした。「トゥアン・マク・カリルの物語」では、彼はアイルランドの支配者が変わるたびに、牡鹿、猪、鷹、鮭の順に変身し、歴史を見届けます。鮭の姿になった彼は、ある土地の王カレルの臣下である漁師に捕らわれ、カレルの妃に食べられ、彼女の子宮に入り、そこからカレルの息子トゥアンとして生まれ変わったのです。かくして、スタルンの息子トゥアンが色々な姿で長くを生き、自ら目撃した歴史を語り伝えたため、古の歴史が知られているのです。そして彼もまたフィンタンと同じく予言者です。過去のことを知る者は、同じように未来のことをも知っているということになります。


2.3.ウェールズの知識の鮭

上記の二つと同様に、遥か昔から生き、生まれて以来世界で起こったことを全て知っている鮭が、ウェールズの伝承にもいます。これは『マビノギオン』の「キルッフとオルウェン」(猪の記事でも参照しました)において、トゥルッフ・トゥルウィスという恐るべき猪を狩ることになったとき、助けを借りるためにマボンという男をアルスル王が探しに行く場面で現れます。マボンは生後三晩で行方不明になっていました。そこでアルスル王は言葉の通訳者グルヒルに手伝ってもらいながら、動物たちにマボンの行方をたずねます。キルグウリの黒鶫、レディンヴレの牡鹿、クウム・カウルウィトの梟、グウェルン・アブイの鷲と次々に質問をし、最後にスィン・スェウの鮭がマボンの場所を知っており、鮭の背に乗ってマボンの囚われている牢獄へたどり着くのです。

ここでは何匹もの物知りな動物が出てきますが、一番古くから生き、一番多くのことを知っているのは鮭でした。鮭が古老であり知者であるという観念は、アイルランドに限られたものではないことが分かります。


3.アーサー王伝説における鮭

アーサー王伝説もまた、ケルト人の伝承をベースとしています。神話研究者フィリップ・ヴァルテール氏の説によれば、聖杯は大型の魚を乗せて運ぶための皿であり(なお氏の著書では「グラアル」(Graal) の表記が好まれるようですが、ここではわかりやすさ重視です)、さらにクレティアン・ド・トロワ『グラアルの物語』において、聖杯には通常3種類の魚が入っている可能性があるそうです。すなわちカワカマス、ヤツメウナギ、そして鮭。

ヴァルテール氏は上記のフィン・マク・クウァルの物語とペルスヴァル(パーシヴァル)と漁夫王の物語が裏返しであると考えているようです。というのは、フィンは元々デヴニャ(Deimne) という名前で、鮭を食べた後、ドルイドのフィンネーギャスによりフィン(白い・美しい・良い・神聖な)の名を名付けられたのです。

一方のペルスヴァルは、漁夫王の食卓で聖杯を目撃するものの、その中の鮭は食べませんでした。その後、従姉に名前を聞かれて、それまで知らなかった己の名前「ペルスヴァル・ル・ガロワ」(ウェールズ人ペルスヴァル)を言い当てるものの、従姉により「ペルスヴァル・ル・シェティス」(惨めな人ペルスヴァル)と言い換えられてしまいます。

ヴァルテール氏は、鮭を食べていれば彼もまたフィンと同じく知性に目覚めていたにちがいない、とほぼ断言しています。氏は鮭がイニシエーション(通過儀礼)としての役割を果たしていると指摘しています。この指摘は尤もなものです。名前が変わることは、イニシエーションにおいて非常によく見られる要素であり、例えば日本でも元服前は幼名を名乗る慣習がありました。フィンの名前の変化も同じく、彼が超自然的な知性を得ると同時に成熟した人間になったことを表わしていると考えられます。


4.語彙の面から考える鮭

なぜ鮭が知識とこれほどまでに結びついているのでしょうか。長らく疑問でしたが、私はあるとき、ささやかな発見をしました。それは言葉の面での類似です。

鮭はアイルランド語ではeó、あるいはeúといいます。そしてéolachあるいはéulachが「知っている、学識がある」という意味を持つ形容詞なのです。そこから、スペルが共通しているために鮭と知識が結びつけられたのではないか、という推測が成り立ちます。

