クー・フリンの必殺の槍「ゲイ・ボルグ」

引用1:
するとフェル・ディアドはクー・フリンが油断しているのを見てとり、象牙の柄の剣の一撃を見舞い、クー・フリンの胸に突き刺した。そしてクー・フリンの血が彼の腰帯の中に入り、浅瀬はこの戦士の血で赤くなった。フェル・ディアドが強烈な死の連撃を放ったため、彼はこの傷に耐えられなかった。彼はロイグにガイ・ボルガを要求した。ガイ・ボルガの性質は以下のようであった――それは川の流れに置かれ、足指の間から投げるものだった。それは、人の体内に入る時は一つの傷をつけるが、それを取り除こうとするときは30の棘を持ち、その周りの肉を切り取らなければ体内から抜かれることはなかった。(TBC2, from "Táin Bó Cúalnge from the Book of Leinster", Cecile O'Rahilly, pp. 228-229、拙訳)

アイルランドいちの英雄といえばクー・フリン。そしてクー・フリンの武器といえば、死の槍ゲイ・ボルグ。恐るべき武器であり、これを受けた者は生き延びることができないという必殺の槍です。

この槍はいくつもの伝承に登場しますが、みなさんはどれだけご存知でしょうか。今回はこの槍について、知り得た限りの情報をまとめました。特に、どのテクストに何が書かれているか、ということを明らかにしようと努めました。テクストによって書かれていることは異なりますが、「クー・フリンを他の戦士より強からしめる必殺の武器」、「敵に突き刺さると体内で棘がとび出し、引き抜くことができない」、「水と強い関わりがあり、水中から投げなければならない」といった特徴が基本的です。


1.名前について

原語であるアイルランド語(ゲール語)では、この槍は「ガイ・ボルガ(Gáe Bolga)、「ガイ・ブルガ」(Gáe Bulga)などと表記され、それを英語化したものが「ゲイ・ボルグ」(Gae Bolg)です。以下ガイ・ボルガと表記します。

gáeは「投槍」を意味する一般名詞ですが、BolgaまたはBulgaの部分が何を意味するかは、幾通りかの解釈があるようです。

その中の一つで有名なのは「雷」というものですが、これは信憑性に欠けると判断され、今ではあまり顧みられない説のようです(John T. Koch, "Celtic Culture", 2006, p. 329)。しかしそれ以外にも議論百出しており、「腹」、「袋」、「ふいご」、「膨張」(陰茎の暗示)、といった意味を持つとする説の他に、固有名詞であるとするもの――雷の神であるとか、フィル・ボルグの「ボルグ」と同じで女神であるとか、ガリア人の将軍ボルギオスまたはベルギオス(ベルガエ族の名祖とされる)であるとか――もあります。要するに、よくわからないため、今も議論の的だということです。そのため、これを敢えて翻訳しない研究者もいます。本稿でも同様に、原語からカタカナへの転写である「ガイ・ボルガ」表記を貫きます。


2.資料について

本記事で言及するテクストを列挙していきます。この項目を最初から読むよりは、言及されたときにここを参照する、程度の方がよろしいかもしれません。

まず「クアルンゲの牛獲り」(Táin Bó Cúailnge;以下TBC)があります。これは、恐らく8世紀あるいはそれ以前に生まれたと考えられている物語で、非常に多くの写本に残され、幾つか別々のバージョンが存在します。第一のバージョン(TBC1)を残すものは、もっとも古くは西暦1100年の『褐牛の書』という写本で、第二のバージョン(TBC2)は12世紀の『レンスターの書』が最古、第三のもの(TBC3)はより新しい13~14世紀の写本に断片的にのみ残されています。またStoweバージョンと呼ばれるものは15世紀に書かれたと思しいStowe写本と通称される写本に残されています("Cú Chulainn’s gae bolga", p. 13)。

「クアルンゲの牛獲り」以外には、古いものとしては6ないし7世紀の詩「スカーサハの言葉」(Verba Scáthaige)、「エウェルへの求婚」(Tochmarc Emire)、「アイフェの一人息子の死」(Aided Óenfir Aífe)、そしてより後のものでは17世紀の「グルアズ・グリアンショルスの追跡」(Tóruigheacht Gruaidhe Griansholus;以下TGG)、17世紀の「英雄たちの冒険」(Eachtra na gCuradh)、18世紀のある詩、「ラシュレーンの幻視」(英題"The Vision of Laisrén")といったテクストを参照しました。


