うめさん_覚醒2up

TSUCHIGUMO~夜明けのないまち~  14

14

 勇助と一条、二人がなんとなく周囲を警戒し、後ろを振り返った瞬間。

「えっ……」

異変に気づいた時には、もう手遅れだった。

 先ほど倒したはずの首のない巨大カメムシが、虫らしく六本の脚で胴を支え、立ち上がっていた。

 策を講じる暇もない。

 首があった部分から、霧吹きのように黄色い液がばら撒かれた。

 勇助と一条はとっさに顔を両腕で守ったが、全身にその液を浴びてしまった。

「な、何すか、これ!」

 二人の服は、黄色い染みだらけになった。

 勇助は慌ててショットガンを出現させ反撃を試みるが、その頃にはもうカメムシはひっくり返って、黒炭のようにさらさらと崩れ、地面の土へと消えてしまった。他のカメムシの死骸は、すでに跡形もなく消えてしまっている。

「生き返ることがあるって、ちゃんと教えてくれよ!」

 勇助は思わず声を荒げてしまった。

「知らなかったんすよ! 今まで一度も、こんなこと無かったし!」

 しばらくそんな責任のなすりつけ合いをした後、二人は落ち着きを取り戻した。

「ステータスの異常は無し、ダメージも無し、服を汚されただけ……ただのドッキリ演出って感じですかねぇ」

 二人で視界のメニュー画面を操作し、自分たちの状態をチェックする。

 服に付いた染みは取れない。

 一条のセーラー服は白なので、特に目立つ。蛍光色並みにテカリのある水滴が、その肩や胸元にいくつもの垂れ筋を作っている。

 勇助の学ランやズボンにもべったりと染みが付いている。男にとって恥ずかしい感じの染みだ。

 とりあえずメニュー画面で装備の一部解除をすると、勝手に上着だけが脱げて、地面に落ちた。

 勇助はワイシャツ姿でそれを拾い、さりげなくズボンの正面を隠した。

「何でもないなら、それに越したことはないが……」

 頭や顔、手にも液体はかかったが、一条の言う通り、メニュー画面上の自分の状態を示すステータス欄は、至って正常だった。

 勇助が首を傾げていると、一条がスカートを摘みながら言った。

「このゲームって、着替えとか無いんすかね」

「さあな。お前が知らないことを、俺が知ってるわけがないだろう」

「確かに。このゲームでは、自分の方が先輩っすからね。チキン先輩」

 ゲーム上の設定により一条は無表情であるが、それでも楽しげな口調で言った。

 スキップすらしている。

「はいはい、気を取り直していきましょうか、先輩」

 勇助も多少オーバーに肩をすくめてみせ、二人は『はいがん荘』へと足を踏み入れた。

×××

 宿のフロントで鍵を受け取る際、そこに立っているのは女性のNPCだ。

 その人格を持たないゲーム世界の住人は、柔らかい笑顔で二人を迎えてくれた。宿の中がボロでなければ、普通のホテルのフロントに立っていそうな女性だ。

「『鈴木』さん、いますか?」

 何を血迷ったか、一条が尋ねた。

「お前、何してやがる!」

 勇助は慌てて一条の口を押さえた。恐るおそる女性の反応を見る。

 『鈴木』が本当に出てきたらどうするのだ。

「お客様、あいにく『鈴木』は本日非番でございます。明日の朝には出勤いたします」

 女性はそう言って、軽くお辞儀をした。

「ほら、大丈夫でしょ? 相変わらずチキンっすね」

 一条は勇助の手をどかし、ささくように言った。

「うるさい。前にもやったことあるのかよ、こんないたずら」

「無いっす。先輩の反応が見たくてつい。でもご安心を。出現条件を満たさなきゃ、『鈴木』みたいな特殊な敵は出てこないっすから」

「ついさっきイレギュラーで汁まみれになった奴のセリフとは思えんな」

「おっと、どさくさに紛れてセクハラはやめてください」

「し、してないから! お前の受け取り方の問題だろ!」

 どつぼにハマるのを回避し、勇助はどぎまぎしながらも部屋の鍵を持って歩き出した。

 鍵には『はいがん荘 二〇一』と記された木札が付いている。さすが、このゲームは芸が細かい。

 妙にぎしぎしと鳴る腐りかけの廊下を歩いていると、一条が横に並んで尋ねた。

「先輩、彼女はできたっすか?」

 ……訊くな。

×××

 部屋は、昨夜泊まった角部屋だった。『フロントマン鈴木』に追われて宿泊料を払ったので、連泊扱いになるようだった。

 相変わらず壁は赤い染みだらけ。窓もなく、照明は電球一つで暗い。隣からは、とんとんと壁を叩く音。

「一条、間違っても壁は叩くなよ? 誰かに怒られるからな」

 勇助は今朝に起きたことを説明した。こちらからその壁を叩くと、たくさんの腕が現れ体を拘束されてしまうのだ。

「へえ──試していいっすか?」

「だめ!」

 こいつといると、安心なようでいてハラハラするなぁ。

 溜息を吐きつつ、勇助は壁に背を預けてあぐらをかいた。向かいの壁に『鈴木』の顔が浮かんでいないことが嬉しい。

 隣に一条が座った。体育座りの姿勢で、膝や太ももが見える。ゲームだというのに生々しくて、勇助は目を逸らした。

「そういえば、今も陸上、やってるのか?」

 勇助は尋ねた。

 中学生の頃は、同じ学校の陸上部に所属していた。勇助は自分でも驚くことに部長で、一条は一年生部員の一人だった。

 一条はずば抜けて足が速く、でも無邪気ゆえに先輩たちに生意気と思われていた。うまくフォローして才能を潰されないようにできないかと、部長らしく目をかけていたからか、自然と話す機会が増え、仲良くなった。というか、懐かれていた。馴れ馴れしい態度は変わらないどころか、増強されていった気がするが……。

