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8.宮崎行ったり、大阪行ったり(大阪編)

2018年4月 僕の両親と嫁家族の顔合わせ。

その話の前に、、

東京に引っ越すにあたって、お義母様に挨拶する為に、嫁の実家にお邪魔した時の話。

これがまたいつだったか正確には思い出せないのだが(嫁も忘れてる)、初めてお義母様に会った時の第一印象は、「俺のおかんに似てるなぁ」だった。

自宅の一室でピアノ教室をされていて、そのピアノ部屋でお茶を頂きながら改めてご挨拶。

「お付き合いをさせてもらっております。」「東京に一緒に行かせてもらいます」

に対して「うんうん。はいはい。」と、僕の緊張と堅苦しさをいとも簡単に受け流し、心底笑顔で答えてくれた。この受け入れのスピード感と、ほんわかした雰囲気が、僕の母に似てるなぁと思った。話しながら、母同士普通に友達になって欲しいなと思っていた。

(え、こんなに緩いものなの?)と呆気に取られながらも安心していたが、ピアノの下に隠れている飼い猫が「お前ホントに大丈夫なんやろな」と言ってるかのようにしっかりと僕を見つめていた。

嫁のお父さんは、嫁が小学生の頃に亡くなっていて、挨拶からそのままお墓参りにも行かせてもらった。

お爺様お婆様も優しく受け入れて下さり、なんて素敵な家族に出会えたものかと、芸人してて心が荒み始めていた僕には、嫁家族が放つ輝きは眩しかった。

という、ここまでが前置き。この直後に東京に行き、その夏にもう一度大阪で嫁家族に会い、2018年4月下旬、入籍後の両家顔合わせとなる。

またここから少々長くなるかもしれませんが、もうこのまま続けます。

顔合わせ当日

難波のホテルのロビーで両親と待ち合わせ。両親は宮崎から、僕は東京から。

私服で降りてきた僕を父が一喝。すぐさま(念の為)持ってきたスーツに着替える。

難波から電車で30分程の嫁の実家の一室にて遂に親同士が対面。

(あれ?こういう時って誰が仕切るんだっけ?あ、俺か!?)と、またもノンシミュレーション行き当たりばったりっぷりを発揮してアワアワし始めた頃、まるでそうなる事なんて初めから分かってたよと言わんばかりに、嫁のお姉さんが見事に仕切り始めてくれて、とてもスムーズにお互い改めましての挨拶を交わす。情けない義理の弟です。

堅くなってる父と、ニコニコしてる母同士が向かい合い、ニコニコしたままのお義母様からの一言で乾杯。

「縁あって家族になって頂きましてありがとうございます。よろしくお願いします。乾杯。」

今書いてても泣きそうになった。優しすぎる。これまでの全てが肯定されて、これから待つ未来がその瞬間輝き出したような気持ちになった。

「仕事も何もしてない息子ですいません」とは父の言葉。
父としてはさぞ恥ずかしい思いだっただろう。

(いやお義母さんの感動の後にそんなん言わんでええやん。いやでも、確かに何もしていない。何もしていないのに、何故か今最高の瞬間を迎えている。いいのか?うん、きっといいんやろ)と父に続いて「すいません」と答えながら一瞬で内省を済ませ、都合の良い考えに至っていた。
どうやら、何もしていない上に鼻タレ息子のようだ。どうなっていくのだろう。

(堅い父をよそに、何故か堂々としている私。と、とりあえずひたすらニコニコしている母)

挨拶を済ませた後、嫁家族が昔からよく行っているというレストランで食事をし、さらにその後お爺様お婆様のお宅に挨拶に行き、お爺様が淹れて下さったコーヒーを頂く。鼻タレ息子なりにこの大事な会に緊張はしていて、どんな会話が交わされたかはっきりとは覚えていないが、

とても暖かい雰囲気だったことは覚えている。
自分がこんなにも幸せな空間にいる事が不思議でしょうがない。そして、幸せでしょうがない。
本当にありがとうございます。

両家顔合わせを終えて難波に戻り、大阪バイト時代お世話になった方のお店で両親と軽く飲んで、この一日を締め括った(サムネの写真がその時の、、かな?記憶が曖昧)。

この翌々日、東京で最後のライブを終え、芸人を引退した。泣くのかなと思ってたけど、意外と泣かず、ウケて終われて良かった。見事なタイミングでの節目である。
東京生活の第二章の始まりと言った所だろうか。
基本嫁と遊び呆ける事になるのだが。。。

そろそろこの振り返り投稿も結婚パーティーの話になっていくと思います。
いつも最後までお付き合い下さいましてありがとうございます。

皆様のご厚意に甘え、サラッとウケたアピールをさせて貰いました。

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