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「チャンスは、準備された心に降り立つ」

最近、ふっと浮かんできた言葉がありました。『ハイキュー!!』というバレーボール漫画に出てきた、

「チャンスは、準備された心に降り立つ」

という言葉(242話)です。

『ハイキュー!!』は、スポーツ(もちろん、友情・努力・勝利!)をテーマにした漫画なので、“準備”というと、厳しい練習を積み重ねてきた身体や、自分なりに解釈してモノにしてきた技術や、いろいろあったけど今一つになっているチームや、そういったものを指すのだと思いました。

実際に、主人公の日向も、烏野高校バレーボール部も、その場面に至るまでにいろいろなことを乗り越えてきたので、そのいろいろが思い出されて、わたしは鼻水をぬぐいながらこのページを読んだものです。

ちなみにこの場面は、手ごたえある一つの勝利の場面。チャンスが降り立ったと言える場面です。


そして今、改めてこの言葉を思い出して感じるのは、

“準備された心”とは、「お互いを真に理解し合った状態」なのかもしれない

ということ。

序盤、エースの役割を果たせない時期が続いて臆病な気持ちだったエースの東峰さんも、憧れていたお兄さんとのすれ違いからひねくれてたツッキー(月島)も、“落ちた競合”と言われた烏野高校のキャプテンとしてチームを支え続けてきた大地さん(好き!)も、中学生の頃のトラウマに縛られていた影山も、その場面までにはそれぞれのストーリーがあって、みんなが何らかのかたちでそれを克服したり昇華させたりしてきていました。

それぞれが「バレーボールが好きだ」ということをすでに知っていて、その自分を認め、存分に熱くなる勇気を持っていた。そして何より、みんながお互いにその事実とストーリーを知っていた。(わたしも知っていた!←)

それが、ありていに言えば、チームに「信頼関係がある」状態であり、「コトに向かう“準備された心”」という状態なのではないかなと思いました。

・お互いのストーリーを知ることで、わたしたちは「真に理解」し合えるのかもしれない
・そして、それこそが、わたしたちがチャンスをつかむ“準備された心”なのかもしれない

そんなことを思いました。


わたしは社会人になってから未経験でバレーボールを始めて、もう5年くらいが経ちますが、ずっと続けている理由― 自分がバレーボールに熱くなる理由― と思われるストーリーをいくつか知っています。一緒にバレーをしている(していた)人たちのストーリーも知っています。

約4年間、飽きもせず、ずうーーーっと最下位争いをしていたリーグで、昨夏初めて優勝したことが、たぶんできごととしては一番のトピックなのですが、それ自体が最高の体験だとは思っていないところが、またポイントだなと思います。ただ、それが一つの「“準備された心”にチャンスが降り立った」瞬間だったのかもしれません。

そうした奮い立つような体験をまたできたらいいなとも思うし、それに、これまでにたぶん何百時間もいっしょにプレイして、対話して、お互いのこととチームのストーリーを同じように知っている仲間がいることが、本当に本当にいとおしいなと思うんです。

わたしたちは、へっぽこ未経験チームだけど、もしかしたらちょっとだけ、強いチームかもしれないなって。

あー、早くバレーボールしたい🏐
(バレーボールの話が書きたかったわけではないのだけれど!)


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