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第9回 波(4500字)

 眠くて、眠くて、二回書くと、強調かと思うとと共に、強調とかじゃなくてただそう思ってるだけ! と思いました。私は、その「強調とかじゃなくてーー」だって、本当は、解釈じゃないかーーそんなふうにも思いましたが、それだって、本当は…とキリがないなと今あきらめたり、さっき入力中にそう思ったりして、分ければ分けるほど、分けられなさが明らかになり、「あきらめる」は、絶対にダジャレじゃない、と思いました。ダジャレである可能性をみだりに排除してはいけない、という声も聞こえているからそう書けていますが、「へっへーんだ、あっかんべろべろべー♪」と言って、相手にしない、いや、してるか、しています。しかし、その「相手にしない」というのも……ゃ、いけません。理屈が混んできました。私は、理屈っぽいとは思わずに書いていましたが、どこからかはわかりませんし確認もいたしませんが、というか確認は不可能です。これも、断言できましたね。
 確認が出来ないのは、出来ないからです。というのも、私は、私の書いた文章を、さすがに、私の書いた文章だと思っていますが、まず、この文をここまで読んで、いかがでしょうか。文、ですよ、一文。文章ではなくて。そうやって言われると、もう、その文は、今読んでいるこの文よりも、いくつ前なのか数えようとし、実際に、「一、……」と数え始めたか、始まらなかったか、そのあたりで、やめてしまいました。私は、なぜやめたか、と書くことで、「なぜやめたか書くのか。。。」とちょっと気持ちに影が差し、おっと、なんだか変に文学的な表現ですね、そうやって、単語や、フレーズなんかで、うまいこと、表現を操作して……の後が、続きません。これなんでしょうね、きっと。後が、続かないんですよ。「単語や、フレーズなんかで、うまいこと、表現を操作して」、という、なんか、本当に、それだけなんですよね。私は、わかりません。これはダジャレの可能性も見えつつ申し上げますが、あきらめたくなります。さっき、あきらめるがどーのこーの、というのが出てきましたからね。私は今それを思い出したかもしれないし、今作ったのか、出てきたのか、そのへんは、おまかせで結構です。
 私は、気持ちに影が差す、でしたっけ? 正確にそのままかどうかはわかりませんし、確認は、今は執筆中で執筆を、特に、「入力」の意味合いが強いですね、入力という意味での執筆を続けたい関係で、確認をしたい、しよう、と、どうしても、あるいは、ハナからどうもせず、思わないのです。
 私はさっき、の話の前に、私は今、段落を変えるため、「改行し、一ます空ける」というのを、一秒もかからずに行いました。その一秒の最中、後、前、もう、それは、わかりません。その時間に、「ほう、整理するのか。」と、ここまでハッキリではありませんが、何か、こういうことを私は思ったのではないでしょうか、と質問めいた言い方になる、それくらいの気持ちの強さです。
 わかりました。私は、私の書いたことについて書き、それについて書き、それについて書き…そしてその文や文章から教えていただいた、あるいはなんとなく思ったり連想かもしれないようなことが起こればそれを報告、記述、考察、といったどれでもあるようなことをします。一方、「一方」という言葉で対比されてしまうくらいに、私は、彼らの言葉遣いを、対照的なものだと、考えたり、感じているのかもしれません。私はこれを、文頭の、「一方」という単語が、「一方」という名前を付けられる以前から、私は知っていたとも、思えます。ですが、忘れていました。しかし、「一方」に、教えていただきました。「一方」という言葉になる以前、いや、以前も以後もありません。「一方」という名前を付けても、私には、その名を付ける以前に聞こえていたものが、私には聞こえます。じゃあ、「以前」じゃないじゃないですか。ずうっとなんです。ずうっと聞こえているもの。それが聞き取りやすい言葉と、そうでない言葉があります。それは、流れの問題かもしれません。しかし、「流れとは何か」は、やめておきましょう。気が向かないからです。気が向かないことはしない、ということが、「流れとは何か」に対する回答とまでは言わないけれど、回答かそれに近い何かではあるような……と言ってようやく指が一瞬、一秒くらいでしょうか、止まりましたので、深追いはしません。そう書いて教わりましたが、それもまた、「流れ」、と書いた瞬間に、「先生」という語が、浮かびます。私は、「流れ」と「先生」の区別も、どうやら、ギリギリのところなのかもしれませんね。今日も、ぁ、いや、これから昼食を取って、ぁ、すごい、ですます調で話していると、いつも「昼メシ」なのが、「昼食を取る」なんて、指が勝手に動くんですね。流れ、すごいです。どうもありがとう。では一度、ここで休憩にします。時刻は13時33分です。