 あの頃は二人とも、真っ黒に日焼けしていた。

「まだやってますよ。先輩は?」

「俺は、やってない」

「そうっすか」

 一条は高校(女子高)に入ってから、部活前は友人に勧められた日焼け止めをいつも塗りたくっているらしい。

「まあ、夏本番は、どうしても黒くなりますけどね」

 自分の顔を撫でながら一条は言った。

「今年の夏は、どうなるんすかねえ……」

「……どうなるんだろうな」

 このゲーム『TSUCHIGUMO』の世界の時間は、現実の世界とリンクしているらしい。

 もしも仮に、ここを脱出するのに三ヶ月かかるとして、現実に戻った時には九月ということになる。

「現実世界の俺たちは、どういう状況になってるんだろうな。行方不明とかだったら、今頃、捜索活動なんかが始まってるのかな」

「さぁ……でもキリコは『魂を現実からゲームに転送した』って言っていた気がします。だとしたら、現実の肉体は植物人間のような状態かもしれないっすね」

 チュートリアル担当の少女『キリコ』は、そういった説明を全て漠然としか教えてくれない。

 まあ、考えても仕方がない。

「先輩、これから一緒に行動するとして……もしよければ、持ってるデータを同期させないっすか?」

 一条が尋ねた。

「え、いいのか? そんなこと──っていうか、できるのか?」

「できますよ。正確には、有償で全情報を渡し合うだけの話なんですけどね」

 このゲームでは、情報を誰かに渡す時は必ず金額を設定して、売る必要があるらしい。ゲーム制作側には、そこで摩擦を生む意図があるのだろうか。

 とはいえプレーヤー双方が、情報量に係わらず同額で情報を売り合うことに納得しているのであれば、それは事実上のシェアとなる。

 この世界に来たばかりで情報が少ない勇助としては、願ってもない誘いだ。

「でも、なんか申し訳ないな。俺の方はデータが少ないし」

「大丈夫っすよ。少なくともマップデータは先輩の方が多そうですし。それに、出し惜しみをしたせいで、どちらかが手遅れの事態に遭ったら……後悔しても遅いっすから」

 そう言って、一条は目を動かした。メニュー画面を開いたようだ。

「いいっすよね?」

 尋ねられ、勇助はうなずいた。

 すると勇助のメニュー画面に、ポップアップウィンドウが現れた。

『プレーヤー『一条河音』が、データの開示をしようとしています。許可しますか?』

 勇助は「YES」と心の中で返答した。

 視界に複数のウィンドウが出現し、一覧化していた。

「好きな項目を選択すると、こっちのメニューにその内容が表示されるようになってるので、やってみてください」

「やってみろと言われても……」

 情報が多すぎて、どれから手を付けてよいかわからない。

「例えば、『敵一覧』の項目から『フロントマン鈴木』を選択してみてください」

「ああ、それなら」

 勇助は言われた通りにメニュー画面を心の中で操作した。

 『フロントマン鈴木』とだけ書かれた画像付きのアイコンを選択すると、

『このデータの提供を求めますか?』

『YES ・ NO ・ さらに追加 ?』

 というウィンドウが現れた。

 YESを選択すると、一条にその要求が送信されたらしい。『交渉中……』という小さなウィンドウが出現した。

 一条が操作して、勇助の視界からそのウィンドウが消えると、

『相手はこのデータを1000円で売ろうとしています。購入しますか?』

 というウィンドウが新たに出現した。誰かさんと比べると、破格だ。

「まとめて選択すれば、まとめて売り買いができるっすよ」

 ほぼネットショッピングの要領だ。

