見出し画像

1回戦ジャッジによる作品評 笠井康平


ブンゲイファイトクラブ第1回戦ジャッジ評
笠井康平

■総評(2015字)
 批評はしません。ここ数年で起きたいくつもの出来事にうんざりしたから。もちろん、この語を厳しい覚悟で引き受けるひとがいるのも知っています。だからこれは、じぶんだけの制約でしかないんですけどね。
 ぼくは判定に努めます。「そのテキストがどのようであるか」を見定めて、「次に推したいか」を決めます。前回用いた精密感のある採点法は、時間の都合から使えませんでした。たのしみにして下さった方がもしいたら、ごめんなさい。その代わりに――じぶんでも少しほっとしていますが――きちんと私情を交えた判定を心がけます。

 判定の透明性を保つために、ぼくがどんな姿勢でこの役割に臨むのか、少し説明させてください。まず、ぼくにとって、「文芸」とはフィクションに限りません。その枠組みでは扱いあぐねることがありすぎるからです。出版市場で主流の代名詞みたいになった形式の、その作法のみに拠った判断も(なるべく)避けます(なるべくね)。文芸(Literal Arts)とは、言語操作技術のすべてを指すのであって、特定の流通区分や表現ジャンル、芸術様式、執筆作法に限られない。そんな風に考えてみることから始めます。
 とはいえ、1回戦は351作から選ばれた40作が8グループに分かれて戦うわけで、その顔ぶれから察せられる、運営チームの狙いも尊重すべきところ。落選展の様子を見るに、鋭い着想や独自の語り、単文の切れ味に加え、全体の作り込みと細部の仕上げに努めた作品が選ばれたようです。制限字数をたっぷり使った、単体で独り立ちできる「つくり話」が残っている。その前提で、候補作ごとのこだわりに目を向けます。次のような工程で判定しました。

(1)初めに、全作にざっと目を通します。大きな流れをつかまえて、どの「読み方」がどのテキストにうってつけかを考え、個々のちがいより、すべてに通じるものを感じます。まだ判定はしません。
(2)続いて、1作ずつ読みます。どこにでもありふれた読者の気持ちで、じぶんの心に何が浮かぶのか観察します。読み落としても気にしません。そのテキストと調子を合わせるチューニングだから。まだ判定はしません。
(3)そして、1文ずつ精読します。題材は何か。どの語り口が選ばれ、どんな文体が獲得されたか。話の起伏がどこへ向かい、どこで立ち止まる選択がなされたか。ここでようやく判定を試みます。他作と比べもします。まだ採点はしません。

 時間の都合で今回は見送りましたが、次の工程も紹介だけしますね。

(4)次は全文を添削します。じぶんならどう書くか。じぶん自身に問いかけながら、そのテキストを構成する部品を分解して、しつこく吟味します。この時、じぶんが何に惹かれるのか書き出すと、その人なりの判定基準として使えます。去年のぼくは、採点項目を「基礎点:やさしさ」「技術点:遠さ」「構成点:広さ」「素材点:深さ」の4つに分けて、各項目に5種の評価指標を設定しました(参考:本文末)。今回も基本的な考え方は同じです。
 項目ごとの配点は採点者の思い入れで決まります。初めは基礎点を重視しつつ、徐々にその比率を下げます。地力が拮抗するほど点差がつかなくなるから、最後は素材点が勝敗を分けるでしょう。なぜなら、文章表現史はそのようにして栄枯盛衰をくり返してきたから。

(5)採点法ができたら、判定範囲ごとの評価もできます。全体を6区間に分けて、400字ずつで動きをみるとか。題名や書き出し、終わりの一文だけ特別扱いするとか。評価単位を小さくするほど、機械のような「読み」に近づいて、緻密な判定のアルゴリズムができあがる。「書く」と「読む」の境界がすっと溶けて、そのテキストが自身をぼくに「読ませる」主客の混淆も起きて、病みつきになります。たまに正気を失うのが難点。

