死に方なんて、選べないから。
新型コロナウイルスにより、著名人が命を落とした。そのニュースはネットの波に乗り、簡単にコメントがついていく。
「こんな死に方なんてあんまりだ」
「なんてかわいそうな最期なの」
「まだ若いのに」
そのような言葉を目にするたびに、わたしはそっと画面から目をそらす。
死に方なんて、選べない。
どれほど素晴らしい功績があっても、その最期は誰にもわからない。
最近はニュースも見なくなってしまった。
朝も夜も、どこかの偉い人が同じような話をし、あれは駄目だこれは駄目だを繰り返している。そして、昨日言っていたことと今日言っていることは、必ずしも同じではない。
ニュースを見なくなった代わりに、昔のドラマや映画を見るようになった。今は、過去に放送された連ドラや映画を見ることが容易になった。わたしが子供の頃は、TSUTAYAに行ってDVDを借りなきゃ見られなかったもの。時代は変わるものだ。
昔の作品を見ていると、今はもうこの世にいない人も映っている。その人たちが、画面の向こうにいる。しかし、この世にはもういない。それぞれの寿命があった。それぞれの亡くなり方があった。
死に方なんて、選べない。
それでもわたしたちは、いつか死ぬ。
世界から日常が消え去ったとき、生きている人々は慌てふためいた。街からマスクは消えた。マスクだけでなく、デマで様々なものが街から消えた。未知の病に罹患すれば、村八分にされるという話も聞いた。
毎日毎日、それが続く。まるでそれは、未知のウイルスがニンゲンにメスを入れ、その奥のどす黒いものを掻き出しているように見えた。
ニンゲンとは恐ろしい生き物である。
我々の相手はウイルスではなかったのだろうか?
きっと。
みんな、生きたいのだ。きっと。
それとも未知の病で死にたくないのだろうか?
それでも、死に方なんて、選べない。
みんな知っている、かな。でも忘れがち。
そして死に方は選べないけど、生き方は選べる。
そうであってほしいと、わたしは願っている。
誰かを執拗に責めたり、情報に踊らされて平常心を失ったり、それもひとつの生き方なのだろう。わたしがその生き方にとやかく言う筋合いはない。他人の人生に口出しする趣味は全くないからだ。
ただわたしは、死に方は選べないなら、せめて生き方は選びたい。
持っている言葉を凶器にしないように、持っている心を振り回されないように、わたしは生きていきたい。
死に方なんて選べない。
でも、今、生きている。
死ぬまで、生きていく。
この限りある命を自覚して「生き方」を考えていきたい。
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