さいり

『私ってどんな人?』
ある日の夕方、彼女は突然僕にそう投げ掛けた。
自分のことは自分が1番わかっているように思えても、結局のところ個々の評価なんてのは自分以外の誰かがするもんであり、自信に転ぶか劣等感に転ぶかはそれと自己評価の差し引きにより叩き出される。
だから自分がどういう人間かを確認する際、その相手の一人に僕を選んだ彼女の選択はとても正しかったと言える。
なぜならば、僕は彼女の兄だから。
この質問の相手は僕の妹。名前は伊藤沙莉。職業は女優である。

要するに完全に血が繋がっているわけであり、正直似たようなところもあるので、そりゃあわかるはわかるがなんともこっ恥ずかしいのも否めない。
我が家は3人兄妹であり、僕は長男、彼女は末っ子。
彼女は小学生の頃に芸能活動を始め、僕は大学4年の頃に芸人の世界へと足を踏み入れた。
スタートの時期は大分離れていて、芸歴だけでいったら彼女は今年で17年目。
本来であれば、現在の僕と彼女との間に生まれる仕事においての差は、いやいや俺9年目だしそりゃそれくらいの差は当然っしょで片付けたいところなのだが、彼女の場合はこの差について明確に別の1つの理由をあげることが出来る。

彼女は天才なのである。

僕は、様々な場面で、『妹さんが女優さんなんですよね?』なんて聞かれたりするが、その度に、なんの恥ずかし気もなく、『いえ、天才女優をやらせてもらってます』と返答する。だって事実だから。
もちろんなんの努力もしてないわけではないだろうから、彼女としては天才なんて安い言葉で片付けられたくはないだろうが、事実は事実なので仕方がない。
僕があんまり天才天才言ってると、いやいやまずお前になにがわかるんだと、そんな声も当然あがるだろう。
そんな時僕は思うのだ。

やかましいわ。あんたもそう思うだろ

見てりゃわかるし、住んでりゃわかる。
彼女は芸事に関して、紛れもなく天才なのである。
だがしかし、天才には天才の代償というものがあるのだろうか、全てのバロメーターの中で女優の才能に全ベットした彼女は、一人の人間として見た時、色々なことを満遍なくこなせるタイプでは決してない。
昔から見てきたが、コンビニのバイト中も寝てしまうし、とにかく支度が遅いし、なんかもう全部どんくさい。
伊藤沙莉という人間は、女優という一点を除いた時、恐ろしく不器用な人間であると僕は思うのである。
たまにいる、こいつこれがなかったら生きていけなかったんじゃないかと思える奴。彼女は超それなのだ。

まあまあ、前述の通り自分と似ている部分も多い分、多少は書いてて耳が痛くなったりなんかもするが、まず彼女はとてもキャパが狭い。
なにか1つのことをやっている時は、他のなにかは一切手がつかなくなる。
そのくせ全部やりたがるので、今自分がなにをしていたのかするべきか、こんがらがって全部投げ出したくなる瞬間を垣間見ることがある。
何度も言うが自分も似ている部分があるので全然気持ちはわかるのだが、それにしたって彼女がこんがらがってる時の顔といったら、電車に乗りながら一瞬で目の前を通り過ぎられても、えっ?なんか今とてもこんがらがってる人いなかった?ときづかれるくらいに、いやあこんがらがってるなあという顔なのである。
つまりは真面目な不器用。もっと言えば、アホ生徒会長みたいな女なのだ。

アホ生徒会長たる所以は他にもある。
彼女は末っ子なのもあってか、根っからの子分気質である。
頼みごとはなかなか断らない。というか断れない。
誰かに喜んでもらえるなら、私に任せてスイッチがONになり、その先の労力やリスクを考える機能が停止する。
30にもなるおじさんを飼う行為もこれが始まりである。
これが積み重なり前述のキャパオーバーへとたどり着くわけなのだが、彼女はやはり、それに対しての後悔よりも、その更に先にある求められたという喜びのもとに動いている為、いいんだか悪いんだか、よっぽどのことがない限りは変わることはないだろう。
故にアホ生徒会長なのだ。

また、このアホ生徒会長は、基本的に喋れるので勘違いされやすいかもしれないが、人付き合いも上手くはない。
そもそもが人見知りなのもあるので、本来は身近な親しい人達と小さな国を作り幸せに暮らしましたとさが理想であるはずなのだが、いかんせん心を許さなければならないような状況を作ってくる人間に弱い。
この、心を許さなければならないような状況を作ってくる人間ってのはかなりやっかいである。
いっそとんでもなく嫌な奴であれば、こちらとしても気持ちいいくらいのシカトをお見舞いすることも出来るのだが、前者においてその距離感を自分で決めるのには経験がかなり必要。
彼女はその距離感を完全に相手に握られててんてこ舞いになることが多いように思える。
だから自分が直接関係のない人間関係のトラブルによく巻き込まれる。抜け出せなくなりパンクする。
この悪循環に発狂している場面を何度か見たことがあるが、その度に僕は、ああアホ生徒会長だなあと思うのである。
債務整理の如く、相関図さえ作ってくれれば、お前こいつ必要か?みたいな奴からバッサリ添削させてもらえるのだが、それは自分で出来なきゃまるで意味がないので、僕は負けるな頑張れと、お子さまランチくらいの旗を振り小さなエールを送るのみなのだ。

だから彼女が、実家から距離を置き、色々なことを一旦整理して、小さな再出発を決めたことは、僕としては間違っていないと思える。
というか、間違っていなかったということを証明するべきだと思うのである。
これだけ不器用に生きてきて、色々な人の支えを受けてきた26歳。
1人でやれるし問題ねえってことに、チャレンジするには充分じゃねえかと思えてならないのだ。
それが最終的にはみんなの喜びにも繋がるはずだから。

このアホ生徒会長が周りの人間から愛されるのは、割りと近くにいる人間なら誰でもわかるくらいになんだか一生懸命だから。
なんだかちょこまかせっせと動いているので、なにを一生懸命頑張っているのかはさっぱりわからないことが多いが、どうやら応援した方がよさそうだぞと思わせるなにかがある。これが今の仕事が現段階でうまくいっている要因の1つなのだと感じる。
実家の母も叔母も、長女も地元の仲間達も、伊藤家の末っ子が心配で心配で仕方がないだろう。
でも彼女は大丈夫。あえて言おう今は余計なお世話だ。ほっときゃ勝手に幸せになる力のある女だから。どうしようもなかったら助けてやりゃいい。
そんな偉そうなことを、今日も妹にウーバーイーツを御馳走になりながら思うのである。
一旦辞めさせて頂きます。

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