見出し画像

母になるということ

とにかく 子供は嫌いだった
特に 産まれたての赤ちゃんから
幼稚園児ぐらいまでの
常に 落ち着きがなく
いきなり 泣き 笑い
世間の常識は 自分の常識なの感を
持っている子供が 嫌いなのだ
いくら こちらが嫌いです
オーラを出していても
おねえちゃん などと
甘えた声を出し 懐いてくる
子供が 嫌いだった

母に連れられ
いとこのお姉さんの 産院へ
お乳の甘酸っぱい匂いのする
柔らかく 弱々しく ふわっとした
生き物が 小さな透明な
ケースに入っていた

「抱っこさせて もらったら」
と 余計なことを言う母を
制することも出来ず
いとこのお姉さんが
柔らかく 弱々しく ふわっとした
生き物を ケースから出そうと
立ち上がった時
私は 思わず
「大丈夫、抱っこはいいよ。赤ちゃん、可哀想だし」
などと 意味不明な言葉を言って
後ずさりした が
そんな私の思いも察してもらえず
お姉さんは
「抱っこして あげて」と言って

柔らかく 弱々しく ふわっとした
生き物を そっと 私の腕の中に入れた

軽い...思いのほか 軽い...
いい匂いがする...しかし...
このあと どうしたらいいのか...

背中の辺りを 汗でびっしょりにして
産院を後にした
母が
「○○ちゃんに そっくりねえ」
などと 言っていたが
私には そんな余裕なんかあるもんか
と 心の中で つぶやいていた


そんな私も 年頃になって
結婚することになった
幸い相手も 子供が好きではなかった
理由は 私とほとんど同じで
それに 付け加えて
彼は 自分の父親に可愛がられた記憶が あまりないと 言うことだった

とにかくこれで 私は子供を産まなくてもいいということで
安心して 結婚した

結婚して 3年の月日が過ぎ
毎年の行事の 新年会に行った
旦那の親戚が一堂に会して
新年の挨拶をして 大いに食べ
大いに飲む どちらかと言うと
楽しい会だった
2年続けて 可愛い明るいよく気が付く嫁さんと 多少のお世辞を言われ
悪い気持ちがしなかった

3年目の今年は 少し違った

会うそうそうに
叔母たちに
「赤ちゃんは まだなの?」
と聞かれ
叔父達には(旦那が)
「子供の作り方 教えるかw」
と 言って
冗談に笑っていた私達だったが
言葉は エスカレートし
不快な気持ちになる頃
義母が親戚達に発した一言に救われ
お開きとなった

後日 義母とふたりの台所で
先日のお礼を言った私に
「○○は 小さい頃 酔っ払ったお父さん(義父)に 絡まれてね。嫌な思い出ばかりなんだね。だから 子供はいらないのかね。可哀想な思いさせたから...」
ため息混じりの言葉だった
私は 思わず
「大丈夫、お義母さん!2人とも子供を持って親になりたいって思ってるから」
と言ってしまった

家に帰ってから
旦那にその話をすると
「俺たちも そろそろ 親になるか」と
小さな声で言った


こんなにも 辛いものか
よく ご飯の炊ける匂いがダメとか
話には聞いていたけど
私の場合は それ以上だった
とうとう 水の匂いすらダメになり
何も食べられなくなり
歩くことも やっとで
ひとりでは検診に行くのも ままならず

たまたま 遊びに来ていた私の両親に
連れられ 入院することになってしまったのだ
妊娠4ヶ月目 重度のつわりによる
甲状腺ホルモン亢進症だった
体重は妊娠前よりも10kg近く落ちた

当然お腹の子にも 影響して
明らかに 発育不足
普通に分娩しても 未熟児でしょう
と ドクターに説明され
「全部私のせいだ」「無理矢理にでも食べればよかったんだ」「ごめんね、ごめんね」と自分を責めての入院生活だった

毎日 点滴をした
できるだけ 動かず 安静にして
少しでも 食べたい物があったら食べて
と看護師さんに 言われた
私は食事以外でも(甘い物でも)
どんどん 買ってきてもらい
一生懸命食べ ベッドで安静にする日々

そして 少し体重を増やし
それに伴って 多少子供も大きくなり
ドクターに一度退院させてほしいと
申し出た
生まれてくる子の産着さえ用意していなかったからだった

ドクターは 渋々OKを出してくれた
その代わり 何かあったらすぐ入院
家でも 安静に きちんと予定日までお腹の中に入れておきましょうと 約束した


6月の朝から降り続ける雨の日だった
小さな身体から 大きな産声を上げて
長男は 誕生した
すぐに NICU に入り
午前中1回、午後1回 面会した
未熟児にしては 大きな我が子は
オムツひとつで 透明なケースに入り
すやすやと眠る
時々 うっすらと目を開ける

私は お母さんになったのだ
こんなに小さな手足を一生懸命動かし
生きようとしている
守りたい。支えたい。
早くおっぱいを飲ませたい
すくすくと 大きくなってほしい
かわいい我が子よ!
愛しい我が子よ!


私は産後一週間で退院した

毎日 母乳を取り凍らせ
届けてもらったっていた
「お母さん!そんなに頑張らなくてもいいから、少しは休んでください」と
看護師さんに言伝されたらしいかった

でも頑張ってる。我が子も。

二週間目に 我が子を迎えに行った
小さかった 可愛い我が子を。


あれから28年
身長178cmの 手足のデカい我が子よ
態度もデカい我が子よ

私の子供でありがとう😊
と 人生の最後に言いたい!
今は 絶〜対 言いませんけど😆




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?