腰掛け

私なんて早く死んでしまえばいいのだけれど、それすらも出来ず、何なら出来るのだ、何なら成せるのだ、最後まで、最後まで何一つ出来なくて、違う、最後さえ、最後さえ出来れば、と、ずっとずっと思っている。私にへばりついた呪いのような悲しみが、どこに行くにも何をするにも着いてくる。私の内のかなしみが、この世界の何かしらに触れる度に私を涙ぐませる。人に、風景に、声に、私は非常に痛めつけられている。私が幸せでいてくれたら、私はそれだけでいいのに。それが出来ないから、他人の幸せを望もうとして、また空回りして、で、悲しいことばかりなんだけれど、どうしたらいいのだろうか。愛されて育ってきた。確かに間違えたことも多いが、した事を考えても取り返しのつかないことなどひとつも思い浮かばない。だけれど私の人生は確実に、取り返しのつかないものになってしまった。この悲しみがある限り、私はまともにご飯ひとつ美味しく食べられない。苦しい。世界の美しさが、人の眩さが、温かさが、優しさが苦しい。汚ささえも苦しい。私には、何も無い。何も無いも、無い。透明人間の、透明な嘆きとして、これすらも。消えてしまう。もう、ない。

美しいものを、抱きしめていられるのに。私は、私は何故ここまで悲しいのだ。医者にかかっても、誰と関わっても変わりはしない。それどころか内なる説得力が増す。かなしみへの説得力が力をつける。私を追い詰める。ぎりぎりと、ぐづぐづと。痛めつける。そうだ、死ねばいいんだよな。と、毎日思う。

死を思う時に感じているのが恍惚だと、興奮だと、いつから気付けていなかったのか 私はずっと 快楽だけを貪る それだけの下手くそな人間だ

目まぐるしく変わりゆく毎日のただ中にぼうっと突っ立って、意味のない焦燥の中に身を置いている。そんな瞬間を、一日を繰り返して気付けばもう八月になった。

豊かさはとうに消え失せている

残っているものは空虚なだけの、入れ物

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