3.使用場面

クー・フリンは数々の戦いでこのガイ・ボルガを用い、対戦相手を倒します。この槍が使われるのは専ら、これを使わなければ勝てないほどの強敵が相手の時であり、なおかつこれを使えばどんな相手でも倒すことができました。

有名な戦いとしては、「クアルンゲの牛獲り」における、兄弟弟子であるフェル・ディアドとの浅瀬での決闘があります。フェル・ディアドは全身の皮膚が固く、傷つくことがなかったため、クー・フリンはこの槍を皮膚のない尻穴に突き刺しました。これを投じるとき、クー・フリンの御者ロイグはこれを川の中に置き、クー・フリンはそれを足の指の股で挟んで発射しました。ガイ・ボルガはフェル・ディアドの体内に入ると、無数の棘を出し、関節と四肢の全てがその棘で満たされた、と述べられています(次の引用2参照)。

引用2:
御者がガイ・ボルガを川の流れの中に置いた。クー・フリンはそれを足指の間でつかまえ、フェル・ディアドにそれを投じた。そしてガイ・ボルガは、溶鉄から作られた厚く頑丈な前垂れを貫き、石臼と同じくらい大きい石を三枚に割り砕き、尻穴からフェル・ディアドの体内に入り、その棘で彼の四肢と関節の全てを満たした。(TBC2, from "Táin Bó Cúalnge from the Book of Leinster", Cecile O'Rahilly, p. 229、拙訳)

もう一つの有名な例としては、「アイフェの一人息子の死」における、自らの息子コンラとの戦いです。コンラは顔を知られることのないままアイフェのもとで育ち、アルスターにやって来て英雄たちに戦いを挑みました。戦いは海岸で行われ、名だたる英雄たちも彼には敵わず、クー・フリンとも互角に渡り合い、ガイ・ボルガによってついに決着がついたのでした(次の引用3参照)。

引用3:
すると彼らは互いを溺れさせるために海の中へ入り、その少年は二回彼(クー・フリン)を躱した。そこでクー・フリンは直ちに水の中からその少年に向かっていき、彼をガイ・ボルガで裏切った。というのは、クー・フリンただ一人を除いて誰にも、スカーサハはその武器の使い方を教えていなかったからだ。彼は海水を通してそれをその少年へと送り、そのため彼のはらわたがその足の周りに落ちた。(Aided Óenfir Aífe, from "The Tragic Death of Connla or The Death of Aoife's Only Son", The Celtic Literature Collective、拙訳)


4.槍としての性質

4.1.攻撃性能

当然のことながら、クー・フリンが使うこの必殺武器はとても鋭く、どんな防御も貫いてしまいます。TBCにおけるフェル・ディアドとの決闘では、彼の身に着けていた鉄と石の防具を貫き、破壊しています(引用2参照)。17世紀のTGGでは、大地であろうと水であろうと、石であろうと木であろうと、武器であろうと鎧であろうと、防ぐことはできないと記されています(下記引用4参照)。

他の神話体系には必中の武器というものが登場しますが(北欧の神オージンの槍グングニルなど)、ガイ・ボルガがこれに類するかどうかわかりません。なぜならば、クー・フリンの投擲は常に正確であり、ガイ・ボルガが投じられた時は必ず命中しているものの、それがこの槍の性質なのか、クー・フリンの元々の腕前なのかわからないからです。しかしTGGでは、地中にもぐろうと、宙を飛ぼうと、避けることはできないと述べられています(下記引用4参照)。


4.2.水との関係

その使用法も特徴的です。フェル・ディアドとの戦いでは、足指の股から投じています。またフェル・ディアドとの戦いではロイグが川の流れにのせてクー・フリンにこれを渡し、「アイフェの一人息子の死」におけるコンラとの戦いでも、クー・フリンとコンラの二人が海に入った状態で使用されています。水中で使うという点が共通しています。TGGでは、同じく川の中で右足の足指の股から投げるものとしており、加えて使い手が腰まで水に浸かっていないと使えないと述べています(下記引用4参照)。

更に奇妙なことに、StoweバージョンTBCとTGGでは、クー・フリンの御者であるロイグが、ガイ・ボルガの使用に先立って、川をせき止めなければならないのです。Stoweではその上、フェル・ディアドの御者がこれを妨げ、それにもかかわらずロイグは川をせき止めようとするのです。この奇妙な行動は、この武器と水とが強い魔術的な関わりを持って居るという印象を強めます。