 話を戻すと、今回ぼくは工程(3)までに留めて判定しました。もし次回戦まで勝ちぬけたら、最後の工程まで試す機会が持てそうです。判定基準はかえってすっきりしました。判定がいくら僅差だと(ぼくが)感じても、推すと決めたテキストが「勝ち」やすいように、この評価ルールを最大限に使います。「推す」テキストにだけ5点をつけ、あとは等しく3点とします。例外として、「私情」を+1点のみ入れることを認めます。「私情」は作品の巧拙によらず発動し、判定を鈍らせるので、前もって外に除けておこうというわけです。「いいね!」みたいなものだと思ってください。

 この大会は、その巧みなゲームデザインによって、だれが・何と・なぜ戦うのかを、散発する大小の取っ組み合いを通じて明らかにしてくれます。運営/審査/選手/観客がみんなで手探りしながら制度設計している気がして、ぬくもりがある。それもあって、ぼく自身の当落よりも、次回以降に他のひとが無理なく使える判定法を作りたかった。だからぼくは、これがぼくなりの戦い方だと胸をはるべきなのでしょう。

■採点経過(2326字)
 採点のための比較はグループ内でのみ行い、40作全体の序列をつけることは避けました。(神の手も含む)グループ分けの影響を無視しないためです。推すと決めたテキストがなぜ「勝ち」なのかは「判定理由」に書きます。10月末から昨日にかけて、勤め先、旅先、招待先のみっつで別々の事故に間断なく巻き込まれてしまって、個別評が用意できませんでした。参考までに、採点の模様をハイライトでご覧ください。

【Aグループ】
 どの候補作にも話運びや語り口にひっかかるところがいくらかあって、それを好意的に読むか、作劇上の粗として読むかで悩いました。ためらいなく推して、「勝ち」を指名したい作品を見つけ出せませんでした(すみません)。

【Bグループ】
 どの候補作も、ひとつの着想にいくつかのひねりを加えて、きちんとした「お話」に仕立てようとしていました。その分、モチーフの選定や作中での頻出がモノトーンな風合いにつながっていて、それをどう受け止めるかで迷いました。

【Cグループ】
 着想の展開や語りの工夫に長けた書き手が勢揃いで、「やさしさ」「広さ」では差がつきそうになく、「遠さ」「深さ」に注目しました。今村空車「空華の日」に私情を入れました。「待ち合わせの喫茶店」から始めていたら、神社で起きるすばらしい場面がもっと分厚くできたか……。

【Dグループ】
「字虫」と「タイピング、タイピング」のどちらを推すかで迷いました。私情を入れた2作のうち、飯野文彦「蕎麦屋で」の天丼を頼んでから食べるまでの描写が見事でした。短歌よむ千住「元弊社、花筏かな?」は、着想の区切れに素直な行分けによって、ひとり連歌とも、韻律の弱い短文とも読めました。

【Eグループ】
 候補5作がそれぞれ取材源にした想像力に優劣はつけられませんから、奇想を奇想として語るに当たり、大がかりな作中設定や、栄える情景の描写だけではなく、日常と非日常の隔たりをどう線引きしているかを吟味しました。大田陵史「いろんなて」に私情を入れました。怖かったです。

【Fグループ】
 どの候補作も、作中世界に闖入してしまった異物や、おっかないものの扱いに注力していました。批評をするなら論じがいのあるところですが、僕はあまり重くみず、それ以外の、何てことはない語りの仕上がりに着目しました。こい瀬伊音「人魚姫の耳」は前半がよく、工程2までは推すつもりでした。歴史上の人物をどこまで脚色してよいかの判断で迷いました。一色胴元「ボウイシュ」は、書き出しと終わりの一文が鮮烈でした。

【Gグループ】
 どの候補作も、語りたいことにふさわしい語りを整えて、安心して読める遠さのあるテキストに仕立てていました。崩し、外しを取りいれる大胆さがあるかを問いました。私情を入れた如実「メイク・ビリーヴ」は、終盤の言葉の並びが最高でした。

