【カトリック・ネット】みんなのための婚姻?「この常軌を逸した決定にも私は驚きません」

2017年7月5日

進化生物学者のUlrich Kutscheraは、連邦議会における「万人のための婚姻」の議決の後に、KATH-NETのインタヴューでこう語っている。「私たちの選んだナイーブな政治家たちは生物学に由来する概念をつかってはいるが、それが何を意味するのかまったく知らないのだ」。

カッセル発: 2017年6月30日の金曜日、とりわけフランクフルター・アルゲマイネの紙上において、このような見出しを読むことができる。「平等: 連邦議会は万人のための婚姻を決定した」。「平等」という概念は、生物学者のUlrich Kutscheraにとって刺激的な言葉であり、彼はKATE.NETのインタヴューにおいて、進化生物学的な根拠をもった、いわゆる「同性婚」に対する批判を展開した。この国際的に活動する進化生物学者・生理学者は、カッセル大学の生物学部の教授でもあり、加えてカリフォルニアのスタンフォード大学の客員研究員でもある。

——kath.net(以下略): Kutschera教授、あなたは同性婚に対するカトリックの立場をどのように評価していますか。

Prof. Kutschera(以下K): 無神論的な進化の研究者として、私はキリスト教信仰に対してオープンであり、また寛容な態度を取ってはいます。もちろんアダムとイヴが最初の人間の夫婦であるという創造の神話については、私の自然主義的な世界像に受け入れることはできませんが。いわゆる「万人のための婚姻」、「同性婚」の概念の拡大に対する公的な拒否については私も共有しています。ただこの後に説明する、その理由づけは生物学的な事実に基礎をもっていて、政治ないし宗教は、この自然主義的な反ジェンダーの議論とは関係がありません。

——『ジェンダー・パラドックス』という本において、あなたは同性婚について詳しく取り扱っていますが、これは男女の性の問題とどう関係しているのでしょう。

K: 第七章において、男性と女性における同性愛という資質について背景と原因が綿密に説明されていますが、その関連において私は、いわゆる「同性愛の段階についてのキンゼイ指標」について言及しています。この「レインボー・イデオロギー」は、2015年にはっきりと虚構であることが暴露されています。これまでの事実的な傾向として、このような「正反対の極性」をもって生まれた男の同性愛者は、異性愛的な一般市民に再教育することはできません。女性の場合にも遺伝的な構成要素が同じことを証明しています、ただし、その傾向はそこでは男性よりも柔軟ではありますが。これは生まれながらにして右利きの人を左利きの書き手に再教育することのできないのと同じことです。だからこそ同性愛的な素質をも男性や女性——彼らは一般的に他の性に対する嫌悪の念を感じるものですが(ヘテロフォビア)——を、彼らがそうであるがままに受け入れなくてはいけないですし、決して差別してはいけないのです。両性による生殖において無能力であることによって(受精(胎)、つまりは性行為を彼らのほとんどは行うことができないのです)、彼らはいうなれば自然によって罰せられているのです。というのも彼らの遺伝的形質は、自然淘汰によって、遺伝子のストックから消滅してしまうわけですから。このようなコンテクストから私はまた「同性婚」について主題化していて、それに反対しているのです。

——にもかかわらず、この前の「ブラック・フライデー」に連邦議会は「万人のための婚姻」を議決しました。これは驚きだったでしょうか。

K: この頭のおかしな決定は私を驚かせはしませんでした。というのも、それはJohn Money(1926-2006)が1955年につくりあげたジェンダー・イデオロギーの発展的帰結に過ぎないからです。そのイデオロギーは、こういうテーゼから出発しています。すなわち、人間の生物学的-遺伝的素質から独立して存在し、変容可能な「心理的・社会的性(ジェンダー)」なるものが存在するということです。この馬鹿げた見解をマネーは、赤ちゃんの去勢実験によって照明しようとしたのですが、周知のとおり、それは失敗に終わりました(ライマー兄弟の二重殺人)。この倒錯した児童冒涜的なイデオロギーこそが、「平等あるいは男女平等ドグマ」の根底にあるのです。それは生物学的な事実からすれば、愚かなことにしかならりえないのですが。とりわけ赤-緑の政治家たちのあいだで、「同性婚」や小児愛を支持するような、このマネーの誤った教説が広まっているからには、積極的に間違った採決が為されたことに何も驚きはありません。

——ドイツにおける普遍的婚姻は、進化生物学の観点からどう評価されるのでしょう。

K: 私たちのナイーブな政治家たちは生物学に由来する概念を用いてはいますが、それが何を意味するのかをまったく知りはしません。人口(Bevölkerung)というのはPopulationの事であって、それは生殖の共同体として定義されます。ドイツの国家領域に居住していて、宗教的-文化的に相対的に同質なドイツの人口というのは、だからこそ、子孫を残していく人々の集合体のことなのです。国家を導く者にとってのもっとも重要な任務は、自らに委ねられた人口を維持していうことです。だからこそ、男性(スペルミンの生産者)と女性(出産能力をもった卵細胞の提供者)の婚姻が基本法において特別に保護されているのです。全男性と女性のうちのだいたい15%が生物学的な理由からは子供を産む能力がないですが、にもかかわらず彼らも、原理的に生殖能力はもっています(責任ある補助による再生産)。同性のパートナー、つまりは男と男、女と女の結びつきは、生殖不能の無-性的な性愛のカップルであり、再生産の能力をもっていません。レズビアンのパートナーによる人工的な受精——そこでは子供が生まれた後に片方の女性が父の役割を担うのですが——についてはここで詳しくは主題とはしません。そのような受精-生産の同情すべき点が、たとえば幼稚園でこのように語られることです。「僕のパパは、僕の第二のママでもあるんだ」。こんなことを無理やり実現させるために、幼児虐待者のジョン・マネーによって導入された、自然に反する早期からの性的側面の強調をおこなうことは、私は被保護者に対する精神的凌辱行為と理解しています。このようなジェンダー考慮はうまくいくことはないでしょう。簡単に定式化するならば、この生殖不能の同性愛のカップルを優遇したところで、国家はそこから何も得るところはないのです。というのも、これらの人間の年金だって、生殖可能な男性と女性の夫婦の子供たちによって支出されなくてはいけないからです——これは最高レベルの不正義です。