「英雄たちの冒険」では、ガイ・ボルガのことを指していると思われる「ガス・ブルガ」(gath bulga)という武器が、湖に棲む怪物の尾であり、海神マナナーンがその使い方を教えたとしています。一方で18世紀の詩によれば、コンヒェン(Coinchenn)という海獣の骨からガイ・ボルガが作られたという説明もあるため、その出自においても水と強く関係付けられています。


4.3.形状

TBC1とTBC2では、穂先が一つの槍として描かれています。TBCのフェル・ディアドとの決闘では、一度突き刺さった後、体内で無数の棘が突き出ます。写本『褐牛の書』では24個、『レンスターの書』では30個の棘が突き出たとしています。この特徴はその後のテクストにも継承されており、ガイ・ボルガに不可欠な要素と言ってもいいかもしれません。Stowe写本のTBCとTGGでも30個の棘が、しかし18世紀のTBCの断片では棘は5つだけになっています(下記引用4参照)。

また、『レンスターの書』版TBC及びTGGでは、この体内で飛び出た棘のため、周りの肉を切り落とさなければ抜くことができなかった、と述べられています(引用1、下記引用4参照)。この性質は、ガイ・ボルガに生える棘は釣り針や銛に見られるような「かえし」であるという推測を生んだようです。TGGでは、ガイ・ボルガは数多の毒の妙技の一つであり、ガイ・ボルガ以外は投げても手元に戻ってくるとなっているのですが、それは恐らくこの棘のせいと思われます(下記引用4参照)。

引用4:
読み手よ、知るが良い、クー・フリンが18もの射撃と投擲の妙技を持っていたことを。それらは毒の妙技と呼ばれており、クー・フリンの後にも先にも、彼以外の如何なる英雄も有していなかったのである。(中略)そして以下がそれらの毒の妙技であった――いかなる武器も鎧も砦もそれらを防ぐことは全くできず、そして人間を傷つけるや否や、全てクー・フリンの手元に戻るのであった、ガイ・ボルガを除いては。そしてガイ・ボルガはそれを投げるものが半ばまで水の中にいなければ投げられなかった。そしてその者はそれを右足の指の間から投げた。そしてそれは投げられるまでは一つの穂先しかないが、その後まるで膀胱の中の空気のように膨らみ、体内に入る時には30の穂先を持った。そして薬草も治療も膏薬もその傷を治すことはできず、敵の体を毒で満たし、助かる方法も治療法もなかった。たとえ地の下へもぐろうと、空へ飛び上がろうと、ガイ・ボルガを避けることはできなかった。そして大地であろうと水であろうと、石であろうと木であろうと、武器であろうと鎧であろうと、防ぐことはできなかった。そして浅瀬の決闘において、ガイ・ボルガによってクー・フリンはあらゆる精強な敵や英雄を倒し、切りきり伏せた。そして彼らは浅瀬の決闘においてクー・フリンに出会うことは最悪であると見なしていた。なぜならばそこではクー・フリンから逃れることはできないと知っていたからだ。そしてガイ・ボルガは、その体を寸刻みにするまで取り除くことはできなかった。(TGG, from "Tóruigheacht Gruaidhe Griansholus : the pursuit of Gruaidh Ghriansholus", Cecile O'Rahilly, p. 23、拙訳)

「英雄たちの冒険」のガス・ブルガの先端は5つに分かれた針になり、また真ん中にも30の先端を持つ針がありました。

15世紀のStowe写本におけるTBC、そしてTGGでは「白い」と形容されています。これは後に紹介する、海獣の骨から作られたという話にも符合します。

一方でいくつかの資料には、この槍が血塗られており、赤い色であるという記述があります。TBC2では、フェルディアの死体からこれを抜くとき、「血にまみれた、真紅の武器」と形容されています。また同じくガイ・ボルガによって殺されたローッホという戦士を殺した後にクー・フリンが吟じた詩では、「俺の武器からは血の滴が滴る」という句があります。 「スカーサハの言葉」にもガイ・ボルガについてのものと思しき「赤く枝分かれした槍」という記述があります。