【Hグループ】
 提題とその調理法はどの候補作も手慣れていて、基礎能力の高さを思いました。いわゆる「技範囲の広さ」に着目することにしました。工程2までは佐々木倫「量産型魔法少女」を推すつもりでした。モチーフ(魔法少女という概念)の掘り下げがもう数文あり、終盤を内心ではなく場面で終えられていたら……。吉美駿一郎「盗まれた碑文」は、工程3のとき、切り詰められたテキストの姿が、作中世界で彫刻される石碑と重なってみえました。

【ジャッジ応募原稿・野良ジャッジ】
 大江信「陳腐な言葉で愛を君に」の問題提起が印象に残っています。野良ジャッジの参戦とその反響が示唆する通り、「市場とは何か」「市場流通に適するテキストとはどのような性質を持つか」といった論点は、この大会の内外でも多かれ少なかれ論議を呼ぶのでしょうけど、個人による文化批評がクリエイティブ産業の垣根を超えた社会的影響力を持つ可能性を僕はもうほとんど信じなくなっていて、千言万語を費やされても心が動きそうにない。この根深い不信感がどうすれば払拭できるのかを考えています。

【落選展・イグBFC】
 関澤鉄兵さんが作成された「BFC2落選作品リスト」( https://note.com/sekizawa_teppei/n/n5122018ff0bf )を頼りに、2020年11月6日時点での掲載作をすべて読みました。工程(1)までしか行えておらず、各論はつぶさに語れないものの、次に挙げる作品が思い出に残りました。狭義の文芸書に書き方を寄せたため、着想と文体の魅力がかえって減ってしまった作品もありました。

「空き缶を自転車に積む雪こんこん 俳句連作「あかねさす」」
「【詩歌トライアスロン】眠らずに」
「?+♪(邦題:愛の挨拶)」
「絶対に芥川賞を獲れる方法」
「プロジェクト=ジルチ」
「幻の魚」
「渚の子どもたち」
「植物家族」
「ピーチボーイ・ジョニー/クリーニング・・レディ」
「かはうそうををまつる」
「接続詞が連なれば小説は終わらない」
「宇宙イナゴ」
「死出の旅」
「なんにも言いたくない」
「めるるんへ」
「リポグラム」

 イグBFCは、「見てみようのコーナー」と「エースをねらえ!」が気になりました。フレーズの破壊力・卑猥さを判定する尺度について、僕はまだ他人に説明できる言葉を持たないので、これは次回に向けた課題だと学べました。

【今後に向けて】
 ジャッジには、「候補作の判定」だけでなく、「運営方法の理解」と「書き手/読み手への配慮」も求められるのでしょう。だから当初は、「ジャッジによる評は原稿用紙3枚程度。多くとも可」という指定に沿って、各グループあたり1,200字を目安とする個別評を試みました。前説や題名を入れると、1作に割けるのは150字から200字ほどですね。
 それでも全40作分だと1万字弱。ジャッジ8人分(註1)だと少なくとも8万字。「ジャッジのジャッジ」は5日間しかないから、その間にファイターは、1日に原稿用紙40枚分を読み、さらに800字のジャッジ評と、2,400字の次回作を書くことになります。さすがに大変すぎるから、「ジャッジのジャッジ」の期日も延長できると事故らないのかもしれません。

註1:7人の誤り。大滝瓶太さんの活躍で、ジャッジがもう1人いる気がしたため。

■判定結果(1804字)
【Aグループ】
「青紙」 竹花一乃 3点
「浅田と下田」 阿部2 3点
「新しい生活」 十波一 3点
「兄を守る」 峯岸可弥 3点
「孵るの子」 笛宮ヱリ子 5点

勝者:笛宮ヱリ子「孵るの子」
判定理由:あまりに先例の多い題材と方法とはいえ、ナラティブを作り込むことで、構成もそつなく、しっかり読ませるテキストに仕上がっていて、本作とは別の人物・語り口を採用すると何が書かれるのか、そのふれ幅を読んでみたいと思いました。

【Bグループ】
「今すぐ食べられたい」 仲原佳 3点
「液体金属の背景 Chapter1」 六〇五 3点
「えっちゃんの言う通り」 首都大学留一 3点
「靴下とコスモス」 馳平啓樹 5点
「カナメくんは死ぬ」 乗金顕斗 3点

