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未来を信じて - 週末1000字エッセイ#38(全文公開)

 最近、夫の誘いで映画『クレヨンしんちゃん』シリーズを見ている。『クレヨンしんちゃん』の原作は、自由奔放な5歳児、野原しんのすけを主人公に、家族や友人たちとの様々な騒動を描いたギャグ漫画である。そのアニメは国民的な作品として広く知られており、わたしも子どもの頃、金曜日の夜に夕飯を食べながらよく見ていたのを覚えている。

 1日1本、年代順に見ている。先日は『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001)を鑑賞した。公開当時に見たはずだが、わたしは内容を全く覚えていなかったので、新鮮な気持ちで再び楽しむことができた。

 この映画は、過去への執着と未来への希望を繊細に描いており、大人でも楽しめる作品である。野原一家が訪れた「20世紀博」は、大人たちを子供に戻してしまう恐ろしい場所だった。懐かしい匂いを嗅ぐことで、大人たちは20世紀の生活に夢中になり、現実世界から逃避してしまう。しんのすけたちは、子供たちを誘拐しようとする「イエスタディ・ワンスモア」という集団に立ち向かう。彼らは、21世紀の日本に失望し、心のある20世紀への逆戻りを図っていた。しかし、しんのすけは家族の大切さ、そして未来に向かって生きることの素晴らしさを彼らに伝え、そのまっすぐな気持ちと家族の絆が、大人たちを現実世界へと戻す。

 映画の中で描かれる1970年代の街並みは、商店街に八百屋や魚屋が並び、地域の人々の繋がりが感じられる風景だ。木造アパートの部屋は素朴で、必要最低限のものしかなく、窓からは遠くまで見渡せる景色が広がっている。その先には、美しい夕陽があった。それを見て、わたしは「ああ、素敵だな」と思った。わたしは1994年生まれなので、1970年代を直接知るわけではないが、両親が子どもの頃に見たであろう景色に懐かしさを感じた。

「この頃の日本が一番良かったのかもね」とわたしが言うと、夫も「そうかもねえ」とうなずいた。急速に発展していく日本の中で、人々が支え合い、希望に満ちていた時代に思えた。しかし、現在の日本はどうだろう。人間関係は希薄になり、隣人と顔を合わせることも少なくなった。SNSの普及によって人々とのコミュニケーションが容易になった反面、少しの誤りで集団的に攻撃される場面も増えた。スマートフォンの画面には情報が溢れ、夕陽を眺める余裕はない。便利なものが増えたが、心には余裕がなくなったように感じる。

 そして未来に目を向ける。日本の人口は1967年に初めて1億人を突破し、2008年の1億2808万人をピークに減少を始め、2024年9月現在では1億2378万人となっている。総務省の予測によると、2050年には総人口が9515万人になり、これは1960年頃の水準に戻るという。しかし、問題は少子高齢化である。1970年には7.1%だった高齢化率は、2050年には36.9%に達するとされている。この数字を見る限り、日本の未来は決して明るいとは言えない。「この国はどうなってしまうのだろうか?」と、わたしはよく考えるが、未来に憂いても仕方がないことに、ため息をつくばかりだ。

「これからの日本は衰退しても、決してこの時代に戻るわけではないからね」と夫がつぶやいた。その言葉に、わたしはハッとさせられた。それは、わたしが抱いていた漠然とした不安が形になった瞬間だった。その通りなのだ。わたしたちは未来に向かって歩き続けるしかない。どんな未来が待っていようとも。

 作中、しんのすけは「未来を生きたい」と言った。家族と一緒にいたい、大人になりたいとも言った。その5歳児の切実な叫びは、30歳のわたしに深く響いた。未来への純粋な希望を抱く子どもの気持ちが、どうかつぶれないでいてほしい。それは、2024年の今にもつながる願いである。

 この国の未来に不安を感じつつも、わたしたちは前に進まなければならない。だからこそ、明日に希望を持てる未来であってほしい。互いを尊重し合い、大切な人と共に生きていける社会であってほしい。そのためにわたしたちは何をすべきか……その答えはまだ見つかっていないが、いつか見出せる日が来ると信じたい。

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