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【特別公開】「カレーは我々を利用して繁殖している」(カレー哲学/東京マサラ部)

9/30に開催されるカレーZINE vol.2刊行記念イベント(@本屋B&B)に向けてゲストが過去にZINEに寄稿した文章を特別公開いたします。

これまでに公開したゲスト寄稿文はこちらから。

今週ご紹介するのはZINE編集部のカレー哲学氏が執筆した「カレーは我々を利用して繁殖している」。カレー作りは病気である?ヒトはいかにしてカレーに「感染」し、自らもカレーを生産するに至るのか…冷徹で利己的な存在としてカレーを捉え直す「カレーの進化論」をお楽しみください。

「カレーは我々を利用して繁殖している」 


緊急事態宣言が発令され自粛期間が始まった頃から、その余ったエネルギーをものづくりなどの創作活動に向け始めたという話を聞くことが増えた。自分も例外ではなく、ほぼ毎日のように自宅でカレー作りを続けている。

本稿ではカレーの定義の話はしない。自分がここであえて漠と「カレー」と呼んでいるのは日本のカレーに加えて、いわゆるインド亜大陸を起原としたスパイス料理群全般だ。もはや日本でもおなじみとなった南インド料理から始まり、バングラデシュとインドの西ベンガル州を中心としたベンガル料理、ネパール料理、ビリヤニなどのパキスタン料理...。「カレー」の射程はとても広く、まったく終りが見えない。もちろん個々の料理名があるものはそれを尊重してその通りに呼ぶのだが、「カレー」というメタな概念があることで創作の幅が広がるのは確かである。

作る工程がシンプルなものから複雑なものまで様々あるが、基本的にカレー作りは楽しい。カレーを作り始めると、気がつけば3品、5品、10品と様々なカレーがどんどん増えていってしまう。生み出されたカレーはどんどんやっつけていかないと果てしなく増殖していく。

その様子は、まるでカレーが繁殖しているようだと思うことがある。そう、もしかすると自ら数を増やす能力をもたないカレーは、我々ヒトを利用することで繁殖しているのではないだろうか。年末年始に72時間ぶっ続けでカレーを作り続けたときなどは、自分がカレーを作っているのか、カレーに操られてカレーを作らされているのかわからなくなってしまった。

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本稿ではこの、「人間がカレーを作っているのではなく、カレーが我々を利用して繁殖しているのではないか」という仮説について「ミーム」概念を導入しつつ、カレーミームの特異性について考察してみたい。

カレー作りは病気である

カレーについていつまでもうじうじと考え、毎日あらゆるカレーを作り続けてしまうことは一種の病気のようなものではないだろうか。病気だとすれば原因が存在する。カレーはもしかすると潜在的に多くの人に「感染」しており、それが何かのきっかけで「発症」することでヒトはカレーによってカレーを作らされるのかもしれない。カレーがヒトを利用して繁殖をしているとしたら、カレーは生き残っていくために一体どのような戦略をとっているのだろうか。

この問題を考えていく上で、「ミーム(meme)」という概念について考えてみたい。これはもともとリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』の中で初めて登場した造語である(概念として全く新しかったわけではないが)。文中では「旋律や観念、キャッチフレーズ、衣服のファッション、ツボの作りかた、あるいはアーチの建造法」など人間の文化と呼べるものはおおよそミームの一例としてあげられている。

『利己的な遺伝子』の中では、遺伝子が存在する目的は自分のコピーを増やすことであり、生物は遺伝子が自らのコピーを残すために作り出した乗り物、「生存機械survival machine」にすぎないと語られる。もちろんこれは説明をしやすくするためのものの例えではあるのだが、たしかに、遺伝子は生物の身体を乗りこなし、生物を利用して繁殖しているようにも思える。

ところが、人間は文化を形成する点において遺伝子の支配から半分逃れているという。遺伝子による進化に比べて人間の文化は非常に高速に進化していくが、生物の身体を形作る情報が遺伝子であるように、文化を形成する遺伝子ともいえる情報がミームである。ミームはあらゆるメディアを媒介とし、ヒトの脳から脳へとコピーされて移り歩く。

この定義によれば、カレーというものはまさしくミームといえるだろう。カレーはあらゆるメディアを通じてヒトの脳へ侵入し、ヒトに自らを複製させ、新たに別のヒトに拡散していく。

カレーにとって遺伝子の代わりになる情報はレシピだったり口伝だったりいくつか考えられるため単純に例えられるものではないが、何らかのミームが複製され、カレーはヒトを乗りこなし、世代を重ねるにつれて進化していく。

ミームは遺伝子との類推で登場した概念だが、あらゆるミームの中には遺伝子と同じように繁栄していくものと淘汰されていくものとがあるに違いない。生き残るミームとなくなってしまうミームとの違いはなんだろうか。また、カレーのミームというのは特に強くて感染力の高いミームだという直感があるが、それは正しいのだろうか。次の章でもう少しカレーのミームについて考察してみたい。

カレーミームの特異性

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前章のように、カレー作りはシンプルに病気に例えられる。
ある条件が整い自らカレーを生み出すようになったヒトを「発症者」と呼ぶことにする。その発症に至る経路を考えてみたい。