勝者:馳平啓樹「靴下とコスモス」
判定理由:終幕に向けた挿話の働きがやや弱いものの、候補5作のなかでもっとも長い日数を間断なく扱っていて、その構築的な手つきを用いることで、昔ながらの喪失感の挿入や中心的なモチーフの反復なしでも作劇を行える書き手なのか、知りたくなりました。

【Cグループ】
「おつきみ」 和泉眞弓 5点
「神様」 北野勇作 3点
「空華の日」 今村空車 4点
「叫び声」 倉数茂 3点
「聡子の帰国」 小林かをる 3点

勝者:和泉眞弓「おつきみ」
判定理由:被写体のふるまいと語り手の五感を、やわらかな脚色と愛情にあふれた語彙で積み重ねることで、意表を突く奇想や大胆な虚構の導入、構成の工夫、挿話の作り込みに頼らずとも、テキストを読むたのしみは十分に満たせるのだと、久しぶりに思い出せました。

【Dグループ】
「字虫」 樋口恭介 3点
「世界で最後の公衆電話」 原口陽一 3点
「蕎麦屋で」 飯野文彦 4点
「タイピング、タイピング」 蜂本みさ 5点
「元弊社、花筏かな?」 短歌よむ千住 4点

勝者:蜂本みさ「タイピング、タイピング」
判定理由:冒頭のつかみ、序盤の回収、中盤の展開、終盤のたたみ掛け、軽みのある幕切れを本筋にして、色とりどりの語彙と構文を詰め込んでめまぐるしく、おしまいまで飽きさせない工夫の手数と、その成功数が群を抜いていました。

【Eグループ】
「いろんなて」 大田陵史 4点
「地球最後の日にだって僕らは謎を解いている」 東風 3点
「地層」 白川小六 5点
「ヨーソロー」 猫森夏希 3点
「虹のむこうに」 谷脇栗太 3点

勝者:白川小六「地層」
判定理由:候補5作とも、超常現象をしれっと扱うことに挑戦するなか、いくつかの不利な条件――開かれた空間で、未知との遭遇を禁欲しながら、大人数を混乱なく動かす――をものともせず、日常と非日常の地続き感をにぎやかな光景として浮かび上がらせていました。

【Fグループ】
「馬に似た愛」 由々平秕 5点
「どうぞ好きなだけ」 今井みどり 3点
「人魚姫の耳」 こい瀬 伊音 4点
「ボウイシュ」 一色胴元 4点
「墓標」 渋皮ヨロイ 3点

勝者:由々平秕「馬に似た愛」
判定理由:まじめなエッセーを模したモキュメンタルな語りが堂に入っていて、じつに多様なテキストアーカイヴ(辞書、古書、教科書・論文集、郷土史・市史編纂、第一詩集、個人サイト、SNS…etc.)をこの字数に収納する、情報圧縮の腕前にすぐれていました。

【Gグループ】
「ミッション」 なかむら あゆみ 5点
「メイク・ビリーヴ」 如実 4点
「茶畑と絵画」 岸波龍 3点
「ある書物が死ぬときに語ること」 冬乃くじ 3点
「Echo」 奈良原生織 3点

勝者:なかむらあゆみ「ミッション」
判定理由:見事な書き出し、視点と人称の引き剥がし、流暢な書き言葉でちぐはぐに会話する人物、予測不能なミッションといった、目を見張るような力技を次々とくり出し、ユーモアとナンセンスのぎりぎりを攻めながら、最後まで止まらない勢いに驚かされました。

【Hグループ】
「量産型魔法少女」 佐々木倫 4点
「PADS」 久永実木彦 3点
「voice(s)」 蕪木Q平 5点
「ワイルドピッチ」 海乃 凧 3点
「盗まれた碑文」 吉美駿一郎 4点

勝者:蕪木Q平「voice(s)」
判定理由:かぎ括弧の使い分け、自由間接話法の多用、内言と発話と引用のシームレスな切り換え、動作と描写の連打など、多くの細やかな技巧を試しながら、可読性は保ったまま持ち堪えて、たくさんの声が群発して頭のなかがうるさい感じを多極的に描いていました。

