【しをよむ034】金子みすゞ「大漁」——ごめんなさい、でもおいしい。

一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。

金子みすゞ「大漁」

(石原千秋監修、新潮文庫編集部編
『新潮ことばの扉 教科書で出会った名詩一〇〇』より)

前半と後半のギャップがすごい一作です。
どさどさと船から陸へ上げられる鰮(いわし)たち。
小気味よい七五調のリズムが港の活気を表します。

そこからざぶりと海にもぐると、
雲のように大きかった鰮の群れは今やまばらになり、
心細く右往左往するばかり。

鰮に限らず、シシャモやしらすやホタルイカといった、小さな生き物たちの
ひとつひとつの命をすっと差しだしてきます。

この作品を読んで思いだしたことが二つあります。

一つめは手塚治虫の『ブッダ』。
うろ覚えですが、ブッダが「魚はあなたに食われることを望んでいる。魚は食われる運命を受け入れている。
もし魚が喰われないのならば、河は魚であふれかえってしまうだろう。
それと同じようにあなたがいずれ死ぬのも理由あってのことなのだから、運命を受け入れなさい」
というようなことを諭すシーンがあった気がします。

とはいえ、捕まった魚は生きよう生きようと全力で抵抗します。
一尾一尾は食われまいともがく存在でありながら、
大部分が食われることで種としてのバランスを保っている鰮のことを思うと、
自然界はなんだかものすごく非情というか、システマティックです。

二つめは私自身の思い出です。
中学生〜高校生くらいのことだったと思うのですが、
家族で水族館に行って、イワシの大水槽を見ました。
ぎらぎらと銀色に光る鱗がいっせいに方向転換するようすが見られる、あれです。
その光景に圧倒されて水族館を後にしました。

で、多くの他の水族館と同じように、そこも海の近くに建っていました。
館のまわりには海を臨む昔ながらのお土産やさんが立ち並び、
時間つぶしにそこも眺めてまわっていました。
そして見つけたのが、無造作に袋に詰められた「食べる煮干し」でした。
仲間たちは元気に水族館の花形を務めているのに……と運命の皮肉を思いました。
ちなみに父が買っていました。おいしかったです。

おいしいんです、鰮……。
鰮に限らず、動物も植物も茸も、食用になっているものはおいしいから食用になっているんです。
「鰮、ごめん、おいしい、ありがとう!」の気持ちでいただきます。

一度「おいしそう」スイッチが入ると、この「大漁」を読み返しても
「かわいそう……。それはそうとしておいしそう……」という感想になってしまうのが業の深いところです。
今の時期だといわしの梅煮やしらすおろしなど、さっぱりとしていいですね。
鰮にも作者の金子みすゞにも、なんというか、こんな感想で申し訳ありません。

お読みいただき、ありがとうございました。
来週は佐藤春夫「海の若者」を読みます。

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