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第2回 残響(4000字)

 おはようございます。午前07時04分です。

 朝は静かです。蝉が鳴いています。音がよく聞こえるので、静かです。
 一般的には、逆かもしれませんね。音がするなら、静かじゃないじゃないか。なるほど、と私は思います。私は、静かだから、音がしっかり聞こえている。そういうつもりだったんだなーーということが、書いてみて初めて、今、わかっています。
 もしかしたら、多くの方は、わかっていることがあって、その後に、その「わかっていること」を書くのかもしれません。私は、逆かもしれません。書くとわかるから、書いています。
 なんとなぁーく、なんか、感じてる、と思う、そんな気がするーーそういう感触(“実感” という語が先に浮かんでいましたが、「強いかな?」と思い、“感触” にしました。)があります。でも、よくはわかりません。そんじゃ、書いてみっかーーこのようにして、私の毎日の“書く” は、始まったり、続いたりしています。
 そう書いてみて、「おや?」と思ったことがあります。「“始まったり、続いたり” する、だって? 終わりがないじゃん。」です。
 私は、今、朝起きて洗面等を済ませ、これを書いています。今朝は、五時半頃に目が覚めました。私は、起きている時に書いています。そう書く私は、寝ている時が気になっている、そういう感触があります。追ってみましょう。
 起きている時に、書きます。そして、夜になると、寝ます。しかし私の執筆には、始まりやら続きやらはあっても、終わりがないようなことを、私は言っていました。一日、これは、起きている時間、ということですね、起きている間の執筆を一旦やめて夜に眠っても、まだ執筆は続いている、ということでしょう。
 私は、起きている時に書いている、ということについては疑っていませんが、起きている時に感じていることだけを書いているわけではありません。(断言できました!)ややこしい言葉遣いになりそうですが、でも、言っちゃいますが、私は、起きている時に起きていることだけを書いているわけではない、ということです。
 一つめの「起きている」は、“日中” とした方がよさそうです。夕方や、就寝までの夜も含みますが、まぁ、“日中” です。二つめは、“起こっている” にすると、よさそうです。つまり、「私は、日中に起こっていることだけを書いているわけではない」です。
 私は夜に布団ですやすや寝ている時にも何かが起こっていると考えています。どうやら私はそれを書いているか、それ“も” 書いているか、ということでしょう。そう書きながら、「本当に、そんなにスッパリ区別できんのか?」とも、思っています。
 私はここまでの記述を、“起きている時(=日中)” と“寝ている時” に分けて進めていますが、それを、「本当に、そんなにスッパリ区別できんのか?」と思っているということです。
 寝ている時にも起こっていることや、考えていること感じていることがある。日中の活動において、私たちはついつい、日中に考えていると思っていることだけを“自分の考え” ・“私の考え” と括ってしまいがちですが、本当は、そうじゃないんじゃないかなぁーーということです。

 ここまで書いて、「なかなか進まねえなぁ。」と思い、読み返してみたら、「進んどるやん。。。」と思いました。「。」を連ねたのは、“静かに驚いている” を表現したつもりです。
 “驚き” というのは、もしかしたら、“静か” ではなく、どちらかというと、大きな音か何かと相性のよいものかもしれません。「ええーッ!」とか、「何ィィーッ!」とか。でも、一見、相性がよくはなさそうな、なんだか反対同士っぽい、“静か” と“驚き” が同居することだって、当たり前にあります。私は、この「同居」のことを、「それぞれが同じアパートの別の部屋に住んでいる」ではなく、「同じ◯◯◯号室で暮らしていて、一緒にリビングで過ごすこともあれば、それぞれの自室で過ごすこともある」と、そんなふうに考えているのかもしれません。
 しかしそう書きながら、「比喩は比喩だしな。」とも思っています。出すには出しましたが、「これ以上、この比喩に拘ったらよくないな。」と思ったらその瞬間に、取り下げる、というよりも、“取り下げたい衝動が、今、走りました” 、と私は書くような気がします。
 過去を参考に、でも、変だと思ったら変だと思ったと言います。

 では、本日も宜しくお願いいたします。

 午後です。15時32分になりました。朝食を取り、なんやかんや、昼食を取り、なんやかんや、今こうして執筆をしているわけですが、朝の起床後、時間が経つにつれて、私は、なんだか、頭がごみごみしてくる感じがあります。“ひどく”、というものではありません。“かすかに” です。“かすかに” ではありますが、その“かすかに” が私は気になると言えば、気になりますーー「おー、やっぱり“かすかに” ごみごみしてくるなぁ。」です。
 私が気にするから、気になってしまうのかもしれません。当たり前のことを言っているようですが、気にしなければ、気にならない、ということです。
 ごみごみしてきたなら、「ごみごみしています。」とそのまま書けばいい。「あぁ、そう書いてるわ。」と今になってようやく気が付きました。準備運動のようなものだったのかもしれません。