■採点項目と評価指標の対応づけ(773字)

基礎点:やさしさ
技術点:遠さ
構成点:広さ
素材点:深さ

〇やさしさ
潔さ(適切性、過不足なさ、無理・無駄・ムラのなさ)
正確性(用字・用語、文法・文構造、禁則処理、誤訳・誤用、抜け・余分)
理解性(親切さ、可読性、可用性、愛着、不整合、曖昧さ)
伝達性(伝わりやすさ的確さ、技巧性、繊細さ、配置、順序)
流暢性(流暢さ、なめらかさ、音数律、句読点、改行、音韻、グルーヴ感、句切れ)

〇遠さ
新規性(新しさ、意外性、珍奇性、稀少性、突発性、偶然性)
独自性(かけがえなさ、ユニークさ、既視感のなさ、奇抜さ、例外的、独特、着眼点)
多様性(語彙の豊富、形容の手数、人物・視点の書き分け、文体・話法の切り換え、飽きなさ)
共感性(寂しさ、悲しみ、笑い、怖さ、怒り、実感、人情、感傷、ハートウォーミング、エンパシー、情動伝染、シャーデンフロイデ)
没入性(没入感、勢い、瞬発力、熱意、狂気、加速性、こだわり、内省、乱暴、極私性)

〇広さ
娯楽性(読みどころ、期待感、煽情、特別さ、非-日常性、非-現実性、解釈多義性)
充実性(思想性、世界観、世界認識、設定、カップリング、キャラクター、思弁)
構築性(構造、物語性、起伏・展開、反復と変奏、複数性、折り畳み、フラクタル、象徴のネットワーク)
論理性(必然性、完全性、一貫性、高次性、無矛盾、科学的合理性、喩、語用規則)
戦略性(諸規範への疑義、反-制度、批判・検証、挑戦、実験、試行回数)

〇深さ
普遍性(原理性、性愛、死、聖性、汚辱性、信仰、祈念、生老病死、地縁・血縁)
社会性(問題提起、政治性、思想性、禁忌、侵襲性、適法性、アクチュアリティ)
共同性(歴史性、本歌取り、換骨奪胎、引用と改変、二次創作、季語、母国語特性)
普及性(通俗性、一般性、通用性、公平性、平等性、適合性)
記録性(事実性、確からしさ、詳しさ、本人性、題材、フェイクフルネス)