——次の一歩としては、同性カップルのための養子縁組の権利が要求されるでしょう。こちらについてはどう評価されますか。

K: マネーのような平等の狂気にあっては、たとえば同性愛男性のカップルも、生殖可能な男性-女性のペアと生物学的に平等の地位をもつのです——人間の人口、つまりPopulationとして。それを生殖の共同体と定義するなどということは、緑-赤-黒連立政権の愚かさです!男性と男性あるいは女性と女性の性愛的結合にまで養子縁組の権利が与えらえるとしたら、国家によって助長された小児愛好、深刻な幼児虐待を招くことになると私は考えます。子供のいなかったジェンダー上の父であったジョン・マネーは、このような行動様式を、彼の愚かな性別イデオロギーの枠組みにおいて、すでに手本として示しているのです。

——小児愛好と深刻な幼児虐待であると。その理由は何でしょうか。

K: 哺乳類の進化の過程のうちにおいて、一億五千万年以上にわたって、母と子供のつながりが、もっとも強い結びつきとして形作られてきました。ひとがもし、子どもから意図的に当事者としての母親を奪い去ったり(男性のみの同性愛ペア)、あるいは生物学的な生産者をある女性によって取り替えたりすれば、それは実在しているもっとも基礎的な人権の侵害です。子供のいる異性愛的な両親のペアにおいては、「本能的なタブー」として遺伝にも定着している近親相姦の禁止によって、たとえば生物学的な父親が自分の二十から三十歳若い娘と結婚したり、彼女たちと子孫を作ったりしないような、配慮が働いています——これはとても素朴ですが、意味のあることです。近親相姦は、同型接合であるがゆえに、人口の退化・現象につながるのです。その反対になるのが、宗教的-文化的にそれが適合的である限りにおける、様々なPopulationつまりはエスニック集団からの男性と女性の遺伝子の結びつき、つまりは雑種強勢の効果です。サンフランシスコにおいては、ヘテロペアの大部分は、白人のアメリカ人男性(コーカサス種)とアジア人の女性で構成されていますが、明らかにそれは上手くいっています。

——同性婚における継父の役割についてはどのようにお考えでしょうか。

K: 遺伝的なつながりが欠けている以上は、男性の同性ペアが養子の息子をもつ場合などですが、「継父効果」のより強力な形態が現れてきます。40歳の同性愛の男性がたとえば15歳の養子に対して性的な欲望を抱かないということがどうしてあるでしょう?この子供に対して何の遺伝的血縁関係がまったくないというのに。ここには本能的な近親相姦嫌悪は存在しないのです。同性の男性ペアについて、より詳細に考察してみることにしましょう。95%という確率で、養子となった若者は正常な異性愛の素質をもっており、それゆえ遺伝的に固定された(本能的な)ホモフォビアを備えています。ではどのようにして彼は、彼が毎日のように目にしなければならないことに対する感情的な嫌悪感と結びついた、この進化による遺伝的性質を克服するべきであるというのでしょう。4%の確率で、養子の息子は、自分の「両親1」と「両親2」と同じように、生まれながらの同性愛者です。二人の同性愛の父親には、遺伝的に関係のない娘を家にもった異性愛者の継父と同じように、自分の養子の若者に恋をする可能性があり、この若者は、この「度を超した両親の愛(小児愛好に対するジョン・マネーに定義ですが)」に無防備にさらされることになります。そこに開かれるのは、潜在的な恐怖の児童虐待のシナリオでしょうし、誰もそれについてこれ以上考えたくはないでしょうが——そして「三人みんなのための結婚」がやってくるでしょう。レズビアンの女性にも、より高程度の小児愛好の傾向がある以上は、そこには同じような問題が生まれてきます。

——どうして政治的な役職にある教養ある市民が、そのような馬鹿げた法律を支持することになるのでしょうか?

表現の不自由との関連において、私たちがすでにkath.netにおいて説明をしたように、ドイツにおいては、とりわけほとんどの子供のいない政治家の間において、オポチュニズムが指導的原理となっているからです。自分の意見を説明したり、客観的に理由づけたりするような勇気ある人々というのは望まれていないのです。たとえば「ブラック・フライデー」において連邦大統領から、まるでハンセン氏病患者のごとくけなされた、かつてのCDUの女性政治家であるErika Steinbachのような、です。同じような仕方で、シリア出身のゲッティンゲンの政治学者であるBassam Tibiも締め出されることになりました、彼が移民問題についての連邦政府のもっとも有能な相談者であったにもかかわらずです。独立独歩の、論理的-合理的な思考や自己の信念をつらぬく勇気は、ますますドイツでは稀有なものになっていっていますが、このことは、ジェンダーの宣伝者にして児童虐待者のジョン・マネーが要求したような完全なイデオロギー的な「平等」にとっては非常に好都合なものなのです。

https://www.kath.net/news/60177

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