 データのシェア──もとい売買には、そこそこの時間を要した。

 二人は作業をしながら、ゲームと自分たちに関する様々な話をした。

×××

 一条がこの世界に来たのは二週間前のことらしい。

「お金貯めて、ようやくプレイできると思ったら、このザマっす」

 かねてよりこのゲームには注目していたらしい。ホラー映画や漫画を好む人間だったので、当然といえば当然なのだろう。

「自分は幸運なことに、この世界に来てすぐに他のプレーヤーと会うことができました。すごくラッキーでした」

 二人組だった。勇助を見捨てたあの男性プレーヤーと、もう一人いるらしい。

 一条は二週間、その二人組と行動を共にし、つい二日前に、この『ハのまち』を訪れたのだという。

 それまでは『ホのまち』という場所で情報収集をしたり、金を稼いだりしていた。

「金はどうやって稼ぐんだ? 敵を倒すだけか?」

「それもありますけど、『くえすと』をクリアしたり、それこそ情報を売ったりすると、もっと大きく稼げます。自分たちは三人だったので、報酬は一定の割合を決めて分割してましたよ」

 まちの特定の場所に『くえすと掲示板』というものがあり、そこに貼られた『くえすと』を選んでクリアすると、様々な報酬が得られるという。

 『くえすと』の内容はピンからキリまであり、人探しや物探し、あるいは妖怪退治など。もっと特殊なものだと、殺人依頼まであるとか……。やはり、まともではない。

「具体的に、二週間で稼げた金額は、自分だけでも八十万円っす」

「八十万!?」

 勇助は素直に驚いた。

 プレーヤーの最初の所持金は八万円なので、それを二週間で十倍にできるということだ。

「人数がいると、やっぱり有利っすね。万が一の事態も切り抜けやすいので、安全です」

「それにしても、よく仲間に入れてもらえたな」

 あの男性プレーヤーが初心者をタダで仲間にするなんて、想像できない。

 ……一条の外見が良かったからだろうか。

「ですよねぇ。それも含めてラッキーだったっす。もう一人のプレーヤーが女の人で、その人がプッシュしてくれたんです」

「へぇ……珍しいな」

「それは偏見ってやつっすよ。案外、コアなホラー好きの女性は多いんですから」

「ふうん」

「そういえば、その女の人の名前が変わってて──」

 ふと、一条が急に黙った。

「どうした?」

 勇助が尋ねる。

「……何か、臭いませんか?」

 一条が声の調子を落として言う。

「臭うって……あ、確かに、ちょっと臭うな」

 話に夢中だったからだろうか。ほのかな異臭に、勇助は気づいていなかった。

 何かが臭う。

 というか、臭い。この部屋の何かが臭い。

「先輩……しました?」

「いやいや、してないから!」

 というか、この世界には排泄の概念が無いのでしようがない。

「じゃあ、何すか、この臭い」

 気になり出すと、とことん気になってくる。

「それより、臭いが強くなってきてないか?」

 こうしている間にも、鼻につんと刺激が走る。たくわんなどの漬物を数日常温で放置したような酸っぱい感じの臭気。

 二人は思わず鼻を手で覆った。

×××

 ……二人が臭いに苦戦している頃。

外では、その臭いに釣られた得体の知れない連中が、何百体と『はいがん荘』に群がりつつあった。

(次回、逃げ場のない宿の中、敵の大群が二人に迫り来る! 臭いの正体は? そして勇助にさらなるピンチが──15につづく)



表紙画 : 梅澤まゆみ

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