 人に波があるのは当たり前です。調子が良かったりそうでなかったり。頭がサッパリしていたり、ごみごみしていたり。「海に波があるんだから、自然の一部である人間にも波があるのは当たり前」とでも書こうと思っていましたが、そんなことを持ち出すまでもなく当たり前だな、と「調子が」から「ごみごみしていたり。」までを書いてみて思いました。これは、「当たり前の素朴かつ身近な具体例を出せば、能書はいらない」です。「私はそういうことをいちいち体験して、納得したくて、なかなか進まない話し方をしてんのか。」とも思いました。それで私はさらに、今、思いましたーー「“なかなか進まない” 、だと?」です。後ろに「あぁゴルァ?」が付いていたかもしれません。
 私は私に、ちょいと説教をしてやらねばならないようです。

 ここまで書いて、「なかなか進まねえなぁ。」と思い、読み返してみたら、「進んどるやん。。。」と思いました。

第2回「残響」

 どうやらこのバカ、失礼、この方は、“(話が)進む” ということについての解釈に、ブレがあるようですね。これが、“波” です。
 話がなかなか進まない、と思って悶々としている時の彼は、“(話が)進む” のことを、おそらく一般的と思われる仕方で、解釈しています。空間的に例えると、“直線的に進んで(なるたけさっさと)結論を出す” といったところでしょう。書いてみて思いましたが、立体ではなく、平面なんですね。では、ここから、この一般的と思われる話の進め方を、“直線思考” 、あるいは、“平面思考” と呼ぶことにします。
 そう書いてみて、思ったことがありますーー「一つに絞れよ。」です。それで私は、「こいつ、ぜってえ“直線思考” 出来ねえよ……。」とも、正直、思っています。この人はもしかしたら、“出来ないくせに出来ると思い込んでいる” 、あるいは、“やらなくてもいいことを「やんなきゃ!」と思い込んでいる”、とまぁ、そんな可能性も、チラつき始めました。私は、前にも後ろにも進まずに、その場でくるくると踊りながらストリップでもしているような気分にでもなってきました。という文に、「でも」という語が、二度、使われています。これはいわゆる逆接ではなく、「〇〇か何か」という、ぼかしのための表現です。「ストリップか何かしているような、そんな気分のような何かになってきました」だそうです。だから私は、冷徹な優しさで、彼にこう言いますーー「お前に“直線思考” (・“平面思考” )は絶対に無理だ。“進む” とかどーでもいいから、そのままそこでずうっとくるくる回ってろ。」
 そう言われて私はこう思っていますーー「へぇ、オレ、ただ立ってるんじゃなくて、くるくる回ってるんだ。」です。
 しかしこれは変です。この人はさっき、自分で、ストリップを例に出していました。ぼかしていたとはいえ、です。だからこの人は、少なくとも、“ただ立ち尽くしているだけ” とは思っていないはずです。でも、“ただ立ち尽くしているだけ” とは思っていない、つまりなんらかの動きをしているとは思うけれど、それがどういう動きなのかはわからない、といったところでしょう。そう考えると、「へぇ、オレ、ただ立ってるんじゃなくて、くるくる回ってるんだ。」という先程のセリフとも、辻褄が合います。よって、変ではないのですーーということを、この段落の第一文で、「しかしこれは変です。」と言った人が、書いているのです。
 こういう記述の仕方は、変でしょうか? 変じゃないでしょうか?

 いけません。筆が止まりました。私はどうも、何かを考え始めると、筆が止まります。“考える” のことを、私は“直線思考” だと思っているようです。出来もしないし、ホントのところでは興味もないくせに、やたらとやろうとする。やろうとはするがしかし出来ない。やってみて出来ないのではなく、やり方がわからないもんだから、「やる」さえ出来ない。結果、筆が止まるーー「あぁ、そういうことか。」と思っています。

 17時になりました。朝は蝉が鳴いていて、夕方の今も鳴いていますが、いかにも夏の夕方らしい声です。朝の蝉も、イメージの中で“かすかに” 鳴っています。言葉で説明は出来ません。あなたに聞こえたその通りの声で、充分です。

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