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私とフェミニズムの現在地点

 私はフェミニズムについてよく考える。大学時代に家政学(専攻は保育学)を学んでいたことから、性別役割分業や男女雇用機会均等法についてはサラッと学んできたが、自身のフェミニズムに対する考え方にまだ確信が持てない。確信が持てないながらも自身の思考の現在地点を確認するためにこのnoteを書く。

1:私とフェミニズムの出逢い

私は中高女子校だったので、同世代の男性とは殆ど関わりがなかった。だから社会で性別による差を感じる経験を殆どしてこなかったが、家庭では兄が長男として親から期待され高学歴高収入になるためのレールを彼らしさを削ぎ落とされながら18年間歩むのを見てきた。逆に私は、自由にしていいと言われた。その期待のされて無さに傷つく感覚はあったが、今思えば兄も私も他者からの期待と向き合おうとしていて辛かったと思う。そして今になって、このような事を平気で子どもに言う両親も多様なロールモデルが無い中で良い専業主婦になる事と家計を支える大黒柱になることを求められて無意識に苦しい思いをしてきたんだろう。

フェミニズムについて興味を持ったのは、ゼミの教授が家政学原論(ざっくり言うと家族とはなにかとか考えること)を研究していたからだ。そこで初めて"女"として求められることへの違和感に気づいた。具体的には飲食店のアルバイトで客やオーナーに"愛想のいい若い女"を求められることで自分らしさを削ぎ落としながら違和感と共に社会で働いていたことや、男性従業員が男性のアルバイトにだけ異常なまでに厳しく指導し、女性のアルバイトには吐き気がする程媚を売って「女の子は何もしてくて良いんだよ」と言って来たことなどを思い出す。このような経験を経て私は"性別の違いにおける平等"とは何なのか考えるようになる。

2:私とフェミニズムの現在地点

大学生の頃は”若い女"としての理想像を押し付けられる環境にいた事で傷ついたり、それと同時に他者が"男らしさ"の理想像を押し付けられる姿を見て傷ついてきたりしたが、現在の職場では同僚に恵まれ、そのようなことで傷つく経験も減ってきている。自分自身が性別でカテゴライズされることが好きではなく、自身の性別について鈍麻な為、男女という分け方も本当は好きではない。なので、女性が権利を主張するという考え方よりも人としての権利を尊重していきたい。私が求めるものは男女平等というよりも、自身と外部環境(人や社会)との対等な相互関係なのかもしれないという考え方が私のに対するフェミニズムの考え方の現在地点だ。なので今のところフェミニズムは自分らしさを守り、主張する為に性別関係なく必要な考え方だと思っている。

3:今の私にできること

自分自身が外部環境(人や社会)との対等な相互関係を生むためにできる事は何か考える。私は教育や社会福祉業界で日々子どもとその家族の成長をサポートする仕事をしている。その中で出会う子どもたちに様々なロールモデルを提示できるよう、一方的なカテゴライズをしない事を心掛けて実行している。私が関われる人数は微々たるものだが、どうか私とこの子の関係が自分らしく対話を絶やさず対等な関係のロールモデルとなりますようにと願って関わっている。

これが私のフェミニズムの現在地点だ。思考は流動的なかつ多様なものであるべきだから、皆の考え方もたくさん知りたいし、自分の考えがどう変わって行くかがこれからも楽しみ。

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