おばあちゃん、そのとんかつはまだ食べれないよ

話が通じない相手と話したり絡んだりする時は、わかっちゃいるけどどうしてもイラッとする瞬間がある。
一応先手を打つと、自分もそう思われた瞬間があったとしても、それはガッツリ段ボールに閉まって棚に上げたうえでの意見であり、そこはみんな少なからずそういう部分あるでしょって気持ちで今このnoteを書き始めている。
誰に対しての言い訳かはさっぱりであるが、狭い世界であれ、世の中に何かを発信するということは、こちらのちょっとした落ち度からタコ殴りにされる機会を生み出していることとも等しいと思っているので、なんとなく先にうっすら保険をかけておくのである。

話を戻すが、話の通じない相手と出くわす場面はなかなかに多い。
それは色々な角度から言えることである。
例えばシンプルに全く融通の利かない相手であったり、日本語全くわからない外国人であったり、または子供であったり。
共通して言えることは、彼等のことを嫌いなのではなく、わかり合いたいからこそ全く話が通じないことへのもどかしさがイライラへと変換されていくのだと感じる。

伝わらないということは、腹立つし悲しいし悔しい。こちらの伝え方に非がある場合だってもちろんあるが、そんなレベルの話ではないときもある。
赤ちゃんに話が通じないことと似ている。育児こそしたことはないが、育児疲れの大きな要因の1つは話が通じないことから来ていると思う。自分も子供は好きだが、好きだの嫌いだのの話ではなく、親だってなんだって神様じゃないんだから、話が通じないことにイライラすることはもう本当に誰にだってあると思っている。

僕は、これは仕方のないことであるが、どうにも割りきれないのもまた事実であるとも思っている。むしろ仕方がないで片付く問題に、労力や感情を注げる程にお人好しではない。仕方がないことを、仕方がないで終わらせたくないと思う感情が苛立ちを生み出しているのである。
ましてや、その辺のコンビニの店員や道を聞かれた外国人くらいならまだしも、今後とも長い付き合いをしていくであろう相手であればなおさらである。

僕の中で、その最初の相手になったのが、我が家の認知症のおばあちゃんであった。

身内に認知症の方がいらっしゃる方ならわかるかもしれないが、ちょっともう本当にすんごいんのよ認知症の人って。これは体験した人にしかわからないとは思うんだけど、自分のおばあちゃんですら怒鳴り散らしたことも全然あるし、本当に一緒に暮らすのしんどかった時期も余裕であるくらい。
とにかく話が通じないし、そんなばかななんて奇行も日常茶飯事。
よくTVなんかで、認知症の方の介護疲れについて放送されることもあるかと思うが、心の底からわかるわあと思える。厳密に言えば、おばあちゃんの介護というか、身の回りの世話をしていたのは母や伯母であったが、その環境にいるだけでも信じられないストレスは溜まっていた。
絶対にありえないが、もしアメトーークで、身内認知症芸人なんてのがあったら、正直初登場から前列に座れてた自信があるほどに。
ただ逆に、今にして思えば、おばあちゃんとの日々があったから、今現在ある程度の相手なら会話を続けられるようになったのかもしれない。

認知症について、医学的な面では適当なことは言えないが、未体験の方々の想像を絶することは間違いない。なんてったって半端じゃないから。
介護疲れから、人としての道を踏み外してしまった方のニュースもちらほら見たことがある。肯定なんて出来るわけがないし仕方がないとは思わないが、環境によっては気持ちがわからないとは言い切れないのが正直な意見である。

ではなぜ我が家は乗り切れたのか。
これも、認知症の方が身内にいらっしゃる方ならわかるかもしれないが、もう笑うしかなくなったからである。途中からもう笑うしかなくなったのだ。
今でも認知症の方に限らず、話が通じないと思った時はこの感覚に助けられることがとても多い。
そうなってからは、まあ諸々大変な部分もあったが、以前のようなイライラを感じることは少なくなった。

というわけで、いつどのタイミングで身内が認知症になってもいいように、以下の我が家のおばあちゃんとの生活の一部を、是非サンプリングだと思って読んでみて欲しい。

まず、うちのおばあちゃんは、とにかく1人で喋っていた。
実家では僕の部屋とおばあちゃんの部屋は一緒で、その間もずっと1人で喋っている。
もちろん高校や大学の受験シーズンに入った時も変わらずそれは続いたから、英単語や古文の単語を覚えながらも、同時に永遠に訳のわからないスピードラーニングを聞かされている心境であった。
内容に関しても様々であり、読売巨人軍のキャプテンと食事に行く約束や、石原裕次郎との間に出来た子供をこちらでは引き取りたくないと揉めている話、アメリカの大頭領と200億の取り引きをしている時もあった。ブッシュでもオバマでもなく、お久しぶりですアメリカの大頭領と呼んでいた。
もしあれらが事実なら、うちのおばあちゃん程顔が広い人物はこの世に片手もいないだろう。