もちろんこれは、それぞれの言葉の成り立ちを調べるなどして裏を取る必要があります。反対に、鮭と知識の象徴的結びつきが先にあって、そこからéolach、éulachという言葉が生まれた、という可能性もあるのです。あるいは全く無関係という可能性もあります。


4.クー・フランの数ある技の中の一つ「鮭跳び」

さて今度は「知識の鮭」という点からは離れ、別の象徴性に目を向けましょう。

アルスター物語群の英雄クー・フランは、数々の妙技(cles)を持っており、それぞれ〈鳥の技〉とか〈リンゴの技〉など名前がついているのです。以下の引用は「ブリクリウの饗宴」でクー・フランの妻エウェルが彼の数々の妙技を一つ一つリストアップする韻文です。

エウェルが答えて言った。
「私は間違っておりません、シェンハよ、
 私は美しき英雄の妻です。
 クー・フランは美しさと敏感さにおいて優れています、
 修行を完璧に終えてから。
 その技はリンゴの技、亡霊の技、
 奇形の技 、猫の技、
 気高き戦車戦士を赤く曲げること 、
 雷の槍の業、素早い技、
 剣の勇猛さ 、戦士の雄叫び、
 車輪の技、刃の技、
 槍の上に乗ること、
 体を真っ直ぐに伸ばすこと(後略)(「ブリクリウの饗宴」、¶30、拙訳)

さて、このように幾多の妙技を持つクー・フランですが、彼の技の中でも言及されることの多いのが〈英雄の鮭跳び〉(ích n-erred) という技です。再び「ブリクリウの饗宴」からエウェルの言葉を引用しましょう。

クー・フランが私の夫です。弱い犬 (cú) ではありません。
槍に血の滴をつけ
剣に血の泡をつけ
その体は血に染まって美しく
その美しい肌には傷
その脇腹には傷。
その瞳は頭の中で後ろに大きく動き
顎は苦痛に身をよじり前に突き出ます。
その瞳はとこしえなる赤色
その戦車の車輪のふちは全体が赤色
その戦車の敷物は深い赤色。
彼は馬の耳と男たちの息のために戦い
槍の穂先の上で〈英雄の鮭跳び 〉をします。(「ブリクリウの饗宴」、¶24、拙訳)

この〈英雄の鮭跳び〉、幾度も言及される割には、十分な説明が与えられることはありません。推察するに、鮭のような力強さを伴って高く跳び上がる、といった感じであると考えられます。鮭は川を遡上する際や滝を上る際に跳躍します。その力強さが、英雄にふさわしいと考えられたのでしょう。この〈英雄の鮭跳び〉は、「クアルンゲの牛捕り」(Táin Bó Cúalnge) や「クー・フランの修行」においても、彼の数々の妙技のリストの中で言及されています。


5.鮭の象徴性の由来

さて、いかがでしたでしょうか。すべてではないですが、ケルト人の伝承における鮭の代表的な例はこれで網羅できたのではないかと思います。最後に、このように鮭が特別な魚として扱われるのはなぜなのか、そこのところをお話ししましょう。

ケルト学者ジェームズ・マキロップは、『ケルト神話事典』A Dictionary of Celtic Mythology (1998) という素晴らしい事典で、鮭の項目で次のように考察しています。すなわち、鮭は淡水と海水を行き来するものであり、そのことが現世と異界を行き来する能力を持つという想像をかきたてたのではないか、とのことです。また、滝を遡る能力に対しても人間が崇敬の念を抱いたと彼は考えています。