■自作(2339字)
次のデファイアンス・キャンペーンに向けたコンセプト・サマリー

笠井康平

 この世に生まれたあらゆる言葉にふさわしい居場所が与えられる。1905年にポール・オトレとアンリ・ラ・フォンテーヌが見た夢は、国際十進分類法(Multilingual Universal Decimal Classification)と名づけられ、いまも各国語で編纂されている。最上位の分類は主標目数といい、「0 序説.知識と文化の基礎」から「9 地理.伝記.歴史」まで10種類。どれにもたくさんの下位項目がぶら下がる。たとえば「8 言語.言語学.文学」が「80 言語学と文学の両方に関する一般的問題.文献学」の「808 修辞学.言語の効果的な使用」に「808.1 著述業.文筆活動および手法」と「808.2 編集.出版のための修正および整理」を含むように。
 区分は70,000以上ある。世界に現存するすべての本は1億2986万4880冊だとGoogleが2010年にいった。それに比べたらしっかり少ない。十分に多くて、十分に少ない。すぐれた分類体系はこの両立に挑む。そのほうが役立つからね。すべての死者を含めると、これまでに人類は1,076億人いた。人口調査局が2015年にそういった。いまは78億人が生きている。つまり僕らは本より多い。きっとこれからも。地球のマジョリティが草木と虫であるように、本は人類のマイノリティだ。少数者は君臨するか、虐げられるか、追放される。ふたつを平和に結びつける、メゾレベルの仕組みがあるといい。蒐集システム、選考フロー、分類ルール、評価アルゴリズム、普及プログラム、使用法とそのチュートリアル――。
 文芸(Literal Arts)とは、言語操作技術のすべてを指すのであって、特定の流通区分や表現ジャンル、芸術様式、執筆作法に限られない。実勢としての寡占や、現にある偏見、野放しの差別、避けがたい見落としを抑えたい。だから僕は「新しい言語政策を作れないか」と考えた。好きなモードが選べて、こまめに改廃できて、居住地・言語圏・時代・経済規模に応じて切り換えられたら最高だ。まずは基礎知識を身につけないと。言語表現史、文化経済学、自然言語処理が有望だろう。構想と財源も作らなきゃ。持続可能な開発計画も立てたい。仮題は「現代日本語用例集」だ。脚本はだれが書くといいだろう? いつの時代のどの国の作法がふさわしいだろう。
 そして10年が経ち、僕はその言語政策の目次すら書き上げていない。ずっとしくじり続きだ。なのに3年がかりで25本の連作短篇を書く長期プログラムに着手していて、「10日間で作文を上手にする方法」なんて大それた題名で、読み書きのリテラシー能力を身につける手法の開発計画を立て始めた。秋には稼業もいよいよ忙しくなる。からだはじわじわ衰えて、正気でいられる時間が目減りしてきた。幸いにそれはまだごくわずかな気配でしかない。人生は長く、作品は短い。新しい言語政策はいつ打ち出されるのか。先行きは不透明で、少なくとも年内は厳しい見通しだ。
 話運びの定石では、このあたりで転調や勢いづけ、盛り上げが入る。じつは最後のシーンをもう書き終えた。残り字数で将来ありうる大まかな分岐を考えたい。楽観シナリオはこうだ。2022年に僕は25篇を書き終え、現代日本語が経験したひとつの時代を大小の部屋からなるひとつの作品に封じ込める。そこで培われた技術は新手法の開発計画に転じられ、僕は未来のじぶんを再教育する反復可能なカリキュラムを手に入れる。ふたつの積み重ねは僕に自信を与え、新しい言語政策の骨子案を想像させる。地位計画、実体計画、普及計画。それぞれのイメージが目に浮かぶ。そのとき僕は迷うだろう。これをじぶんだけで書くべきか。そもそも書けるのか?
 悲観シナリオは? 何も書きあがらない。長期プログラムは頓挫し、開発計画はものにならず、言語政策は起案もされずに打ち捨てられる。未完の草稿だけでも残ればいい。フィクションとして消費できるように再編集しよう。幸運にもまだ僕が生存していて、発狂も失踪もしていなければ。ほどよく現実味があるのは、作品、計画、政策のどれかひとつは仕上がる結末だ。進捗率は作品が20.5%、開発計画が37.2%、政策は0.0%。作品No.11は完成済で、この夏はNo.6を書いていた。作品と計画のどちらかは終わるといいけど。あとの2つが〈次の5年〉に先送りされたとしても。予想:僕は言い訳する。「2030年までには……」その弁明が誠実だったかを読者が知る頃には、日本の人口は1.2億人を下回り、高齢化率が33.4%に達している。この国で暮らすひとの少なくとも5%は認知症で、この人数はその年に生まれる新生児よりも多い。
 かつてハンス・アビングはこう考えた。アーティストは「低い収入で働いたり、貯金、遺産、社会給付、あるいは芸術以外の収入、芸術に関連した収入を自らの「芸術ビジネス」につぎ込むことによって、芸術に助成している」(『金と芸術』より)アーティストの共同体が成長し続けるには、だれかが「外貨」を稼ぐか、コミュニティの内部に「使役の文法」を張りめぐらせるほかないのだ。みんなに内緒で。もしくはあまりに明らかで、誰も気にしないくらいに。ハンスはいう。「アーティストのパートナーはより目立たない方法で支援する。例えば、家賃や休日を過ごす費用などの支払いを分け合うことによって」もちろん僕はかつてのパートナーを思い出す。やがていくつかの見過ごせない理由から、パートナーは僕だったのだと気づく。僕らは良きパートナーになれなかった。残念だけど、そういう時代だった。でも、次はうまく行く気がする。これが根拠だ。僕らはまだ書き終わらない。

 僕らはまだ書き終わらない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?