4.4.毒

ガイ・ボルガが毒をもつという説明が見られることがありますが、それはTGGにおける説明に由来すると思われます(引用4参照)。このテクストでは、数多の毒の技の一つとしてガイ・ボルガが挙げられており、薬草も治療も膏薬もその傷を治すことはできず、敵の体を毒で満たし、その治療法はないとしています。TGGは17世紀という比較的後代のテクストであり、それ以前には見られないため、この毒という性質は、言わば後付けということになるでしょう。


4.5.その他の説明

TBCでは穂先が一つの槍として描写されているにもかかわらず、ガイ・ボルガが先の分かれた、枝分かれした槍であるという説明が見られることがしばしばあります。この「枝分かれ」という点については、次の三つの事実があります。一つは、「スカーサハの言葉」の中に、ガイ・ボルガのことと思しき「赤く枝分かれした槍」という表現があることです。二つ目は、「ラシュレーンの幻視」という9-10世紀のものと思われるキリスト教的物語で、聖ラシュレーンの見た地獄の幻像の中で、悪魔が「ガイ・ボルギ」(gai boilggi)という先の分かれた武器を使用していたことです(Stories and songs from Irish manuscripts, pp. 117-118)。この武器は、クー・フリンの使ったガイ・ボルガを意識しているようですが、彼が使ったガイ・ボルガそのものではありません。そして最後に、Eoin Mac Neillは「ガイ・ボルガは『先の分かれた槍』(gabul-gai)という言葉が変化したものだ」という解釈を示しています(De originae Scoticae linguae, p. 121)。名前の意味の説の一つとして「膨張」というのがあり、これは先が枝分かれして膨らんでいることを指しているものだ、という解釈が成り立つ余地もあります("Cú Chulainn’s gae bolga", p. 46)。なお、これらとは別に、Wikipedia英語版には「七つの穂先を持ち、それぞれが七つの棘を持つ」という記述がありますが、正直に告白すると、管見の限りではこのような記述をする資料を見つけることができませんでした(Wikipedia, s.v. Gáe Bulg, 'In other versions of the legend, the spear had seven heads, each with seven barbs')。

「ガイ・ボルガは投げると30の鏃になって降り注ぐ」という説明が特に日本語で見られることがあります。しかしそのような記述は、これまで参照した原テクストの中にはみられないように思われます。こうした記述の出所は、調べた限りではいまいちはっきりしませんでしたが、インターネットでは英語で検索してみても出てこなかったので、日本語の書籍やウェブページのみに書かれている可能性があります。八住利夫『アイルランドの神話伝説』(1929年、 1981年改版) では、「投げつけられた槍は敵軍の中へはいっていく。するとその槍から無数の鏃がとび出して、敵軍の一人残らずにつき刺さるのであった」と書かれています(改版、p. 184)。しかしガイ・ボルガは一対一の戦いで用いられるものですし、この記述は少しテクストにそぐわないように思えます。Edward Pettitも、戦場の武器ではなく決闘専用のものだったと分析しています("Cú Chulainn’s gae bolga", p. 28)。同書は他にも、フェル・ディアドとの決闘で「あらゆる細胞の間隙へ、毒がまき散らされた」(p. 255) などの原文と異なる記述が多々見られる(上述の通り、フェル・ディアドとの戦いでは毒ではなく棘が体中を満たしました。この記述は恐らくTGGを参照したものと思われます)ため、信頼性に欠けると判断せざるを得ません。また、ここでは「『30の』鏃」という記述はありませんが、井村君江『ケルトの神話』(1990年)に引き写された可能性があり、同書では「三〇の矢じり」という文言が見られます(p. 197)。同書は日本での影響力が大きく、「30の鏃」という日本語での説明は、元を辿ると多くはこれらに行きつくかもしれません。


5.ガイ・ボルガはどこから来たのか

この槍がどのようにクー・フリンの手に渡ったのか、その経緯もテクストによって異なる説明が与えられています。一つは「エウェルへの求婚」であり、この話ではクー・フリンが異界の女戦士スカーサハのもとで修行します。そこで彼女がクー・フリンにガイ・ボルガを与え、その使い方を教えたものと考えられています。原文の書き方はあいまいで、数多の妙技をスカーサハがクー・フリンに教え、その中の一つとしてガイ・ボルガが挙げられています。そのためこれが武器ではなく技の一つという解釈すら可能になっています。この理由により、ガイ・ボルガを与えた、その使い方を教えた、など著者によって説明に微妙な揺れがあります。