生命力と力強さを兼ね備えた鮭が、ケルト人の心に深い畏敬の念を産み、象徴として用いられるようになったという説は、説得力があります。特に遡上の際の跳躍力には目を見張るものがあります。以下の動画でその様子を観察することができます。

https://www.youtube.com/watch?v=ABD_rtZuzXo

また、鮭の栄養価や味など、そして捕える過程でつぶさに観察できたことも、象徴化に一躍買ったであろうことは言うまでもないことと思われます。産卵期の体色の変化も関係あるかもしれません。象徴として用いられる生物は、生活圏内に存在し、なおかつ非凡な能力(生殖力の強さなど)を備えているものであるという傾向があると考えてよいでしょう。



さて、長くなりましたが、いかがでしたでしょう。伝承を追ってみると、彼らがいかに鮭という魚を特別視していたかわかると思います。素朴な生活を送る人びとにとって、生物というものは我々よりも身近で、なおかつ生活に不可欠だったので、自然と動物の観察眼も鍛えられるのでしょう。その結果幾つかの生物の中にある種の神秘性を見出す、ということは自然な流れであると言えます。まさに生命の神秘というやつです。鮭もそのような、古代人を驚かす生き物の一つであったのでしょう。現代人は生き物に触れる機会がより少なくなりましたが、むしろだからこそ、生物に抱くそうした驚きは、なお強まることでしょう。皆さんも、次の産卵期に川で鮭を観察してみたら面白いかもしれませんね。



参照文献:

フィンの少年時代の功業:Tom P. Cross & Clark Harris Slover (ed., tr.), Ancient Irish Tales, 1936, via Celtic Literature CollectiveKuno Meyer, The Boyish Exploits of Finn, Ériu, vol. 1, 1901, pp. 180-190, via CELT
シャノン川の起源説話:Sinann II, in Edward Gwynn (ed., tr.), The Metrical Dindshenchas, vol. 3, 1906, pp. 28-29, via CELT
タラの起源説話:Temair I, in Edward Gwynn (ed., tr.), The Metrical Dindshenchas, vol. 1, 1906, pp. 4-5, via CELT
・侵略の書:R. A. S. Macalister (ed., tr.) , Lebor Gabála Érenn: The book of the taking of Ireland(フィンタンに関して:vol. 2, pp. 176-209, ¶181-183, 194-196トゥアン・マク・カリルに関して:vol. 3, pp. 22-23, ¶222
アヒャルの鷹:The Colloquy between Fintan and the Hawk of Achill, in Eleanor Hull (ed., tr.), Folk-Lore 43:4, 1932, pp. 376–409
, via TECH SCREPTA

フィナン・マギャに語られしトゥアン・マク・カリルの物語:Scel Tuain maic Cairill do Finnan Maige Bile inso sis, in Kuno Meyer (ed., tr.), The Voyage of Bran
アイルランド語辞書電子版(eDIL)、s.v. eó, eú
クアルンゲの牛捕り:Cecile O'Rahilly (ed., tr.), Táin Bó Cúalnge Recension 1, via CELT
クー・フランの修行 Whitley Stokes (ed., tr.), The Training of Cúchulainn, via CELT
・『ケルト神話事典』:James MacKillop, A Dictionary of Celtic Mythology, Oxford University Press, 1998.
ブリクリウの饗宴:Proincias Mac Cana & Edgar Slotkin (ed., tr.), Fled Bricrenn, Irish Text Society, 2005
・Harry Mountain, The Celtic Encyclopedia, vol. 3, 1998.
・中野節子訳、『マビノギオン 中世ウェールズ幻想物語集』、2006年、pp. 196-200
・フィリップ・ヴァルテール著、『アーサー王神話大事典』、原書房、2018年、「魚釣り」:pp. 201-201、「鮭」:204-205
・「ブリクリウの饗宴」、拙訳(noteでは③(https://note.mu/p_pakira/n/n9331115a5481)、④(https://note.mu/p_pakira/n/n203906f981b3))

鮭について
サケのからだ:http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/2024/body.html
サケ - Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B1
サーモンミュージアム(鮭のバーチャル博物館):https://www.maruha-nichiro.co.jp/salmon/zukan/sakana02.html
北海道Likers(ライカーズ) シリーズ:サケ(2)遡上と産卵:http://www.hokkaidolikers.com/articles/1657

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