発症者の症状は多岐に渡っておりその頻度にもバラエティがあるが、共通して言えることとして、一度発症した者は頻繁にカレーを作るようになる。そして中にはカレー作りに人生を懸けるものすらいる(というか、たくさんいる)。

考えてみれば不思議ではあるが、なぜこんなことが起こるのだろうか。数ある生物の中で、なぜヒトだけがカレーを作るのか。カレーへの「ミーム感染」をキーワードとしてこの現象を紐解いてみたい。

人間の脳は、カレーが棲み着く一種のコンピューターである。カレーはあらゆるメディアを介してヒトの脳へアクセスし、入り込んでこようとする。その感染経路は大きくオフラインとオンラインに分けられる。

まずオフラインでの感染だが、一般にカレーを直接食べることによるいわゆる「経口感染」や、他のヒトから直接カレー作りを教わるようなことが考えられるだろう。

日本人の多くのヒトが潜在的には幼少期からカレーに感染している(いわゆる"カレーキャリア")と考えるのが自然だが、単にカレーを食べただけでは誰もがカレー作りを「発症」するわけではない。発症のトリガーとなるのは、例えば旅の最中に出会った衝撃的な食体験であったり、圧倒的に謎を与えるようなカレーに出会ったときなど、カレーに対する免疫力が下がっているときに感染力の高いカレーに接触したことだと考えられる。このあたりは前回のカレーZINEに寄稿した「心のカレー」論が解釈の一助となるかもしれない。

次に、近年目立つオンラインによる感染について考えてみたい。これは、空気や雰囲気を感じ取ることによって感染するので、「空気感染」とも言いかえられるかもしれない。それは実際にカレーを食べることによって引き起こされるのではなく、二次情報としてネット上、特にSNS上にアップロードされる写真や動画、テキストを媒介としてカレーミームに感染するような例だ。自粛期間の免疫力低下により。カレー作りを「発症」するケースが特にこのコロナ禍では目立った。SNSでは反復して何度もカレーミームに触れることになるため、感染度合いはさらに強まっていく傾向がある。

こうしてカレーミームに感染したヒトはあるきっかけでカレー作りを発症するようになる。そのとき、カレーミームは一体どのようにふるまうのだろうか。まずは複製のフェーズに入り、レシピ本や動画を媒介して初心者向けのカレーを作らせるだろう。始めのうちは複製がうまくいかず、できあがったカレーはあまり魅力的ではないかもしれない。しかし、次第に複製がうまくいくようになり、できあがるカレーは香り高く、より美味しくなるだろう。

カレー自身は、常に冷徹に利己的なのである。カレーが美味しい理由は、自らが捕食される可能性を上げ、さらに他のヒトへ感染を広げていくこと。ただその一点に尽きるのである。

地球のどこかで生まれたカレーのミームはそうやってヒトの脳をホテル代わりにして拡散していき、人類の歴史とともに連綿と生き残ってきたのである。そしてこれからも、複製が繰り返される過程でミームのミスコピーや突然変異が発生し、そこに他のミームの情報が混ざり合ったりする中で、日々新たなカレーが生まれていくに違いない。

おわりに:東京マサラ部室では今日もカレーが育つ

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すべての生物は遺伝子の乗り物であり、ヒトはカレーの乗り物である。というのが本稿の結論だ。利己的なカレーミームは人間の事情などお構い無しで、今日も人間を操りキッチンに立たせ、自らを増殖させようと目論んでいる。

そうこうしているうちに今夜の食卓には羊のスネ肉を長時間煮込んだマトンニハーリー、ひよこ豆を柔らかく煮込みカスリメティで香りをつけたチャナダール、チキンのヨーグルトマリネをバスマティライスと炊き合わせた香り高きビリヤーニーなどなど、パキスタン料理のミームによって生み出されたカレーたちが並んだ。

私達が死後に残せるものは二つだけだ。すなわち、遺伝子とカレー(ミーム)である。私達の遺伝子は子孫にたしかに受け継がれるが、たかだが何世代か経れば元々の私の身体の設計図となっていた遺伝子の組み合わせなどいとも簡単に失われてしまうだろう。しかし、カレーのミームはどうだろうか。カレーの文化というプールにひとたび大きな貢献をすれば、遺伝子よりも長くそれが残り続ける可能性もある。それは広く人類に感染し、多くの人口に膾炙(なますもあぶりにくもカレーか?)し、これからも連綿と新たなカレーを生み出し続けるだろう。

そう思えば、カレーに操られている人生も悪くはない。

参考文献・URL

・リチャード・ドーキンス著
 『利己的な遺伝子 -40周年記念版-』(株式会社紀伊國屋書店)

・”Memes and “temes” Susan Blackmore


プロフィール

カレー哲学(カレーてつがく)
カレーシェアハウス【東京マサラ部室】 に棲息する在野のカレー哲学者。
カレーZINE制作プロジェクト編集部。インド亜大陸料理のDIYと「カレー」と称されるものの食べ歩きを通し、カレーと人間の関係やカレーの「存在と意味」 について考えている。

9/30のイベント情報についてはこちら。


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