上記の通り、「英雄たちの冒険」の述べるところでは、「英雄の湖」という塩湖に棲む怪物をクー・フリンが怪物を殺し、その尾「ガス・ブルガ」を取ったのです。そしてこれには30と5つの針が生えており、また海神マナナーン・マク・リールがクー・フリンにこの武器の使い方を教えました。

前述のように、18世紀の詩では、コンヒェンという海獣の骨から作られたとしています。ガイ・ボルガがクジラなどの骨から作られたと言われるのはこのためです。もう一頭の海獣とコンヒェンが戦い、その死体の骨からボルグ・マク・ブアンという男がこの槍を作り、数々の人の手を渡り歩き、スカーサハからその娘アイフェの手にわたり、彼女からクー・フリンに渡されたとしています。この槍によって彼女とクー・フリンの息子コンラが殺されたため、「彼女の行いの中でこれほど愚かなものはなかった」と詩は語っています(On the Manners and Customs of the Ancient Irish, pp. 311-312)。また、TBC2にもガイ・ボルガをさして「アイフェの槍」という記述があり、TGGにもアイフェ(またはドロヒェド・アン・アルタの女王)が彼に与えたとあります。

湖の怪物の尾や海獣の骨から作られたという説明は、もっぱら水辺で使われるということと関連付けようとしているものと思われます。また、上記の詩でこの槍を作った男の名前が「ボルグ」(Bolg) となっているのはもちろん偶然ではなく、ガイ・ボルガの名前がこれに由来するという説明を与えようとしているのでしょう。この詩は18世紀以降のものですが、その起源は恐らく中世にあるそうです("Cú Chulainn’s gae bolga", p.14)。また、TGGによれば、この槍は地獄の怪物の皮から作られたものであるとのことです。これらの由来譚がどれも後代のものであることには注意が必要です。


6.まとめ

さて、これまで述べてきた性質をまとめてみると、以下の表のようになります。

表:ガイ・ボルガの性質と各テクストにおける記述


この表を見て、「ガイ・ボルガとはこういうものだ」と一通りに語ることは難しい、と私は感じました。それは説話に登場するどのようなものでも多かれ少なかれ同様で、「何に書かれているか」が重要です。しかしその中でも変わらない核のようなものもあり、ガイ・ボルガの場合は「棘が出る」と「水辺で用いる」という性質を持った「クー・フリン必殺の武器」だ、という点です。

本記事を読んでいただいた後であれば、各メディア(主にゲーム)で描写されるガイ・ボルガに与えられている性質が、元を辿ると何に行きつくか、おわかりになるはずです。それらを比較して楽しむのもまた一興かもしれませんね。

今回の記事を書く上では、本記事で何度か引用もした、"Cú Chulainn’s gae bolga—from harpoon to stingray-spear?"(Edward Pettit, 2015)という論文に大いにお世話になりました。


参照文献

Cecile O'Rahilly, Táin Bó Cuailnge, Recension I, 1967
Cecile O'Rahilly, Táin Bó Cuailnge from Book of Leinster, 1976
Eugine O'Curry, On the Manners and Customs of the Ancient Irish, 1873
Aided Óenfir Aífe, Celtic Literature Collective
Tochmarc Emire, 拙訳Kuno Meyer, "The Wooing of Emer",  Archaeological Review, vol. 1, 1888 pp. 68–75, 150–155, 231–235, 298–307
P. L. Henry, Verba Scáthaige, Celtica, vol. 21, 1990, pp. 191–207
Cecile O’Rahilly, Tóruigheacht Gruaidhe Griansholus: The Pursuit of Gruaidh Ghriansholus, Kelly University of Toronto, 1922[1924], pp. 22-23
Meyer, Kuno [ed.], “Stories and songs from Irish manuscripts”, Otia Merseiana 1 (1899): 113–128
Edward Pettit, "Cú Chulainn’s gae bolga—from harpoon to stingray-spear?", Studia Hibernica, vol. 41, 2015, pp. 9-48
・Eoin Mac Neill, ‘De originae Scoticae linguae’, Ériu, vol. 11, 1932, 112-29, at 121
・John T. Koch, "Celtic Culture", 2006
・八住利夫『アイルランドの神話伝説』(1929年、 1981年改版)
・井村君江『ケルトの神話』(1990年)

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