 雄馬さんに、昨日の日記、エッセイ、今、ぶふぁぁっ、と何か、溢れたか何かしました。昨日の原稿、と言えば、静かですね。波が落ち着く、そんな表現でしょうか。
 私は、私が書いたもの、書いているもの、それらに、名前を付けられないのかも、いや、付けられなかったのかもしれません。過去形で言い直してみると、少し、落ち着いて観察、ぁ、内省、という言葉を浮かべました。
 私は、内省という言葉から、「今の自分を見つめる」というフレーズが浮かびましたが、そのフレーズの、「見つめる」に、重いと言いますか、そんな印象があります。
 こうして、私は、自分が出した、あるいは出てきた、そんな言葉を確かめているというか、見ているというか、そんなことをやっているのかもしれないなぁーーそんなこともまた、内省、と呼ばれる何かの産物、と思ってそう入力しましたが、教えていただいた、とも思いました。
 教えていただいた、という言葉、さっきも、アスタリスクの前、本日最初の執筆でも、(現在は昼メシを食って、16時38分です。)言った気がしますね。当時は、なんの気もなしに打ったのか、今、それについてなんの気もないのか、わかりませんが、今は、「教えて」の後ろです、「いただいた」が、ちょっと、なんか、むずむずします。やっぱり、重いかなぁーー「やっぱり」が出てくることにより、「ぁ、無意識レベルで、オレ、そう思ってた?」というのも、浮かびます。
 私はそう書きながら、「もしかして、『無意識』って、『流れ』?」とも、思って、そう入力しましたが、している最中から、「やりすぎかな。。。」とも、思い始めました。
 私は、段落をこまめに変えているな、ということも、うすうす勘付いており、それが、あるラインを超え、こうして今、それが言及されているのではないかな、ということも感じ始め、そして、感じています。
 私は今、そう書きながら、昨日、だったと思います、「私の記述は、時間が錯綜している」という、そのままかどうかはともかく、そういうことを書いたような気が、していました。私はそう入力し、入力しながらも、この段落の冒頭を目の端でチラッと、いやチラッと目を動かしたら、「目の端で」がおかしいですね、ということを考えましたが、それがいつ考えられたのか、私にはもう、わかりません、か、あるいは、確認する気がない、ということかもしれません。
 私の文章は、読みながら、時間が経過します。今、ピンポン、とこのスマホが鳴りました。きっと、これを書き始める11分前に、雄馬さんが昨日の記事に「いいね」をなさった通知があったので、その、感想か何か、ではないでしょうか。私は今は、それも確認しません。そう書くと、「それ『も』確認しないんや。」といって、この、「も」の一文字に、私は、時間を感じます。
 私は、もう、昨日か一昨日か、あぁ、先日と言えばいいんだ、とまさに先日思ったことを今思い出しましたが、私は、「時間と肉体、一緒やで。」と、これは、もう、セリフそのままなんか、絶対に思い出せないんだから、もうええわ、作ってまえ! ですね。
 私は、「作り出す」ということについても、うるさいです。小学校だか、中学校だかで、敬語、なるものを、国語の授業で、やったようなことを、思い出し……ゃ、脳裏をよぎりました。「思い出す」よりも、「脳裏をよぎる」、の方が、淡いと言いますか、そんな感じがしますね。
 私はさっき、私のことを、うるさい、と、言いました。これは、「なんか、拘っちゃってんのよねえ。」です。「拘り」の話も思い出されますが、(あぁ、「思い出される」だと、やわらぐ感じがするんやなぁ。)丸括弧をわざわざ入れたら、少し、気が抜けました。腕の疲れに注意が流れたような感じです。一旦、休憩です。

 休んできました。そう書き、数秒、静止し、ゆっくりと、入力を、しています。文章、話もそうでしょうが、文章に、スピードは、ありますでしょうか。これは、スピード感、という意味で、申し上げて、います。
 私は、基本的に、いや、基本的にも何も、今回の、ええっと、シリーズ、という言い方でよろしいのでしょうか。第一回の、「『小説風日記』のあとがきのあとがき」から、今回に至るまで、やっぱり、基本的に、で合っていました。基本的に、指が休みなく動き続け、腕の疲れで体勢、仰向けスマホです、体勢が維持できなくなると、休憩に入ります。
 体勢の維持についてですが、私は、仰向けで、左腕の二の腕から肘にかけては、布団なり、床や畳なり、今は布団です、そういうものに、置いています。右腕は、浮いています。左に傾いている、ということです。それが、左右を変え、右に傾くと、言葉が、止まると思っていて、実際にそうだったのですが、今、この段落の途中で早速疲れて右に傾いたら、なんと、今も、言葉が出ています。しかし、思うのは、これは、客観的、という言葉をどう使ったらよいか、少し慎重にならねばならないかもしれませんが、客観的事実を羅列するだけなら、出来る、ということかもしれません。たぶん、ということは、強調しておきます。
 いつのまにやら、スピードが、いつもの調子に、戻りつつあります。しかし、わぁー、っという、そういう、「うおー、書くで書くで書くで書くで書くでぇぇ!!」というような、そのような雰囲気は、感じません。入力している自分、入力される文章、流れている流れ、と書いて「重複だけど、いっか。」という気持ちに気付き、また、それを書きつつも、それが書かれている流れもまた感じている。私はそれを言う文で、言葉でずいぶんと列挙させていただきましたが、それらが、「それら」、すなわち複数に分かれ、複数に分かれた結果と、複数に分かれる以前、この両者のバランスを取る、と申しますと、わかるような、言葉でしかわからないもんだから実感までは出来ないような、なんとも危うい表現になってしまいましたが、そんなものも感じながら、こうして執筆、いや、お話でしたね。お話をさせていただけて、嬉しいです。では、本日はここで失礼いたします。

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