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三江線の思い出。あの日出逢ったひとびととの記憶。

  みなさんは三江線をご存じだろうか。今はもう乗ることのできない、三江線のことを。
  三江線とは、かつて島根県にある江津駅から広島県の三次駅までを結んでいた、西日本旅客鉄道の鉄道路線である。江津川沿いを走る、風情のある路線であったが、2018年4月1日に全線廃止となった。

 2017年夏、わたしは廃止になる直前にこの地を訪れた。今日はその思い出をお話したい。

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  もともと、ひとり旅が好きだった。学生時代には、東海道本線(東京-神戸駅)の全駅に途中下車したり、社会人になると鹿児島から静岡まで青春18きっぷで旅をした。

 長期休暇には、鉄道ひとり旅を楽しんでいた。そして、2017年夏訪れたのが、三江線だった。
 正確に言うと、静岡から広島の三次まで向かい、三江線で島根の日本海へ出て、福井まで東へ向かったあと静岡に戻るという、長距離旅であった。それぞれの県で、すこしばかりの観光もした。

 とはいっても、旅のメインは"三江線"。廃線になると聞き、調べれば調べるほど魅力的な風景や駅が多く、訪れてみたいと思ったのだ。「行けるときに行こう」その思いが、わたしを突き動かした。

 車窓にかじりつきながら無数のシャッターを切り、合間合間、ノートに走り書きをするのがわたしのひとり旅スタイルである。これは目の前にあるものをすべて記録していきたいためだが、実に多忙なのだ。しかし、その記録が役立つ時が来た。

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三江線の旅①-早朝の賑わい 

2017年8月12日(土)
 起床は4時。4時45分に三次駅近くのホテルを出た。駅に向かうと、すでに人だかりができていた。みんな三江線に乗る"同業者"だろう。わたしの前に6人、並んで後ろを振り返ると次々と人が並ぶ。わたしはそれを見て「1両なのに大丈夫だろうか」と不安になる。

 空はまだ暗い。長い1日の幕開けだ。

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 5時38分発の浜田行に乗車する。時刻通り発車。ディーゼルエンジンの音が、心地よい。窓際の席は早々に埋まったため、わたしはドア近くに立った。

 目に映る景色を、一瞬も残さず記録する。来夏には、もう見られないのだ。倒壊する家屋、わずかな民家、山にかかる霧。空にはまだ月が出ていた。
 木が茂って、車体に何度も当たる。そのたびに痛そうな音を立てている。
 江の川は穏やかな川だった。キラキラと朝日に照らされている。これを絶景と呼ぶのだろう。朝日はさらに昇り、線路も照らしていく。

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三江線の旅②-江の川を望む

 7時31分、第一の目的地、潮駅で降りる。

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 潮駅は島根県邑智郡美郷町に位置する無人駅だ。2017年、1日当たりの平均乗員数は2人であった。駅名標にはたくさんの草がつき、その様からも寂れ具合を感じさせられる。

 この駅の魅力は、降りると広がる江の川である。ホームから見える景色は圧巻であった。

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 駅にはコンクリートの待合室のみがひっそりと佇んでいる。

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 7時55分。次の目的地に向かうため、三次行きの列車に乗り、来た道を戻る。1日の本数が少ない路線は、行きたいところを効率よく巡るため、時刻表とにらめっこをしなくてはならない。それが旅の楽しみでもあるのだが。

三江線の旅③-いざ天空の駅へ

 8時14分。第二の目的地、宇都井駅で下車する。ここでは、3時間ほど時間がある。ゆっくりしていこうではないか。

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 島根県邑智郡邑南町にあるこの駅は、別名「天空の駅」と呼ばれていた。なぜか?下の写真をご覧いただこう。

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 そびえ立つコンクリートの上に駅のホームがあるのだ。
 なぜこのようになったのかというと、山間に駅の設置を決定したが、地形上、地上駅にはできず、116段の階段をのぼるとホームにたどり着けるという特徴的な構造になったそうだ。
 駅として地上20mの高さは、当時日本一であった。

三江線の旅④-宇都井での出逢い

 宇都井駅のホームで写真を撮っていると、小学生くらいの男の子とお父さんが交代で写真を撮っていた。わたしは「良かったら一緒に撮りましょうか」と声をかけ、ふたりの写真を撮った。
 その後、お父さんと少し話をした。大阪から来たこと、昨日から三江線巡りをしていること、その時江津本町の駅名標を撮り忘れたため今日はこのあと江津本町まで行くことを話してくれた。わたしは「静岡から18きっぷでひとりで来たんです」とそのようなことを話したと思う。

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 父子と別れ、いざ地上へと続く階段を下る。スロープもエレベーターもない、その階段は殺風景であるが、どこか懐かしい感じもした。踊り場には地元の子供たちが書いた案内もあった。

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 宇都井の集落を歩いていると、地元のおじいさんに話しかけられた。箒を片手に掃除をしていた。なんと御年92歳という。
 「どこから来たの?」と訊かれ、わたしが「静岡からきました」というとおじいさんは宇都井について話をしてくれた。

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 昔、宇都井を流れる川は現在よりもっと狭く、豪雨で溢れてしまい、当時の総理大臣が今の川幅に広げてくれたそうだ。道の先にある児童館(現自治会館)も同じ総理が作ってくれて「日本で一番最初にできたんだよ」と嬉しそうにお話してくれた。
 宇都井駅の下を走る道路は、広島と出雲を結ぶ道で、両方の地域が近いため、様々な文化が混ざっているそうだ。言葉だけでなく、なんと畳の大きさも違うらしい。冬は豪雪地域で、雪の重みでふすまが曲がることもあるというので驚きだ。