どういう脳内なのか覗いてみたくなるくらい豊富な内容であり、最初のうちはしばきたくなるようなイライラも、次第に興味へと変わっていき、なんならなにもせずにただただおばあちゃんの漫談に耳を傾ける時間もあった。

ただ、家に帰るとおばあちゃんがいなくなっていて、家族総出で捜索に行ったところ、近所のスーパーの前に正座して通行人に落語をお披露目してるのを発見した時はさすがに恥ずかしくて死にそうだった。
とりあえずむりくり家に連れて帰り、話が通じないとわかっていても、どんな前座でもアスファルトの上でやることはないと説明したことを覚えている。

また、とにかく何でも食っちゃうのだ。
とんかつ揚げる前のしたごしらえの段階のやつを生で食ってるのを見つけた時は、もうただの妖怪にしか見えなかった。もちろんめちゃめちゃ吐いてた。
髪の毛の染め粉を飲んでいるのを見つけた時は、これ飲み込んでも髪染まるのかなと思った。もちろんめちゃめちゃ吐いてた。
小学生の頃、僕が買っていたカブトムシのエサを食ってるのを見つけた時は、一旦僕のお気に入りのカブトムシと戦わせてみようかと思った。これは普通に食って普通に過ごしていた。
ドラマなどで見たことあるかもしれないが、何時になにを食ったかなんて全く覚えてないので、どれくらい覚えてないのか、試しに朝うどん昼うどん夜うどんを出したことがあったが、それだけはなぜか気付いてふてくされたことに、家族で大笑いしたこともあった。途中からそんなノリも生まれたりするくらいの感覚になっていたのだ。

あと普通に1000円パクられたこともあった。
財布を部屋に置きっぱなしにしていて、出掛けようかと思いなんとなく中身を確認すると完全になくなっていた。1000円しか入ってなかったので間違いはない。
まさかと思い、絶対にあるはずのないおばあちゃんの鞄を確認すると、クシャクシャに丸まった僕の1000円札を発見。
ただちに取り返した際、

泥棒!

と叫ばれ、お前だよ!と返したのが僕の人生初ツッコミだったかもしれない。

そして1番意味がわからなかったのが、朝からトイレに閉じ込められた時。
前の晩に、次の日が早かった僕は、早めに風呂入って寝ようと風呂場に向かった。
すると、風呂場の前でおばあちゃんが、見たことないポーズでオブジェのように立ちはだかっていて、風呂に入るからどいてくれと頼んだところ、

いつからそんな口きくようになった!

と訳のわからない一喝をされたので、まあ朝入るかと諦めて就寝。

6時間くらい寝てから起き上がり、朝トイレに向かうと、昨日と全く同じポーズのおばあちゃんがトイレの前に立ちはだかっていた。
ちょっともう本当に時間がなかったので、頼むからそこどいてくれと頼んだところ、

いつからそんな口きくようになった!

と、デジャブにしてもキモすぎる既視感に、やかましわ!と人生2回目となるツッコミを喰らわせた後、もう間に合わなかったのでむりくりどかしてトイレの中へ。
朝からなにに巻き込まれてるんだなんて思いながら用を足し、トイレから出ようとするとドアが開かないのだ。多少焦りはしたものの、すぐにトイレが開かない事実よりムカつく現象に気づく。

完全に外側からドアを押さえつけたおばあちゃんが、ドア越しに、

苦しめ!苦しめ!

と呟いているのが聞こえてきた。
これにはさすがの伊藤ちゃんも、なんてムカつくばばあなんだと、全力でドアをこじ開ける。
孫の本気のパワーをみくびっていた意地悪ばあさんは、ドアから出てきた僕を見て驚愕の表情を浮かべ、一言だけ、

出たー!

と叫んで部屋へと逃げ去っていった。
追いかけて、なにが出たー!だバカヤロウと言ってやりたかったが、寝て起きてから事件発生までのスピードにどっと疲れてやめた。
どういうシナリオが用意されていたのか今となってはわかる術もないが、おばあちゃんに1番ムカついたのは確実にこの時であった。

他にも訳のわからないことのオンパレードであったが、僕が19の頃、木更津の合コンから帰っている途中でおばあちゃんは亡くなった。大往生であった。
あんなにムカつくばばあを知らないしあんなに笑わせてもらったばばあも未だに更新されない。

我が家がたまたま、笑うしかない方向にシフトチェンジ出来ただけの可能性もあるので、なんの参考になるわけでもないかもしれないが、もし認知症の方と触れ合うことがあったら、僕の話を思い出して、少しだけ余裕を持って接することをお薦めさして頂きます。

そして、世の中話の通じない相手ってのは永遠にいるもんだが、そんなときこそ1歩引いて俯瞰で見てみると、仮にその場ではイライラが止まらなくても後々自分も含めて滑稽に思えてくる。
そう思え始めたら、誰とどんな状況になっても、どうせ笑い話になると、少しだけ割りきることが出来るかもしれないと、そんな風に思えてくるのだ。
一旦辞めさせて頂きます。

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