 おじいさん自身の話もしてくれた。昔、呉の海軍工廠で働いていたという。戦艦大和を作ったりボイラー室に勤めたり、戦艦武蔵の仕事のため、長崎でも働いていたそうだ。わたしは食い入るように、話に耳を傾け続ける。

 話は現在の宇都井に変わった。まわりは空き家が多く、料理屋だったところも、今はもう空き家になってしまった。寺も住職がいなくなってしまい、すっかり廃れてしまったそうだ。その顔は少し寂しそうだった。

 「生きているといろんなことがあるんだよ」何度も何度もおじいさんはわたしに言った。その言葉の重みは、今でも心に残っている。

 「掃除があるから」とおじいさんは言った。
 わたしは「お邪魔してすみません」というと「そんなことはない。あんたがきてくれた」とおじいさんは笑った。

 「この景色をそのカメラで撮って、この宇都井をみんなに知らせてほしい」

 おじいさんの真っすぐな目を見て、わたしは大きく頷いた。

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 駅に戻る途中、先ほどのおじいさんの奥さんに話しかけられた。「汽車に遅れないようにね」とその優しさが身に染みた。

三江線の旅⑤-ひとりじゃないひとり旅

 11時9分の列車を待つ。天空の駅から見える夏空は青く広く、そこに浮かぶ白雲は綿あめのようで、ただただ美しいに尽きる。この辺りの瓦屋根は「石見瓦」といって、釉薬により色が赤っぽくなったり茶色っぽくなったりすると、おじいさんが話してくれたのを思い出した。

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 ホームに立っていると、この駅に降りた時に写真を撮った父子もやってきた。少し会話をする。向かう先も同じなので、到着した石見川本行きの汽車に乗り込み、わたしたちは宇津井を後にした。

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 車内は大変混みあっていた。まるで都会の通勤ラッシュ。立つのも困難。
 みなわたしと同じで廃線を惜しんで乗りに来ているのだろうが、日頃からこれだけ人が乗れば廃止することもなかったのだろうなと思うと、切なくなる。

 当然座れないので、父子とわたしは、立ちながら列車に揺られていた。車窓は楽しめそうにもない。道中、お父さんは、昨日の旅の様子を話してくれ、息子さんはわたしに撮った写真を見せてくれた。落ち着いた声で喋るお父さんは「18~20歳の頃から鉄道旅をしていて、今は息子と旅をしているんです」と教えてくれた。素敵だな、と思った。

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 石見川本駅(島根県邑智郡川本町)までずっと満員で、到着するや否や、吐き出されるように車外に出た。ここで昼食である。
 お父さんに「一緒にコインロッカーに荷物入れますか?」と言われ、ありがたくお言葉に甘えさせてもらった。その流れで、昼食も一緒にとることになった。

 普段こんなに人が訪れないのであろう。駅周りの飲食店はどこも混雑していた。わたしたちは、ようやく入れた喫茶店で、わたしは唐揚げ定食を頼んだ。750円なのにとてもボリューミーで、茄子と豆腐の和え物までついていた。

 旅は面白い。どんな出逢いがあるかわからない。朝ひとり出発してきて、昼は名前も知らないひととご飯を食べている。そう…そうだ、名前も知らないのだ。聞かれもしないし、聞きもしない。その不思議な感覚がわたしには新鮮で楽しいと思えた。

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 昼食を終えて、駅に戻る。あとは、江津行きの列車に乗る。それが終われば、三江線完乗だ。ホームにはすでに汽車が来ていて、車内は混んでいた。

 急いでわたしたちも乗った。お父さんが「窓際どうぞ」と、窓際のスペースを譲ってくれた。
 わたしが「いいですよ、息子さんに見せてあげてください」と言うと「僕たち昨日見ているから。どうぞ」と言われ、わたしはありがたく、車窓を望むことができた。

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 父子は終点一つ手前の駅、江津本町で降りた。「駅名標、撮り忘れたので」と今朝の話を思い出した。昨日彼らがここで駅名標を撮っていたら、わたしと出逢うことはなかったのだ。

 「では、ここで失礼します」
 「はい。ありがとうございました。お気をつけて」
 「こちらこそ。お気をつけて」

 わたしはふたりの背中を見送った。発車するとき、窓の外では彼らが手を振っているのが見えた。ほんの数時間一緒にいただけなのに、少し寂しさがこみあげてくる。

 結局、最後まで名前を知ることはなかった。

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三江線の旅⑥-ついに完乗

終点、江津駅。これにて三江線108.1kmの旅は終了である。

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 また、ひとりになった。しかし、なぜかひとりの感覚は薄い。三江線での出来事が、わたしの中できらきらと優しく光っている。

 山にかかる霧、朝日に照らされる江の川、そのほとりの潮駅、宇都井のおじいさん、旅する父子、夏空、石見瓦の集落、満員電車、小さな喫茶店…五感で感じたものすべてが、愛しい。こんな旅、素敵すぎるではないか。

 わたしは旅ノートを開き、次の目的地を確認する。
 旅は、続く。

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 「また行くよ」

 そう言いたいけど、もう三江線はなくて。
 あのおじいさんも、旅する父子にも会えなくて。


 でもそれがきっと、旅。

 あの日の出逢いに感謝している。

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